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きっかけは10歳の女の子(若年性線維筋痛症)

 世界的に有名なレディーガガ様が線維筋痛症を公表すれば、その声は世界中に届きます。でも、10歳の普通の女の子とそのお母さんの悲痛な叫びは、世界どころか、すぐ隣にいる周りの人にすら届きません。

 2025年5月。線維筋痛症も、うつ病も、すっかり良くなった私は、ランチだ、海だ、温泉だなどと、楽しく過ごし始めていました。
 そして、寝たきりになって苦しみもがいた難病、線維筋痛症やうつ病が良くなった方法を伝えることで、誰かの痛みや憂いに寄り添えないかと思い、人生初のブログを始めました。

 真っ先にフォローして下さった方がいました。それは、若年性線維筋痛症の10歳の女の子のお母様でした。

 その方のブログを拝見すると、私とは比べものにならないくらいの壮絶な痛みと闘いながら、10歳の女の子が希望を捨てずに、ひたむきに生きている様子が伝わってきました。

 私は、難病になったショックと、休職せざるを得なかった敗北感にさいなまれ、治らないかもしれないことに絶望してしまったのに、この10歳の小さな女の子は、看病してくれるお母さんに心配をかけまいと、弱音を吐かずに頑張っていました。
 簡単に人生を諦めてしまった私が、今こうしてどこも痛くなく楽しく過ごせているのに、諦めずにお母さんのことまで思いやっている、こんな優しい女の子が、学校にも行けずに激痛との闘いの中にあるなんて… 

 何とかしたいと思いました。
 私に何が出来るだろうか。
 自分のことを振り返りました。

 私は、「治らない難病」と言われても
 なんとしても治りたかった。
 誰か治った人はいないのか?
 どうすれば良くなるのか?

 自分が困ったのは、線維筋痛症が治った人の 
 情報をなかなか得られないことでした。

 ならば私は、良くなるために何をしたかを「情報」として発信しよう。

 それが私の初めてのnoteでした。

 自分は大人だから仕事を選べますが、小学校は義務教育なので、辞める訳にもいかず、転校も簡単ではないはずです。
 この女の子が笑顔で小学校に通うのを見届けたいと思いました。成長期の我が子が、複数の薬を毎日飲み続け、副作用に苦しむ様子を見ていられないと心を痛めるお母さんにも、笑顔になって欲しいと思いました。

 10歳の日々は、大人のそれとは違います。
 私は学校も仕事も行きたいところに進学し、やりたい仕事をしてきました。それなのに、この女の子はまだ人生をスタートしたばかりです。夢や希望に溢れてキラキラしていられる頃なのに…

 この女の子のために、希望が持てるような情報を発信しようと思いました。受け取ってくれないかもしれないし、的外れで何の役にも立たないかもしれないけれど、想いを文字に込めました。
 私は医者ではなので、きちんとした医学知識はないし、資格もありません。ただ、線維筋痛症は、医者にもよく分かってない病気です。医者が治せないとわかったとき、私がしたことは治った人の情報を集めることでした。私には「情報」が先生でした。絶望の中の光でした。受け手がその情報をどう使うかは受け手の自由ですが、そもそも情報が無ければ知ることすら出来ないし、選ぶことも出来ません。選択肢のひとつになれれば、それでいい。そう思っています。
 
 寄り添うことしか出来ないけれど
 寄り添ってくれた方々のおかげで
 今の私があります。
 与えられた「情報」への恩返しになれば…

 そんな想いで発信していきます。
 
 以下は、10歳の女の子に届けたい光です。
 線維筋痛症が治る病気だと伝えてくれたのは
 車椅子に乗った日本初の全盲の医師でした。


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