失われた龍 ―― 井頭龍神と、涸れた泉〈後編〉
札幌・龍神紀行 第1回 ― 水のない水路と、龍の行方 ―
前編のあらすじを、ひとことだけ。
札幌駅から歩いて十分の偕楽園緑地には、かつて「ヌㇷ゚・サㇺ・メㇺ」と呼ばれる湧水池があり、そこから流れ出す川を鮭が遡っていた。明治四年、開拓使はその泉のほとりに日本で最初期の公園を設けた。やがて水は濁り、宅地に囲まれ、それでも湧き続けていた水源のほとりに、昭和二十五年ごろ、井頭龍神という小さな祠が建てられた。
その翌年、都市開発によって一帯の水脈は涸れた。二度と戻らなかった。それでも人々は、三年後にもっと立派な祠堂を建てている。
では、その祠は今どうなっているのか。ここからは、実際に歩いた話になる。
隅へ、隅へ
その後の経緯も、静かに切ない。
濁った水をたたえていた池は、やがて自然に埋まった。跡地は「琴似サクシ広場」と呼ばれるようになる。
昭和五十四年(1979年)、一帯が整備されて「かいらくえん公園」となったとき、水神の祠は――公園の隅へと移された。
かつて泉の真上に建っていた祠が、公園の端に置き直される。悪意があったわけではないだろう。整備の都合であり、ごく事務的な判断だったはずだ。けれど結果として、龍は自分の水源から引き剥がされ、敷地の隅に寄せられた。
平成十四年(2002年)、この地は「偕楽園緑地」として改めて公示される。
案内図の上の龍
緑地の入口に、古い銅板の案内図が立っている。
表面はすっかり擦れて、日の当たり方によっては読み取れない。それでも目を凝らすと、園路の線と、樹木の記号と、清華亭の輪郭が浮かび上がる。そして緑地の南の端に、細い引き出し線が伸びていた。
その先に、「四文字」が刻まれている。
井頭龍神。

現地には何も残っていないのに、地図の上ではまだ生きている。
しかもこの銅板は、年々読みにくくなっているはずだ。いずれこの「四文字」も消えるだろう。祠が消え、地図の文字も薄れ、それでも今日はまだ読めた。そのことを、ここに書き留めておきたい。
そして、跡地へ
案内図を頼りに、園路を南へ下っていく。
該当する場所には、確かに何もなかった。祠はない。土台も、礎石も、標柱も、何ひとつ残っていない。清華亭の管理人の方に伺っても、ご神体がどこへ行ったのかは分からないという。
跡地は、花壇になっていた。
パンジーやサルビアが植えられ、夏草が伸びている。手入れが行き届いているというより、少し草に負けかけている、そんな花壇だ。
けれど、しばらく眺めていて、あることに気づいた。

花壇の縁に、丸石が並んでいる。
角の取れた、川原の石だ。園路のアスファルトとの境目に、埋め込むように置かれている。造園の縁取りとしては、少し不揃いで、少し多い。
よく見なければ、実は危うく見落とすところであったこの石。
水のない、水路
緑地の北側に、丸石を敷き詰めた細長い帯がある。
幅は一メートルほど。園路に沿って、ゆるやかに蛇行しながら伸びていく。そばには大きな岩が据えられ、両側には草花が植えられている。
水は、一滴も流れていない。

これは、枯山水のような意匠もあるのだろうか。案内板の池の位置をみるに、おそらくかつてここを流れていた池や水路の位置を、そのまま石で示したものなのだろう。
緑地の入口に立つもう一枚の説明板が、控えめな答えを返してくれる。
「現在の「偕楽園緑地」は、かつての偕楽園の一部分であり、くぼんだ地形に先人が親しんだ水辺の面影をとどめております」

面影、という言葉を、行政の説明板が使っている。
この緑地は、確かにくぼんでいる。周囲の道路から一段下がったところに園路があり、北へ向かってゆるやかに傾いている。水が集まりたくなる形を、土地はまだ保っている。
そのくぼみの底に、水のない水路が、石だけで引かれている。

北側へ回ると、水路はさらに草に埋もれていた。石の隙間から夏草が伸び、いずれ緑に飲み込まれてしまいそうに見える。
それでも、石は残っている。
この石を並べた人は、かつてここに水が流れていたことを知っていたはずだ。知っていて、水のない川床を、わざわざ石で描き直した。
祠は撤去され、湧水は涸れ、それでも水が流れていた形だけが、地面に残された。
そして跡地の花壇の縁にも、同じ丸石が並んでいる。
同じ川原の石が、水を流す形と、神を囲う形の、両方に使われている。偶然かもしれない。整備のときに、手近にあった石を使っただけかもしれない。
けれど私には、この土地が自分の輪郭を忘れまいとしているように思えた。
龍の行方
ご神体はどこへ行ったのか。
管理人の方も分からないというその問いに、ひとつだけ手がかりがある。
この祠では、毎年、札幌諏訪神社の宮司によって御祓いが行われていたという。祠が解体されたとき、ご神体がそちらへ移された可能性は、決して低くないだろう。
ここで少し、個人的なことを書かせてほしい。
二か月ほど前、私は信州の諏訪湖を旅していた。諏訪大社に参拝し、無事に帰ってきて、旅の礼をと思って札幌諏訪神社にも足を運んだ。それだけの、ありふれた話だ。
その数週間後に、失われた龍を探して偕楽園緑地を歩き、行方の手がかりが諏訪神社へ伸びていることを知った。
偶然だと思う。実際、偶然だろう。
それでも、涸れた泉の上に立って、水のない水路を眺めながら、私は少しだけ、糸を手繰り寄せられたような気分になっていた。
確かめに行こうかと思う。
秋風が吹く前に
帰りぎわ、緑地の北側に石川啄木の歌碑があるのを見つけた。


札幌のポプラ並木と、秋風の音を詠んだ一首だ。啄木がこの街に滞在したのは、わずか二週間ほどだったという。それでも彼は、この街の風の音を書き残した。
碑の建立は平成二十四年。啄木の没後百年を記念してのものだ。
百年前の旅人の歌が石に刻まれて残り、七十年前の祠は跡形もなく消える。何が残り、何が消えるのかを決めているのは、たぶん価値の大小ではない。ただ、誰かが記録しようと思ったかどうか、それだけの違いなのだろう。

失われた龍神を、最初に訪れたこと
札幌にどれほどの龍(龍神)がいるのかを探索してみよう。そう思って、この連載を始めた。
けれど最初に訪ねた場所が、既にその地から失われた「龍神」であったが、その痕跡をこの目で確かめてみたいと思い現地を訪れた。
札幌という街は、水の上に建っている。扇状地の伏流水、湧き上がるメㇺ、あちこちを流れていた小さな川。それらを埋め、暗渠にし、上書きしながら、この街は大きくなってきた。都市が発展するというのは、つまり、水を見えなくしていく過程でもあった。
だとすれば、龍が失われていくことそのものも、札幌の都市史なのであろう。
「井頭龍神」のような札幌の歴史の中で、涸れた泉の上に建てられ、隅に追いやられ、やがて消えた小さな祠の「物語」を見ることなしに、この街の水の物語は半分しか見えないと思うのだ。
だから、第一回はここから始めることにした。
失われてしまった龍神から。
――もっとも、その行方の本当のところは、まだ分からない。水路のような丸石群はその面影を残している。地図の「井頭龍神」の文字も、薄れはしたが、今はまだ健在だ。そして、行方の糸は、諏訪神社の方へ伸びている。
次はどこへ行こうか。豊平川の氾濫を鎮めるために建てられ、今でも祀られている龍神が、豊平区にあるという。今度は、今まさにそこにいる「龍」の物語に触れようかと思っている。
注記・参考資料
※ 川名は文献表記に従い「サクシュコトニ川」で統一した。清華亭の説明板では「シャクシコトニ川」と表記されている。
※ 井頭龍神のご神体の所在については、現時点で確認が取れていない。札幌諏訪神社との関わりは、御祓いの経緯から推測されるものである。
・『豊平館・清華亭』(さっぽろ文庫15、北海道新聞社、1980年)
・関秀志編『札幌の地名がわかる本』(亜璃西社、2018年)
・偕楽園緑地および清華亭の各説明板(札幌市)
