【ベトナム・タイ訪問記2日目②】ホーチミン、歴史の交差点にて - ピンクの教会から統一会堂への歩み
1.はじめに
改めて旅とは、計画と偶然が織りなす一枚のタペストリーのようなものだ。出発前に緻密に練り上げたスケジュールは縦糸となり、旅の骨格を支える。しかし、その縦糸に彩りと深みを与えるのは、現地で出会う予期せぬ出来事や人々との交流という横糸に他ならない。今回のホーチミンの旅は、まさにその真理を私に教えてくれるものとなった。
本来今日の計画は、出発前にAIアシスタントと共に練り上げたものだった。膨大な情報の中から最適なルートを提案させ、興味のあるスポットをリストアップし、移動時間まで計算させた、いわば「デジタルの旅のしおり」。そこには、ベトナム戦争の記憶を色濃く残す「戦争証跡博物館」や、南ベトナム終焉の地である「統一会堂」などが記されていた。テクノロジーを駆使すれば、未知の土地でさえ、ある程度の予測と効率を手に入れることができる。それは現代の旅人にとって強力な武器だ。
前回のブログでもふれたが、それを覆すことがあった。
この日の旅路に最初の、そして最も美しい横糸を差し込んだのは、人間ならではの温かい偶然だった。ホテルの朝食会場で、名物のベトナムコーヒーを味わっていた時のことだ。にこやかなホテルの従業員が「今日のご予定は?」と話しかけてきた。「博物館を巡ろうかと」と答える私に、彼女は「それも素敵ですけど、もしお時間があれば、ぜひ近くのピンクの教会に行ってみてください。綺麗なんですよ」。
ピンクの教会、タンディン教会。それは私のAIが作ったリストにはなかった場所だ。私は迷わずスマートフォンを取り出し、Googleマップに新しいピンを立てた。AIが示した最適ルートに、人間が加わった瞬間だった。
今回は、「VINCOM CENTER」から、Grabでタンディン教会を目指すところから始まる。
2.タイムライン
2.1.ピンク色の祈りと社会主義の日常風景 <11:32~12:05>
「VINCOM CENTER」にて、Grabを取り出す。Grabを使うのは、昨年の夏マレーシアで使った以来か?それ以降、ソウル、ウズベキスタン、ドバイと廻ったが、別のアプリだった。
ショッピングモールの片隅で、スマホを取り出す。久しぶりのGrabで操作方法を思い出しながら、このピンク色の教会を探す。

行先は何とかなるが、重要なのは出発地。以前、マレーシアでGrabを使ったとき、運転手となかなか落ち合うことができずに苦労した思い出がある。
今回はショッピングモールなので、Grabを拾う場所が限られているため、比較的簡単に決められた。予約完了。
私は、ホテルの従業員が教えてくれた「ピンクの教会」へと向かった。
日中の車の乗車は、初めて。はやり目に飛び込んでくる風景は、印象深い。
これほどまで、バイクが横を連なっているのは日本やクアラルンプールでも目にしなかった。車が右左折時に、どうやってバイクを巻き込まないで曲がるのかは、いまだによくわからない。
そして数分のドライブの後、目の前に現れた光景に、私は思わず息をのんだ。

目に飛び込んできたのは、まさに「おとぎ話」という言葉がふさわしい、鮮やかなパステルピンクに彩られた教会だった。タンディン教会。19世紀後半、フランス植民地時代に建てられたこのカトリック教会は、周囲の雑然とした街並みの中で、まるで異次元から舞い降りたかのような幻想的な存在感を放っている。ゴシック様式を基調としながらも、ロマネスクやルネサンスの要素が融合したというその建築は、細部に至るまで精巧な装飾が施され、空とのコントラストが目に眩しい。時計の針が示す時刻は、正午を少し前に指していた。この非現実的な美しさを持つ建物が、日々の祈りの場として今もなお機能していることに、一種の感動を覚える。
教会を後にして再び街を歩き始めると、今度は全く別の種類の「色」が目に飛び込んできた。

『キタ、コレ』って思わず叫びそうになった。旧ソ連のウズベキスタンでもこのような街の風景はなかった。また、前知識でもこのようなものがベトナムの街にあることは知らなかった。
それは、社会主義国ベトナムのイデオロギーを鮮やかに示す巨大なプロパガンダ看板だった。赤地に黄色い星の国旗、敬礼する兵士、団結する労働者たち。そこには国家の発展と愛国心を鼓舞する力強いメッセージが描かれている。「2025年までに経済・文化・社会の発展目標を達成する決意」といったスローガンが、街路樹の緑に映えていた。
おとぎ話のようなピンク色の教会と、力強い社会主義のプロパガンダ。この二つが、ほんの数百メートルの距離で隣り合っている。この強烈なコントラストこそ、私がこの街で最初に感じた魅力だった。過去と現在、宗教と政治、西洋と東洋。あらゆるものが混在し、ぶつかり合いながらも、不思議な調和を保っている。この街の奥深さを垣間見たような気がして、私は次の目的地へと歩を進めた。
★ログ情報
Grabの利用状況:
この区間(ホテル→タンディン教会)では、短距離移動のためGrab を利用。
2.2.沈黙の証言 - 戦争証跡博物館 <12:36~12:39>
タンディン教会を後にする際、次の目的地を決める。
なんとなく候補は決めておくが、私はその場で、Googleマップでプロットしていたスポットを見て、どのように巡回していくかを決めていくスタイル。
話がそれるが『巡回セールスマン問題』というものがある。セールスマンが複数の都市をすべて一度ずつ訪問し、出発地点に戻る際に、総移動距離や費用が最も短くなる経路(巡回路)を求める組合せ最適化問題。
自分は大学時代、このような研究をしており、卒論テーマにもした。厳密にはこれって実は、難しい問題なのです。
さて、GoogleMapとにらめっこして、次に行くスポットを「戦争証跡博物館」に決める。
10分くらい歩けばつきそうとのことで、徒歩で歩いた。

海外旅行に限らず街歩きが好きなので、歩きがちなのですが、今回の旅行。
東京より涼しかった。帰国後の東京は、暑くて歩く気がしない。

さて、「戦争証跡博物館」。ちょっと迷いましたが到着。

博物館の入口に掲げられた「BẢO TÀNG CHỨNG TÍCH CHIẾN TRANH / WAR REMNANTS MUSEUM」という金色の文字は、南国の強い日差しを浴びて静かに輝いていた。Remnants - 残されたもの、痕跡。その言葉の通り、この場所には戦争が残した生々しい傷跡が集められている。
入り口では、40Kドン支払って入場。240円ほど。

博物館の建物自体は、淡いグレーのモダンな外観で、一見すると歴史の悲劇を伝える場所とは思えないほど静かで落ち着いている。しかし、そのファサードに掲げられた、鳩がモチーフのエンブレムが平和への祈りを静かに示していた。
敷地内に入ると、まず目に飛び込んでくるのは、屋外に展示された巨大な兵器群だ。

巨大な輸送ヘリコプター・チヌーク、戦闘機や大砲。かつてこの国の大地を焼き、人々を恐怖に陥れたであろう鉄の塊が、今は静かにその巨体を横たえている。塗装は剥げ、所々に錆が浮き出ている
50年前まで、このような兵器を使った日常があった。
博物館の内部は、さらに強烈なメッセージに満ちていた。枯葉剤の影響で生まれた奇形児たちの写真が並ぶコーナー、ソンミ村虐殺事件の凄惨な記録、世界中の報道カメラマンが命がけで撮影した戦場の写真。そこには、目を背けたくなるような悲惨な光景が、何の説明もなしに、ただ事実として展示されている。
まさに筆舌しがたく、その場に行ってみてほしいと思うし施設。
声高に反戦を叫ぶのではなく、ただ淡々と「戦争が残したもの」を提示する。その沈黙の証言こそが、何よりも雄弁に平和の尊さを訴えかけていた。
この博物館は、いろいろな側面がある。ただ、一番のメッセージは、ベトナム国民へ向けた”ファクト”であろう。
フランスが悪い、アメリカが悪い、民族を二分したそれぞれの当事者が悪い、そもそも国民が悪い、逆に〇〇には正当性がある。などなど、捉え方は複数あるだろう。ベトナム政府としては、意図があると思われるが、各人の評価を考えるベースとなるファクトがあるのは、とても有意義なことだ。
日本にはそれが無いんですよね。太平洋戦争を引き起こした軍部が悪い、陸軍が悪い、いや、東条英機が悪い、いやいや、その雰囲気をつくった朝日新聞などの新聞社が悪い。そして、東アジア・東南アジア各国に謝罪すべきだ、いや、欧米列国が植民地化している中、日本はいいことをしたんだ。等々。いろいろと捉え方があるだろう。
それぞれの考えはいいのだが、冷戦後ぐらいに日本では、靖国問題がわかりやすいが、戦争責任を強く訴える左派的な力と、それに対する日本の正当性を訴える右派的な力が先鋭化してしまったとみている。この状態では、ホーチミンのこの施設のようなものを仮に作ったとしたら、左右のグループにやられてしまうのは火を見るよりも明らか。
太平洋戦争、第二次世界大戦の日本におけるファクトを見れない日本人は、不幸なのかもしれない。
その他いろいろな思いを持った施設だが、人類が繰り返してはならない過ちを記憶し、未来へと語り継ぐための貴重な訪問だった。重い心を引きずりながらも、この場所を訪れた意味は計り知れないほど大きいと感じながら、私は博物館を後にした。
★ログ情報
Wiseの利用状況:
この博物館の入場券(40,000VND)は、現地通貨の現金で支払った。前日に両替した現金がここで役立った。Wiseカードによる支払いが可能だったかは未確認だが、小規模な施設では現金が最も確実だ。
2.3.歴史が転換した舞台 - 統一会堂 <14:23~14:35>
私は次の目的地である「統一会堂」へと向かった。博物館からは徒歩で10分ほどの距離だ。歩きながら、先ほどまで見ていたモノクロの戦争写真の世界から、色彩と活気に満ちた現在のホーチミンの日常へと、少しずつ意識が引き戻されていくのを感じた。
やがて、広大な芝生の庭園の向こうに、白亜の壮麗な建物が見えてきた。

統一会堂、かつての南ベトナム大統領官邸だ。1975年4月30日、北ベトナム軍の戦車がこの官邸のフェンスを突き破って突入し、サイゴンは陥落、ベトナム戦争は終結した。まさに、この国の歴史が大きく転換したその舞台が、今目の前にある。建物は左右対称のモダンなデザインで、権威と威厳を感じさせる。屋上には赤いベトナム国旗が誇らしげにはためき、庭園の噴水が涼しげな水しぶきを上げていた。
一歩中へ足を踏み入れると、外の喧騒とは別世界の、静かで格式高い空間が広がっていた。豪華なシャンデリアが輝き、磨き上げられた床に光が反射している。ここは、かつて外国からの賓客を迎え、重要な国家会議が開かれた場所だ。

長いテーブルが置かれた会議室は、当時のまま保存されている。黄金色の絨毯が敷き詰められ、壁には壮大な風景画が飾られている。ここでどのような議論が交わされ、国家の運命が決定されていったのだろうか。歴史の重みが、部屋の隅々にまで満ちているようだった。

晩餐会が開かれたであろう部屋も、食器が並べられ、まるで今からゲストを迎えるかのような佇まいだ。しかし、赤いロープが張られ、見学者はその内側に入ることはできない。それは、ここがもはや現役の政治の舞台ではなく、歴史を伝えるための「展示物」であることを示している。栄華を極めた空間が、時を止められたまま静かに佇む姿は、どこか物悲しさを感じさせた。
屋上、作戦司令室、そして大統領のプライベートな居住空間まで、この建物は隅々まで公開されている。
戦争証跡博物館が戦争の「悲劇」を伝える場所だとすれば、この統一会堂は戦争の「終結」と、その後の新しい時代の「始まり」を象徴する場所だ。二つの施設を続けて訪れたことで、私はベトナム戦争という一つの歴史事象を、より立体的かつ多角的に捉えることができたような気がした。
その後も、徒歩での街歩きは続いた。
3.旅のまとめ
この記事の過程は、まさに時空を駆け巡る散歩道だった。ホテルの従業員との何気ない会話から始まったピンク色のタンディン教会への訪問は、フランス植民地時代の優雅な記憶を私に見せてくれた。次に訪れた戦争証跡博物館では、胸をえぐられるような戦争の現実と向き合い、平和の尊さを改めて心に刻んだ。そして最後に訪れた統一会堂では、一つの時代が終わり、新しい国家が誕生した歴史的瞬間の舞台に立ち、感慨にふけった。
これら三つの場所は、それぞれがホーチミン、いやベトナムという国の異なる時代の顔を象徴している。植民地時代の遺産、戦争の傷跡、そして統一国家の象徴。これらがパッチワークのように組み合わさって、この都市の複雑で魅力的なアイデンティティを形成しているのだ。
AIが作った旅の計画は、効率的で無駄のないルートを示してくれた。しかし、その計画に彩りと温かみを加えてくれたのは、紛れもなく人間との出会いだった。もしあの朝、ホテルの従業員に声をかけられなければ、私はタンディン教会の幻想的な美しさを知ることはなかっただろう。テクノロジーは旅を便利にするが、人間との組み合わせが今後ますます重要になってくるであろう。
そしてまだ、この日は歩き続ける。
4.補足
GPSデータ(時刻は現地時間)
2025-08-13 11:57:15 | 10.788614, 106.600856 | タンディン教会付近
2025-08-13 12:05:32 | 10.787869, 106.692231 | プロパガンダ看板付近
2025-08-13 12:36:55 | 10.779206, 106.692642 | 戦争証跡博物館
2025-08-13 14:23:28 | 10.777619, 106.606419 | 統一会堂
行きたい場所リスト(Googleマップ保存リストより抜粋)
戦争証跡博物館
統一会堂
タンディン教会(当日追加)
ニャー・ハン・ゴン(レストラン)
ホテル・航空券予約情報
ホテル: Silverland May Hotel (8/12-16, 4泊)
Grab利用情報
ホテル → タンディン教会
Wise利用情報
この日のWiseカード直接利用はなし。ATMで引き出した現金を使用。
レシート情報
戦争証跡博物館 入場券: 40,000 VND
統一会堂 入場券: 65,000 VND
歩数情報
8月13日(水): 14,820歩 (推定11.12km)
つづきです
