料理に塩を使わなくなってからをふりかえるとアレンジするのがたのしくなった

はじめに
2日まえの記事の、泰祥屋note店さんから頂戴したコメントをヒントに同記事に引き続いてほぼおなじ内容で。
30年ほど持続するということはそれ自体がわたしの特徴になりえるのかも。当時、減塩を医師と管理栄養士から治療の一環と伝えられ、自身もおそらくこれが寿命の決め手だろうと認識。たしかに通院なさる同じ症状を示す方々を見渡すとそうに違いなかった。けっこう深刻な事態と遅ればせながら気づいた。ならばやるしかないと決めて以来の心持ちを中心に。
きょうはそんな話。
気持ちを切り替えられるか
CKDの診断を受けてかれこれ30年。年月の経つのは早いものでこのあいだなんとか生きながらえた。食事療法の指導を受けつつ料理をつくるのは当初はなかなか辛かった。これはダメ、あれも控える、じゃあ代替は⋯とキリがないと思ってしまった。食べるたびに味気なさにため息をついていた。
ところがあれこれするうち、料理に濃い味つけはかならずしも必要ないと気づいた。むしろ濃い味つけの料理のほうが少ないではないか。もともと味をさほどつけずともおいしい「ふつうの」料理を見つけはじめた。たとえば果物はもちろん、野菜の多くも味つけは必須でないと気づいた。
たとえば今頃ならば茹でただけのとうもろこし、春キャベツ、丸ごとのスナップエンドウ、ブロッコリーは何もつけずに素のままでおいしい。これはごくふつうのことなのに「制限」ばかりに縛られたあたまではそのあたりまえにすら目が向かずに余裕がなくなる。
どうやら医療における制限や食事療法をつづける困難さの理由はそこにありそう。わたしが陥ったように物事をせまく考えがちになってしまう。わたしはダメもとで制限をつづけるほうを選んだし、上のように発想を変えてからは苦にならなくなった。
むしろ選べる
他の方のあれこれをもともと気にしない方。だったら食事も独自でいい。なにも味つけを塩にこだわる必要はないと割り切れば、とたんに荷が軽く気が晴れた。減塩に慣れると素材の持ち味が舌でよくわかる。いくつかは上にあげたように素揚げや茹でただけ、蒸しただけの調理法でおいしい料理がかなりある。年中つくってもつくりきれない。
マリネ、ホイル焼き、カレー、シチュー、酢の物、一夜漬けなど作りようによってはもともと塩をつかわずおいしく食べられる。そういうことかと気づけて以来、料理をつくるのも食べるのも楽しくなった。
いまは
30年が過ぎ、いまや塩を意識せずに料理している。わが家の台所に塩の小びんはあるが、1年に小さじ1つを足すだけ。それで用が足る。このところ何の料理に塩を使っただろうかと思い出せないほど。とはいえ塩を目の敵にしているわけでなく、古来の塩づくりは尊びたいし、他の方々には料理で使いたいだけ楽しんでいただければよい。
わたしにとっての塩分は、もともとの食品素材に含まれるだけで過ごせると30年来のくらしと情報収集で知れた。魚介にもミルクにもそれだけの塩分をもともと含んでいる。マサイ族のほぼミルクだけで生きていらっしゃるとの情報に納得できた。塩分にして3グラム/日程度らしい。くわえて近ごろは、加工食品の多くに塩分表示の義務づけがあるのもうれしい。
ハーブやだしの活用
ハーブや香辛料を活用することを覚えたのは大きい。舌が素材の味を感じとれるようになったおかげで、それらを少量ずつつかう楽しみができた。さまざま小びんで購入して試せるのがいい。諸外国で山盛りで売っているのとは対照的。消費量は微々たるものかもしれないが、薄味に慣れた舌にはちょうどいい。
それと野菜の皮などからだしが出ると知れたのも大きい。洗った玉ねぎの皮をはじめ、処分しがちな部分からいいだしが出る。最近は多くのやさいの皮を剥かないで洗っただけ皮つきのまま切ってつかう。こちらも素材のもともとの塩分だけで、スープなどは少量の香辛料を加えるだけでおいしいと知れた。
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