地球上のあらゆる生きものへのいとおしさこそゴタゴタの多くを解きほぐすきっかけにならないか
はじめに
生きものの理(ことわ)りについて生化学を中心に興味をもち、末端の研究者として生きてきた。そして「ぎもん」がわいたら実験をつうじてたしかめる。そこでごくごくわずかだが生きものの知見をわたしが世界で最初に知れる。えっ、こんなわたしでいいの? ちょっとしたごほうび。
なんどかこの経験をしたが、そのたびに新鮮なおどろきが心底わいてじんわりする。生きものが愛おしい。最近の地球上のもめごとやゴタゴタがちいさく見えてくる。
自問したい。刹那的でいいのか。教育のたいせつさをいまこそ痛烈にかんじている。
いきものたちの…
ヒト知れずひっそりとくらしている生きものたち。それらはヒトのやることに翻弄されつづけている。環境破壊や温暖化しかり。それをここで大上段にとやかくいうつもりはない。
ただ、「生きものはほんとうによくできているよ。」とだけ聞いてもらえてとどけば。それだけ熱心に伝えたい。生命の科学を学んできていまも研究をつづけているものの端くれとしてひとりひとりにていねいに話したい。
「心底よくできているんだからこれが。」数十億年の地球の歴史のなかで、どれだけの時間を費やしトライアンドエラーをくりかえせば、これだけ巧妙なものができあがるのだろう。
しかも微生物からヒトまで。どれひとつとったっていいかげなものはない。その精緻さに大差はない。センチュウだってヒトだってそんなに差はなく子孫をつないでいける。どの生きものも絶妙なバランスのもとに生きて、洗練されたしくみをそなえて。
はかないいのちだが
生きもののいのちが連綿とつながってきたことに目をむけたい。それをあろうことか潰しあっているなんて。そのいさかいをはじめたのがヒトならば、その他多数のわたしもふくめたヒトでとめられない。
なんとももどかしい。そんなことしている場合ではないだろう。それでなくても黄信号から赤信号がかすかに灯りかけている。
なにもいわないままほろんでいく種もあれば、いま進化の途上であらたに生まれいづる種もある。それだけ多様で順応性もあるはず。にもかかわらず廃れていく圧のほうがつよい状況がつづいている。
そんな環境にしてしまった、感情に支配されてしまったヒトのいとなみ。わたしをふくむヒトでそうしてしまった。これも生きものの進化や退化のひとこまなんだろう。いたしかたないのかもしれないし、これも地球の歴史のなかではすでに織りこみずみなのかもしれない。
でも、あきらめていいのか。
愚痴をこぼすばかりでは
理想論で稚拙だが…。あえて記しておきたい。
もしできるならば進化の連綿とつづいたことへの畏怖の念を心底もてれば、それにもとづく行動はちがうかもしれない。
おもしろさやあぜんとするばかりの巧妙さにほんとうに人類の多くが気づけば、どんな価値のあるものよりもすばらしいものとして位置づけられる。この価値をもっとも崇高なものとしてだいじにあつかい、すべての事象の前提にできるならば、さまざまな話し合いをはじめられそうな気がする。
そんな理想的なことはできるはずがない、もともと無理といわれそう。国連で関連のことを何度決議したって、なにも本質的なことははじまらないじゃないかと言われそう。
すくなくとも、生きものの巧妙さをわかりやすくヒトビトにもっと伝えることこそわたしの役まわり。
おわりに
昨今の状況でわたしたちは世界的な規模でPCR,抗体、抗原、ワクチンなど生命科学の概念を耳にした。もはや多くのヒトビトにとってこの分野の一端にふれた経験は一生わすれないだろう。ということは伝えられるチャンスかもしれない。
生きる尊さや多様性などをもっと理解し、それにつながる行動にしないと。しかも自分たちに直結し、さしせまっているにもかかわらずうやむやにしている「存続」の話をはじめるために。
もう一度書く。自問したい。刹那的でいいのか。地球の生きものについて知れば知るほどいとおしくてたまらないし、ゴタゴタのからまりを解くきっかけにならないか。
