また、やりすぎている
——それでも今は、止めなくていいと思っている
「いったい何をやってるん?(笑)」
最近、パートナーに時々そう言われる。
noteを始めて、もうすぐ二ヶ月になる。
そもそも私がnoteを始めた一番の理由は、在宅でできる仕事の一つにしたかったからだった。
犬たちが歳を取っていく中で、できるだけ家にいられる働き方を増やしたかった。
だからパートナーにも、
「文章を書くのを、いつか在宅ワークの一つにできたらと思ってる」
と話していた。
それなのに、今の私はどうだろう。
noteを開けば、通知が百件以上たまっていることがある。
昼休みにスマホを開いて、読めるだけ記事を読む。
フォローしている人の記事だけでも追いつかないのに、トップ画面に知らない人の記事が出てくると、また気になって開いてしまう。
「この人、また読みたいな」
と思えば、そのままフォローする。
記事も書きたい。
人の記事も読みたい。
できればコメントもしたい。
そんなことをしているうちに、かなりの時間をnoteに使っている。
そこでパートナーが言う。
「在宅ワークにするんちゃうかったん?
いったい何をやってるん?(笑)」
……ほんまにな。
自分でも、ときどきそう思う。
また、この時期か
でも考えてみれば、これはnoteに限ったことではない。
私は昔から、何かを始めると、とことん入り込む。
営業を始めた時もそうだった。
看護師として管理職をしていた時もそうだった。
トリミングを習い始めた時なんて、暇さえあれば練習していた。
通勤中も、仕事の休憩時間も、トリミングの動画ばかり見ていた。
頭の中が、そればっかりになる。
「そんなにやらなくてもいいんじゃない?」
と言われたところで、たぶん止まらない。
ほどほどにやった方が長く続く。
最初から飛ばしすぎない方がいい。
バランスを取った方がいい。
そのくらいは、頭では分かっている。
でも私は、
正解を知っただけでは、どうも納得できない。
自分でやってみて、
「ここまでやったら、こうなるんやな」
と体感して、ようやく分かる。
トリミングも、ある程度自分の技術に手応えが出てくる頃には、少しずつ周りを見る余裕が戻ってきた。
あれだけ頭の中を占領していたものにも、いつの間にか少しお腹いっぱいになっている。
誰かに止められて熱が冷めるというより、
自分の中で、
「もう十分やったかな」
と思えるところまで行って、やっと距離を変えられる。
昔は、一つのことに入り込み始めると、そんな自分が少し怖かった。
また止まらなくなる。
また、こればっかりになる。
今は、
「また、その時期か〜」
くらいに思っている。
パートナーにも、
「また、そういう時期やね」
と言われる。
だいたい合っている(笑)。
いつも犬たちが、私を生活へ戻してきた
そんな私を、昔から時々こちら側へ引き戻してきたのが、犬たちだった。
仕事でも、トリミングでも、私が入り込みすぎると、犬たちの顔が変わる。
明らかに、寂しそうな顔をする。
その顔を見ると、私もしゅんとなる。
「あ、ちょっと緩めなあかんな」
と思い出す。
犬たちがまだ若かった頃は、それでも完全に仕事を止めることはできなくて、せめて一緒に寝るようにしたり、少しでもそばにいる時間を増やしたりしていた。
そして今、noteでもまた入り込んでいる。
ただ、昔とは少し違う。
今は、犬たちの隣で書いている。
本当はテーブルで書いた方が楽なのだけれど、みんなのそばにいたくて、床に座ってパソコンを開いている。
犬たちは、私の周りで寝ている。
時々、一匹が起きてきて、前足で私をツンツンする。
「かまって」
の合図だ。
そうしたら、いったん手を止める。
撫でたり、抱きしめたりする。
しばらくすると、犬の方が先に満足して、また寝る。
私はまた書き始める。
腰はちょっと痛い。
そこだけは困っている(笑)。
仕事にするつもりだったのに
noteを始めた頃は、もっと「仕事」として見ていた。
在宅ワークにしたい。
いずれ有料の記事も書いてみたい。
そう思っていた。
でも、いろんな人の文章を読むようになると、
「お金をもらうなら、私は何を渡せるんやろ」
と考えるようになった。
そして気づけば、どう収益化するかより、
「次は何を書こう」
と考えている時間の方が、ずっと増えていた。
途中から私は、自分の過去を掘り下げるエッセイを中心に書くようになった。
これが、思っていた以上に時間がかかる。
出来事だけではなく、
あの時、本当は何を感じていたんだろう。
なぜあんなに怖かったんだろう。
何を守ろうとしていたんだろう。
今の私は、あの頃の自分をどう見ているんだろう。
そんなことを考えながら、自分の中の深いところまで潜っていく。
すると、ときどき不思議なことが起きる。
文章を書いている途中で、涙が流れてくる。
でも、その直前まで「悲しい」と思っていたわけでもない。
苦しくて泣いている感覚とも少し違う。
自分でも、
「え、今なんで涙出たん?」
と思う。
理由は、今でもよく分からない。
ただ、書き終わったあと、頭の中が少し整理されていることがある。
自分でもぼんやりしていた気持ちに、言葉がつく。
「私は、あの時こうだったのかもしれない」
と、自分の輪郭が少しはっきりする。
子どもの頃から、私は四六時中いろんなことを考えてきた。
パートナーと出会った頃にも、
「そんなに考えなあかん?」
と何度も言われたくらい、頭の中でぐるぐる考えていた。
今の私は、昔よりずいぶんスッキリ生きている。
たぶん、今の私しか知らない人には想像できないような自分も、昔はいた。
その自分を、なかったことにしてしまうのは、少し寂しい。
だから私は、書いておきたいのだと思う。
何に動かされているのか、私にも全部は分からない
もちろん、ときどき振り返る。
私、これほんまに書きたくてやってるんかな。
また、認められたくて頑張りすぎてないかな。
読まれたらうれしい。
反応をもらえたら、うれしい。
自分の記事を読んでくれた人の記事には、私もできるだけ読みに行きたい。
つながりたい気持ちもある。
たくさんの人とつながることで、自分の文章を必要としている人に届く確率を上げたい気持ちも、たぶんある。
承認されたい気持ちだって、ゼロではないと思う。
でも、それだけでもない。
公開ボタンを押す時は今でも、
「こんな記事、誰か読む人いるんかな」
と思うことがある。
それでも出してみる。
すると時々、
「私も同じでした」
「自分の気持ちを言葉にしてもらった気がします」
という言葉が返ってくる。
自分の中にあったものが言葉になって、それを必要としていた誰かに届く。
たぶん私は今、言葉にできることと、それが誰かに届くことに、夢中になっている。
そして、その前に。
私はたぶん、まず自分のために書いている。
昔の自分を、なかったことにしないため。
今の自分が何を感じているのかを確かめるため。
頭の中にあるものを、一度外へ出して眺めるため。
それが結果的に、誰かに読んでもらえる文章になったら、私はすごくうれしい。
また、やりすぎている
もし、この先noteが仕事にならなかったとしても。
今のところ、私は書くことをやめないと思う。
今みたいな勢いが、ずっと続くとも思っていない。
営業も、看護の仕事も、トリミングもそうだった。
私はいつも、自分で十分やったと思えるところまで行ったあとに、少しずつ心地いい距離を見つけてきた。
だから今回も、
最初から正しい距離を決めようとは思わない。
もちろん、犬たちが寂しそうな顔をし始めたら考える。
身体がしんどくなったら考える。
「読みたい」が「読まなきゃ」ばかりになった時も、たぶん考える。
でも今は、まだ書きたい。
まだ、自分の中にあるものを言葉にしてみたい。
昔は、夢中になりすぎる自分が怖かった。
今は、
「また、その時期か〜」
と思える。
いつか、
「これくらいでちょうどええな」
と、普通に楽しめるところまで行けたらいい。
今の熱は、そのうち少し落ち着くのだと思う。
でも、書くこと自体は、細く長く残るような気がしている。
また、やりすぎている。
それでも今は、もう少しこのままでいいと思っている。
※「#これからのキャリア」には、この作品のほかに、犬のお手入れ教室について書いたエッセイと、看護師として管理職をしてきた経験について書いたエッセイも応募しています。
『ちょうどいいところで、手を止める』
——一番を目指した私が、犬にも自分にも無理をさせない働き方を選ぶまで
『気づいても、全部は拾わない』
——何度も管理職になった私が、仕事との距離を変えるまで
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