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過労死は「個人の悲劇」ではない――国家的・制度的失敗としての再設計を求める


序:過労死は「個人の悲劇」ではない。国家的・制度的失敗である

 一人の若者が、将来と夢を持ちながら、何の落ち度もなく、働くという行為の中で死に追い込まれる社会は、それ自体が異常である。にもかかわらず、日本では今なお、過労死が「本人の選択」「働き方」「性格」の問題へとすり替えられ、国家の責任と憲法の不作為が問われないまま放置されている。本稿は、過労死を感情的な悲劇としてではなく、憲法の尊厳思想が実装されていないことによって生じる、構造的暴力の結果として捉え直し、日本国家に対して、労働環境の根本的再設計を求めるものである。

 広告大手電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24歳)の過労自殺から、2025年12月25日で10年が経つ。節目を前に、母・幸美さん(62)が記者会見で「過労死の問題を決して風化させず、娘のことも忘れないでほしい」と訴えた。

この悲痛な言葉が胸を締めつけるのは、遺族の痛みが、時間で薄まらないことを私たちが知っているからだ。
 ただ、ここで強調しておきたい。幸美さんの訴えに心情的な理解を向けることと、問題の矛先を「個人」に向けないことは、同時に成立する。むしろ、後者を成立させることが、遺族への最小限の誠実である。
 過労死は、個人の不運でも、個人の弱さでも、個人の選択の失敗でもない。国家的・制度的失敗であり、従って、是正の責任は、国家と制度設計側にある。

第1章 「勇気を出して離れよ」が必要な社会は、すでに異常である

 幸美さんは働く人々に向けて、「今いる空間を手放すのは勇気が必要だと思うが、何よりも自分の体と心を守ってほしい」と、時事通信社の取材で訴えている。

 この言葉は痛切で、切実だ。だが、ここに一つ、冷徹な真理が横たわる。個人が“勇気”を発揮しなければ心身を守れない労働構造そのものが異常なのである。このように言うと、「辞めればいい」「逃げればいい」と言う人がいるだろう。しかし、多くの場合、辞める・逃げるとは、生活・評価・将来・人間関係を賭けることだ。つまり、“勇気”とは、制度が守るべき領域を個人に肩代わりさせられていることの別名である。
 過労死を生む社会は、個人に勇気を要求してはならない。国家と制度と企業が、「人が壊れる前に止まる」設計を持たねばならない。

第2章 「労働時間だけ」の発想が、問題を矮小化する

 過労死対策を語るとき、日本ではしばしば「労働時間」が唯一の入口になる。だが、それは入口である以前に、しばしば“問題の矮小化”でもある。

 * 過剰な業務量(時間に還元されない負荷)
 * 人員不足と「穴埋め」の常態化
 * ハラスメントや恐怖による沈黙
 * 断れない力関係(評価・配置・契約更新)
 * 「自己責任」言説による自己加害の内面化

これらが絡み合って、人は追い詰められ、ある日突然、折れる。だからこそ、「残業時間の上限」だけをいくらいじっても、構造が温存される限り、過労死は“形を変えて”再発する。

第3章 高市首相の「規制緩和」指示は、憲法に照らして誤っている

 2025年10月に就任した高市早苗首相は、厚生労働行政に対し、「心身の健康維持と従業者の選択を前提にした労働時間規制の緩和の検討」を指示した、と厚労相会見概要に明記されている。
 ここで決定的なのは、「従業者の選択を前提」とする発想である。労働市場には、構造的な力の非対称がある。雇用者と労働者は、対等な契約当事者として“理想的には”描かれるが、現実には、評価・昇進・雇止め・職場の空気・将来不安が、選択を歪める。その状況で「本人が選んだ」は、しばしば強制の言い換えになる。
 なお、本稿で行う政治批判は、特定の個人への誹謗や感情的非難を目的とするものではない。憲法を最高法規とする法治国家において、政策や制度を憲法原理に照らして検証し、是正を求めることは、国民主権の正当な行使である(法治国家市民の常識的な行動である)。また、遺族や現場で苦しむ労働者に責任を転嫁する意図は一切ない。問題として指摘しているのは、個人の努力や選択では回避できない構造的条件であり、それを放置・温存してきた国家と制度設計の側である。
 憲法13条の「個人として尊重」される社会とは、要するに、人間が“制度の穴”のために壊れない社会である。労働時間規制を「選択」名目で緩める方向は、尊厳の防波堤を薄くする。従って、首相の指示は憲法の尊厳思想に照らして誤っている。それに何の疑問も抱かない上野厚労相も同様である。
 そして、ここを曖昧にしてはいけない。前述したように、首相の政策を憲法に照らして批判し、是正を求めることは、国民主権の正当な行使(憲法前文・12条)である。もし筆者の批判について、「首相を批判するとは何事だ」という考えの人がいれば、その発想は、民主主義ではなく、法治国家の発想でもなく、前近代的な権威主義である。そして、その人がいかに憲法を読めていないかを露呈するものである。そういう人に、筆者は問いたい。あなたは過労死温存構造を維持したいのか?と。

第4章 疑念:首相は、過労死の「構造」をどこまで理解しているのか

 首相の指示が示しているのは、少なくとも現時点で、過労死を「構造的暴力」として把握する感度が薄いのではないか、という疑念である。なぜなら、過労死が一度でも生じた社会において、政治がまず問うべきは「規制の緩和」ではなく、“なぜ人が死に追い込まれるのか”の構造解体だからだ。
 労働時間に焦点を当て続ける限り、問題は“管理可能な数字”へと矮小化される。だが、過労死は数字の問題ではない。尊厳の問題である。

第5章 EUが示すのは「制度が先に人を守る」という常識

 EU圏では、過労死を防ぐために、どのような取り組みがなされているのだろうか。EU圏には、加盟国に最低基準を求める「労働時間指令(Working Time Directive)」があり、週48時間上限(時間外込み)、連続11時間の休息、年4週間の有給休暇など、回復(rest)を制度として確保する設計が中核に置かれている。

 要点はこうだ。

 * 長く働けるかどうかより、回復できるかどうか
 * 「本人が望んだ」を免罪符にしない(力関係があるから)
 * 人が壊れる前に、制度が止める

これが、法治国家の労働設計である。特別な道徳ではない。包括的な教育によって、憲法的原理が、制度に実装されているだけだ。それは、立憲主義国家であれば、至極当然の営みである。

結論:憲法の尊厳思想に基づき、労働環境を再設計せよ

 筆者が強い憤りを覚えるのは、将来と夢があった20代の女性が、何の落ち度もないのに、国家の不作為と制度の欠陥によって死へと追い詰められたからだ。ここで必要なのは、追悼の言葉以上に、制度の言葉である。

 過労死は、個人の悲劇ではなく、国家的・制度的失敗である。そして、「労働時間」に焦点を当てた議論は、構造を隠し、矮小化し、根本的解決には程遠い。従って、憲法13条の尊厳思想から逆算し、労働環境を再設計することが必須であり、それが国家がなすべきことであるはずだ。そこで、「選択」を口実に防波堤を薄くする政策は、憲法に照らして誤りである。そのような政策は、主権者として到底容認できない。

付記:想定問答

 以下は、筆者が高市首相に尋ねたいと思っていることである。

筆者:高市総理、あなたは憲法、特に13条を読んでいるんですか?
高市:もちろん、読んでいます。
筆者:それなら、なぜ労働環境を13条の尊厳思想に準拠した制度設計にしないのですか。EUでは制度が先に人を守る。どうして「労働時間だけ」を取り上げ、構造的暴力に触れないのですか。結果として、過労死温存に加担している自覚が政治家として足りないのではありませんか。
高市:・・・


憲法に準拠して冷静に、根拠を挙げて制度批判をし、解決策も示唆している国民の声にこそ、一国の首相は耳を傾けるべきではないのでしょうか。


※関連記事
・自己責任論が誤っている理由

・主権者とは?



読者へのお願い

 どうか皆さん、日本国憲法を読んでください。私が所持し、座右に置いている童話屋発行の日本国憲法は、文庫本の大きさで、厚さは0.3mmしかありません。どこにでも持ち運びができます。ここに、読みやすい字の大きさで、憲法全文全てが入っています。

 特に、前文と第二・三・十章をお読みください。第三章は、国民生活に関わる全てがあり、とりあえずここだけ熟読しておくだけで大丈夫です。
 なお、「教会での人権侵害」第3章第3節4で述べた、人権侵害を指摘・報告する文書の作成・送付は、第16条(請願の権利)の行使によるものです。これを行うのに、特別な資格は不要です。法律条文がわからなければ、AIに教えてもらい、自分で確認すれば、良いのです。
 憲法は、政治家だけのものではありません。むしろ、本来は権力を縛るという点で、国民のものなのです。これを読めば、誰にでも“社会を変える力”が芽生えます。

※以下のマガジンに以前の記事があります。

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