偏見と採用の構造的問題――就労支援職に必要な倫理と成熟
序:AI論考が示した“採用の盲点”
本稿は、「履歴書では測れない能力を、AIはどこまで見抜けるのか?」(以下「AI論考」)の続編である。
近年、採用現場でAI面接の導入が急速に進んでいる。その理由として企業側が挙げるのは、
・「人間とAIの評価に遜色がなかった」
・「工数削減につながる」
といった効率性である。
しかし、筆者は、「遜色がない」という前提そのものに疑問を抱かざるを得ないことは、AI論考で述べた。履歴書・職務経歴書(以下「採用書類」)だけを元にした“表面的な比較”に限るなら、人間とAIの評価が似通うことはあり得る。
だが、採用書類に書かれない部分──例えば、本人が否定的に捉えている過去、本人が価値とみなさない努力、長期間の孤独な鍛錬の軌跡──これらを含めて総合的に評価した場合、人間とAIの判断は大きく分岐し得る。
例えば、先のAI論考で出した例であるが、40歳まで引きこもり、アクションゲームのノーダメージ動画を投稿し続けたAさんがいたとしよう。
彼の履歴書だけを見て判断する面接官の多くは、
「社会経験が乏しい」「教え直しが大変そうだ」「ゲーム三昧か。あり得ない」
と否定的に解釈するだろう。
ところがAIに同じ情報を提示すると、次のような別の読み解きが返ってくる可能性がある。
・ノーダメージクリアには高度な集中力・反復訓練・問題解決能力が必要。
・視聴者に高評価される動画制作は、一定の社会性と表現力を示す。
・適切な訓練を与えれば、職務適応の可能性は十分にある。
同じ情報を見ているにもかかわらず、判断が“別世界”になる。この差は、個人の能力ではなく構造の問題である。
このことについて、「第1部 偏見と採用の構造的問題」で構造的問題について考察し、「第2部 就労支援職に必要な倫理と成熟」で、就労支援職に求められる資質について論究していく。
第1部 偏見と採用の構造的問題
第1章 採用書類中心主義の限界
日本の採用は、依然として
・履歴書の整い具合
・空白期間の有無
・過去の経歴の線形性
といった形式的要素を重視する傾向が強い。
これは“効率的な選抜”を志向した結果ではあるが、同時に求職者の能力・成熟・可能性を見落とす構造的欠陥を抱えている。
第2章 「偏見を最小化せずに使われるAI」
本来AIは、
・人間の偏見を補う
・判断の幅を広げる
・ナラティヴ(背景)を読み解く
・潜在能力を評価する
といった“補完装置”として活用できるはずだ。
しかし、現実には、採用書類・数値・外形的特徴を強調する使われ方に偏り、人間の偏見を再生産してしまっている。
「AIと人間の評価が同じだった」という企業の発言は、実はAIが“人間の偏見を模倣しているに過ぎない”ことを示唆している。
つまり、AIは悪ではない。ただ、偏見を学習させた側の責任である。
以上、第1部の考察を踏まえて、第2部では、「では、就労支援職は、どんな資質を備えていなければいけないのか」を考察する。
第2部 就労支援職に必要な倫理と成熟
就労支援職は、採用の補助的存在ではない。人生の岐路に立つ求職者の可能性を見抜き、それを社会につなぐ“人間のハブ”であり、公共的職務である。
その使命の重さを考えるなら、次の能力・倫理が不可欠になる。
◆1 認識的不正義への感度
アメリカの倫理学者フリッカーが自著『認識的不正義』(勁草書房、2023)で指摘したように、弱い立場の人は“語りの信頼性”を低く評価され、不当な扱いを受けやすい。
就労支援の場でもこれは起きる。日本の就労支援現場では、よく起こるとも言えるかもしれない。
・「空白期間があるから問題だ」
・「ゲームしかしてこなかった人間に価値はない」
・「パワハラ離職が続くなら本人に問題がある」
こうした言葉は、すべて認識的不正義の表現である。
よって、支援職には、この“見えにくい暴力”を察知し、抑制する倫理が必要である。
※認識的不正義については、こちらの記事を御参照下さい。
◆2 ナラティヴ(物語)理解の能力
求職者の人生は、過去の事実の集積ではなく、文脈・意味付け・再構成のプロセスによって彩られている。優れた支援者は、
・「事実だけ」を見るのではなく
・「事実がもたらした影響」
・「本人の回復の努力」
・「困難を通じて形成された能力」
を読み取る。
これはAIが最終的に到達し得る領域でもあるが、現時点では人間の成熟がより強く問われる部分である。
◆3 構造的把握力(社会・制度の視座)
求職者の離職理由や空白期間は、本人の人格ではなく、構造的環境の産物である場合が多い。
・パワハラの蔓延
・企業の教育不足
・メンタルヘルス支援の欠如
・雇用の不安定性
こうした背景を理解せずに「個人の努力不足」とみなすことは、支援ではなく、二次加害の一形態である。特に、パワハラの被害者に何か問題があるかのようにみなす「被害者責任論」は、憲法・人権思想的に許されないことは、別稿「被害者責任論は非人道的態度につながる」でも論じた通りである。ゆえに、就労支援職こそ、社会構造に対する深い理解が求められると言えるだろう。
◆4 AIとの補完関係の理解
優れた支援者は、
・AIの限界を知り
・AIの強みを活かし
・人間の認知バイアスを自覚し
・求職者の潜在能力を最大化する
という“補完関係”を作り出せる。
これらができる支援者は、埋もれた能力を掘り起こすことができる。
逆に、
・AIを過信する
・AIを拒絶する
・人間の偏見を自覚しない
・採用書類だけを評価基準とする
という支援者は、求職者の可能性を閉ざす存在になってしまう。
終章 就労支援職に必要なのは「成熟」である
採用の現場では、人間の偏見と制度の硬直性が、求職者の未来を左右してしまう。だからこそ、就労支援職には、
・認識的不正義に敏感であること
・ナラティヴ理解能力を持つこと
・構造的把握力を備えること
・AIとの補完関係を築けること
・人格的成熟を体現すること
これらが不可欠である。
支援とは、教えることでも導くことでもない。求職者が自らの力に気づき、それを社会につなげる「回路」を整える行為である。
AI時代の就労支援職に求められるのは、効率でも経験年数でもなく、倫理・成熟・構造的視座である。これらがなければ、支援は支援にならず、むしろ人を傷つける抑圧・暴力装置に変わってしまう。
AIと人間の両方を理解した支援者こそ、埋もれた能力を掘り起こし、社会の成熟に寄与する存在になり得るだろう。
補記
筆者は数年前、居住区の厚生労働省委託の就労支援施設を利用した際、担当支援員から複数の構造的・制度的な人権侵害と評価し得る対応を受けた。
具体的には、筆者の氏名を正確に呼ばない、余暇で行っていた言論活動を「収入になっていない」という理由で全面的にゼロ評価する、履歴書の限られた情報だけを見て背景を検討せず能力を過小評価する、さらに筆者自身の希望を聞かず、支援員の考える就職像を「正解」として押しつける──といった言動が繰り返された。
これらは後に、憲法上の人権規範・法律・就労支援職の職務倫理規定に照らして重大な問題を含むことが判明したため、筆者は当該就労支援施設・運営法人・自治体・厚生労働省に対して抗議・改善を求める報告書を提出した(なお、文章の筆致は、事実の列記と憲法・法律・構造的問題に照らしての分析を行った、冷静かつ理性的な、行政官が読むことを想定したものだったことを付記しておく)。
運営法人の返信は内容に乏しかったが、行政機関からは誠実な応答を受け取った。
この経験、および前稿「履歴書では測れない能力を、AIはどこまで見抜けるのか?」ならびに本稿の議論を踏まえると、人間的成熟を欠き、偏見・構造的無理解に基づく支援を行うキャリアコンサルタントは、求職者の将来を狭め、職務上の危害を引き起こし得ると言える。
従って、支援職には高い倫理基準と構造的思考力が不可欠であり、これを満たせない人材が現場に残り続けることは、制度全体にとって大きなリスクであると考える。
本稿は、こうした経験と、AIの可能性──特に「履歴書に現れない能力を拾い上げることができる」という利点──を視野に入れつつ、就労支援の質の向上を願って記したものである。
※AIを巡る以前の記事は、以下のマガジンにあります。
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