短論:超てんちゃんの声優、天城サリーはなぜ秘匿されていたのか
結論から言うね
《結論》
1, 超てんちゃんは「現象」であり、中の人など存在しないから。
2, 「中の人の発見」は救済と結末を示唆してしまうから。
1, 超てんちゃんは「現象」であり、中の人など存在しないから。
超てんちゃんは自らを「インターネットエンジェルという現象」と称します。これは「INTERNET OVERDOSE」や「INTERNET YAMERO」、アニメ12話・13話で描写されていたように、苦難に満ちた現実を生きるために、人々へ一時の安らぎを与えるというムーブメントのことを指します。
このムーブメントにおいて、担い手こそ必要ですが、その中の人一切は無視されます。これは13話の「ニューエイジ・超てんちゃん」の描写からも明らかです。
「ニューエイジ・超てんちゃん」とは、13話最後に杉田オタクを救い、海へと連れ出した彼女のことを指します。既に超てんちゃんは引退していますから、あれは超てんちゃんではありえません。私は、彼女を次世代のインターネット・エンジェルとなった別の配信者だと見ています。超てんちゃんが救いきれなかった杉田オタクを、次のインターネット・エンジェルが救った。杉田オタクは彼女の中に、在りし日の超てんちゃんを見出したのです。
(ニューエイジ・超てんちゃんについては拙記事をお読みいただきたく思います)
ニディガ13話の完走&感想 「本当の幸い」を目指した3か月だった|メロン
あの描写で示唆されていることは、中身は重要でないということです。
超てんちゃんは現実から目を背け安心できる避暑地の永続を、インターネットに求めました。このとき、特定の中身が存在してしまうと、属人性が増し、あくまで条件付きの救済にしかなりません。
ここはちょっと複雑なので例を挙げます。
Vtuber黎明期、もっとも早期から活動を続け、「バーチャルYoutuber
四天王」に数えられたあの配信者、キズナアイ氏のことはご存じかと思います。
彼女は最初期から業界を牽引してきた偉人ながら、現在の潮流とは逆行する試みを行っています。
それが「一人のアバターを複数人で運営する」という試みです。
これが発表されたとき、ファンは非常に混乱しました。最終的な反応としては、「オリジナルを応援する」、「新・キズナアイたちも応援する」、「離れる」あたりに分類できたと記憶しています。
これは、Vtuberというものは必ず中の人が意識されると言うことを露骨に表しています。
(断っておきますが、キズナアイ氏を貶める意図は一切ございません。以前は私も熱心なファンでした。生活様式の変化に伴い離れてしまいましたが、第一人者として世間に鮮烈な印象を与えた彼女、私の辛い学生時代を支えてくれた彼女への敬意は、言葉で言い尽くせないほどです)
これを踏まえてニディガの話に戻りましょう。
このように、特定の人物に頼った救いの場の提供は、その人物がいなくなったときに閉ざされます。超てんちゃんの本意とは異なる在り方です。
そのため、彼女にとって中身は存在してはならなかったのです。「超てんちゃんという個人(中身)」がオタクたちを救うのではなく、「インターネット・エンジェルという現象(ガワ)」がオタクたちを救わねばならない。たとえ超てんちゃんが去っていったとしても、誰かの止まり木になろうとする人が現れ、次のインターネット・エンジェルを演じ始める。それが彼女の目的です。
まとめると、中身がない偶像であることが重要なのに、その中身を示すことは彼女の在り方に反する、そのために「超てんちゃん」の声優はあきらかにされなかったのです。
2, 「中の人の発見」は救済と結末を示唆してしまうから。
これは秘匿されていた理由というよりかは、最後に開示された理由に該当とすると思います。
順を追って考察します。
ニディガの世界において、あめちゃんは世界から隠蔽されています。
ゲーム版では唯一あめちゃんを観測していた「ピ」という存在が示唆されていました。しかし、真エンドにてピは存在しないことが明らかになり、同時にあめちゃんは誰にも発見されていないことが判明します。
アニメ版においても、トップ配信者になりながらも表舞台に上がるのは超てんちゃんのみであり、あめちゃん自身は「人間関係は己を弱くする」と自己正当化を繰り返し、孤独の道を選んでいます。
しかし、ここで転機が訪れます。パープルとの出会いです。
ここで、あめちゃんそのものをパープルが発見します。これを転機として、彼女は人間関係の喜びを学んでいき、10話にてあめちゃんの幸いの象徴である閉じた円環、メリーゴーランドにて敗北を喫し処刑されます。苦しみの果てに、彼女は本当に幸いのため「INETERNET YAMERO」をしました。
すなわち、あめちゃんの発見は、「見られる超てんちゃん - 見られないあめちゃん」という関係を終わらせ、本当の幸いを目指すあめちゃんへと止揚する契機となっているのです。
次に、この構造を作品全体に当てはめてみます。
ゲーム版からアニメ版まで、超てんちゃんもあめちゃんも、プレイヤーにとっては見えているキャラクターの一人です。しかし、その声優は明かされません。
すなわち、「見られる超てんちゃんとあめちゃん - 見られない声優」という関係が構築されているのです。構造的・作劇的に言ってしまえば、このような関係が維持されている限りにおいて、あめちゃんは救われないし、作品も完結しない。
しかし、アニメ版の最後にて、担当声優である天城サリー氏の名前が公開されます。
すると「見られる超てんちゃんとあめちゃん - 見られない声優」という関係が終了し、本当の幸いを我々に問うてくる「映像作品」として完結するのです。
†昇天†
