【叙事詩】トト神の書と王家の悲劇 ③『トト神の怒り、ラーの裁き』
私は守護女神メルセゲル。
このコブラの眼で見ていた。
冥界の門が音を立てて開き、
太陽神ラーの玉座が光の中に現れた瞬間を。
トト神はその前に進み出た。
薄桃色の羽は月の光をまとい、
その瞳は怒りと悲しみが宿っていた。
「偉大なるラーよ」
トト神は奏上した。
「ネネフェルカプタハが私の書を奪い、
その守り手である蛇を殺しました」
その瞬間、
太陽神ラ―の慈愛に満ちた瞳が曇り、
手に持つアンク十字が小さく震えた。
世界の秩序が揺らぎ始めたのだ。
ラー神は静かに命じた。
「ネネフェルカプタハの家族を、
そなたの好きにするがいい」
次に、冥界の床から恐ろしい悪霊が浮かび上った。
ラー神はさらに命じた。
「ネネフェルカプタハの家族を、
決してメンフィスに帰らせてはならぬ」
その頃、ネネフェルカプタハの家族は、
王家の船で帰路についていた。
幼子メルイブは、
船の天蓋の隙間から悪霊を見つけてしまった。
悪霊は彼を誘い込み、
メルイブはナイル河へと転落した。
異変に気付いたネネフェルカプタハは
呪文を唱え、息子を引き揚げた。
しかし、メルイブの息吹はすでに絶えていた。
イフウェレトはその亡骸を
何時間も抱きしめ、泣き続けた。
そして――
誰もが目を離した一瞬の隙に、
彼女もナイル河へ身を投げた。
またもやネネフェルカプタハに悲劇が襲ったのだ。
王子は呪文を唱え、
妻の亡骸を水底から引き揚げた。
王家の船はコトプスへ引き返し、
ネネフェルカプタハは妻と息子を
貴人のごとく丁重にミイラにした。
二人の亡骸は
コトプスの岩山に静かに葬られた。
再び船はメンフィスへ向かった。
妻と息子が溺れた場所を通りかかったとき、
ネネフェルカプタハは船を止めた。
彼は理解していた。
トト神の怒りが
太陽神ラーの判決が、
この悲劇のすべてを導いたことを。
王子は魔法の書を布で体に括りつけ、
ナイル河へと身を投げた。
一瞬のことだった。
漕ぎ手たちは水中に潜り、
王子を探した。
だが、彼はすでに息絶えていた。
メンフィスに到着した王子の亡骸は
何日もかけてミイラにされ、
彼の墓に静かに埋葬された。
その胸には、
「トト神の魔法の書」が寄り添うように置かれていた。
私は見た。
禁断の書に触れ、現世の命を奪われた家族のすべてを。
第一章完 (第二章に続く)
※第二章はこちらです。
本叙事詩は、大城道則氏『神々と人間のエジプト神話』に収められた
「セトナ・カエムアスとトト神の魔法の書」をもとに、
守護女神メルセゲルの視点から再構成した創作作品です。
