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人権後進国日本を、平和で、成熟した国にしていく


導入

 これまで、日本国憲法・平和・教育を巡る様々な論考・批評・エッセイを書いてきました。その過程で浮き彫りになったのは、日本社会には、日本国憲法が根づいていないことでした。特に、憲法第13条に代表される人権条項の浸透が非常にお粗末であることに気づかされ、とても愕然とした次第です。その理由は、アメリカやドイツのような包括的で段階を踏んだ憲法教育がなく、国民の中に、憲法が生きたものとして根付いていないからです。

第1章 生きにくさの根本原因=憲法第13条の否定

 以前の記事「真の平和とは何か──終戦80年、死者への応答として」で、戦後80年の日本の平和は、「虚妄の平和」だったと指摘しました。それは、この80年、人権思想が充分に根付いていないばかりに、様々な暴力事案が起こり、それによって、命と尊厳と心を破壊された人が無数にいて、その構造は今も、続いているからです。
 平和な国とは何でしょうか。人権が抑圧され、人々が肉体的・精神的・経済的・その他の暴力を受けていても、ミサイルが飛んでこなければ、それは平和な国と、本当に言えるのでしょうか。
 平和で成熟した国は、本当は、誰にとっても生きやすいはずです。しかし、日本で多くの人々が生きにくさを感じているのは、自民党の政策によるというより、憲法精神、特に第13条を中核とする人権条項が、国民の間に広く浸透していないことが根本原因だと、私は考えます。人が、個人として、かけがえのない人間として尊重されていれば、お金がなかろうが、学歴が低かろうが、働くことができなかろうが、病気や障害があろうが、子どもだろうが、生きにくさは、今よりも格段に減ると思われます。
 日本国憲法第13条には、「すべて国民は、個人として尊重される」とあります。にもかかわらず、日本社会で見られるのは、これが否定され、踏みにじられ続ける現実です。学歴があるかないか、最終学歴が何か、社会の役に立つか否か、お金を稼げるか否か、容姿が優れているか否か、社会的地位が高いか否かなど、そういうことで人が測られ、一人一人のかけがえのなさが無視されている、それが日本です。
 また、多くの国際的な人権条約を批准しながらも、それを国内法と統合したり、条約を国内に浸透させたりする取り組みがあまりに不充分です。それで、他国から見て、人権に配慮している国とみなされると、本当に言えるでしょうか。
 さらに、国連から、定期的に、日本に対して、人権状況の是正勧告が出されるのに、馬耳東風とばかりに聞き流し、是正しないことからも、日本全体の人権意識は低いと言わざるを得ません。
 よって、こう言えるように思われます。日本は、人権後進国である。それは、憲法の人権条項の浸透が不十分なためで、憲法教育の不十分さに起因します。それゆえ、同じ日本国民の間にも、様々な人権侵害や暴力事案が依然として発生しています。それにもかかわらず、日本社会では、それらの問題を社会的課題として捉える視座が乏しく、個人の問題として処理される傾向があります。加えて、被害を受けた人をさらに痛めつける二次加害が平気で行われることすらあります。これは、国内法と国際法で人権条項を整備・浸透している国々では、決して許容できないことです。
 ゆえに、人権思想の浸透していない国家は、テクノロジーがどれほど進歩していようと、国際基準で見た時、先進国としては疑念を呈され得る、そうも言えるでしょう。
 よって、戦後80年、多くの人々が生きにくさを感じ、様々な人権侵害事案が日常的に発生する日本は、平和ではなく、国家としても著しく未熟と言えるように思われます。

第2章 憲法精神不在の国

 戦後80年、日本は「平和国家」として自他共に認識されてきました。しかし、この80年、戦争をしていないから「日本は平和である」という図式は、極めて表面的な理解です。これは、他の論考でも繰り返し触れてきました。
 戦後80年が平和だったと言う人々に、私は問いたい。

「人々が日々、生きにくさを抱えている社会は、果たして“平和”と言えるのか?」
「家庭での虐待、学校でのいじめ、職場での各種ハラスメント、その他の暴力事案・人権侵害により、命・心・尊厳・人生を損なわれる人が続出していても、日本が戦争状態でないから、これは”平和”だと言えるのか?」
「個人が尊重されない国を、“成熟国家”と呼べるのか?」

 こうした現状は、日本国憲法全体の精神に背馳しています。ゆえに、日本は、平和ではなく、成熟国家でもないと、私は考えております。

第3章 憲法精神の未浸透こそが真の原因

 確かに、自民党政権による格差助長政策や社会保障の後退は、人々の生きづらさに拍車をかけています。しかし、それ以前に、”そもそも日本社会には「個人の尊厳を守る」という憲法の精神が浸透していない”、という、より根深い問題があります。
 憲法第13条の冒頭の一節「すべて国民は、個人として尊重される」、この一文こそが、日本国憲法の人権条項の核心です。「憲法における『個人の尊重』は、すべての基本的人権の基盤である」という憲法学者芦部信喜の言葉を想起してもよいでしょう(芦部信喜『憲法〔第7版〕』岩波書店、2022年、p.35)。
 しかし現実には、この理念は以下のような場面で蔑ろにされています。

・貧困者に対する「自己責任」バッシング
・障害者・病者への冷笑と無理解
・子どもや若者の声を軽視する教育システム
・弱者に対して「役に立たないなら価値がない」という発想
・個人の趣味・芸術活動・文化活動を「金にならない」という価値観で否定

 このような空気・思想風景の中で、人々は「条件付きの存在」として扱われ、無条件に尊重される経験を持てないまま生きています。このような状況で、生きにくさを感じるのは当然のことだと言えるでしょう。

第4章 「尊重される」という経験が生きやすさを生む

 真の平和とは「個として尊重されること」によって生まれる、そうではないでしょうか。たとえ、お金がなくても、働けなくても、社会的成果がなくても、「あなたはかけがえのない存在だ」と伝えられれば、生きることが少し楽になるはずです。
 成熟国家とは、そのような言葉が自然に交わされる社会を指すべきであり、「人を支える仕組みよりも、人を尊重する精神」こそが土台なのです。

📉 戦後80年の現実:憲法精神と現実の乖離

 このような現実と理念の深刻なズレを放置していること自体が、国家の未成熟を示していると言えるでしょう。

第5章 戦後80年が経過しての日独の差

 「平和」は、単に戦争がないことではありません。日本国憲法における平和も、そのようなものとして、描かれてはいません。前文・9・11~14・19~23・25~29条を不可分のものとして見て、全体として捉えれば、それは明らかです。
 また、国家の「成熟」とは、技術や経済力の高さではなく、どれだけ一人の人間を尊重できているかで測られます。第二次大戦後、戦争について真摯に反省・総括し、教育システムを再構築したドイツでは、それが社会のあらゆるレベルにわたって徹底されています。
 同じ敗戦国でありながら、日本とドイツの戦後80年は、著しく異なった姿となって立ち現れます。それは、あの戦争を繰り返さないということを決意表明と儀礼に留めたか、あの戦争を推進したのとは全く異なる人間の育成を目指し、国家として歩む中での困難を克服してきたかの違いです。
 さらに、国連自由権規約委員会から、2022年に次のように勧告されています。

日本政府は、恣意的な拘禁、入管施設における非人道的処遇、ならびに難民認定制度における不透明性について、重大な懸念がある

自由権規約委員会・日本審査・総括所見より、2022年

 よって、前述の平和の定義と成熟の基準に照らしたとき、今の日本は平和とは言えず、国家としても著しく未熟です。それは、日本国憲法の精神が社会に根を張っていないことに、根本的な原因があります。
 だからこそ、私はこれまでの論考で、国民一人一人が、日本国憲法を読むことを、繰り返し訴えてきました。それは、これからも変わりません。

結語:これからの取り組み

 さて、日本が人権後進国であり、国家としても未成熟である現状を踏まえて、私は次の3点を、今後、やっていきたいと考えております。

 第一に、これまでやってきたような憲法・平和・教育についての思索を、論考・批評・エッセイの形で発表していくことを、今後も継続すること。

 第二、AIを用いた、個人でできる人権回復の新しいモデルの提示をしていくこと。これは、皆さんが人権侵害を受けた時、そのあらましをAIに提示し、日本のどの法律に抵触するかを尋ねて、必要ならば、どんな行動が取れるかを策定してもらうというものです。これにより、法が自分や自分の大事な人を守る盾であることを、一人一人が実感する経験を積んでもらうことが狙いです。人権侵害や暴力を受けた時、泣き寝入りや我慢する人が一人でも減ること、ゆくゆくは、そうした暴力事案に巻き込まれるのを予防・回避できる人間になることを見通しています。

 第三に、日本における憲法教育カリキュラムの策定です。これは、段階的かつ包括的な憲法教育を持っている国について学ぶことを、現在やっているところです。それを参照しつつ、ゆくゆくは、日本国憲法普及のための憲法教育カリキュラムの策定をしたいと考えております。

 平日は仕事があるので、更新頻度はそれほど高くはないかもしれませんが、今生きている人、そしてこれから日本に生まれてくる人が、不必要な生きにくさや暴力で泣くことのない社会の実現に向けて、微力を尽くしていきたいと考えております。またそれこそが、あの大戦で亡くなった無数の死者たちの死を無駄にしない営みだと考えております。これは小さな試みかもしれませんが、積み重ねが、未来の子どもたちにとっての”希望の制度”と”尊重の文化”を築くことに繋がると信じています。


※以前の記事は以下のマガジンに収録されています。


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jacob_truth369 ( ´∀`)サポート本当にありがとうございます!!😭😭😭🥰🥰🥰 (  ・ ∀ ・)ご恩返しするためにも、今後も一生懸命頑張ります!!😊😊😊