地球以外の星々に生命は宿るのか興味が尽きない
はじめに
宇宙にあれこれ興味を持ちはじめて久しい。おそらくその想いだけは現在活躍中の宇宙飛行士たちとさほど変わらないかもしれない。わたしが大学院生の頃に毛利衛氏ら3名が「搭乗科学技術者」として選ばれた。彼は応募時点で大学の研究者、もうひとりの土井隆雄氏も研究者。そこは強く印象に残った。
数年後、わたしは職につき、宇宙飛行士の募集要項が職場で回覧された。募集の必須項目のひとつに「裸眼視力」とあり、近視のわたしの夢はあっさり潰えてしまい、このまま後方支援する研究者としてお手伝いする機会があったら何かしようと心に決めた。
きょうはそんな話。
夢は
中学生の頃、宇宙に関する新聞記事をもれなく切り抜きスクラップに。とくに当時は火星探査が注目された。それについては別に記事にしている。興味の中心は生命の存在。まさしく火星は地球に準じて当時は火星に生命がいるのかどうかを探ることが火星無人探査機の役割の中心。ニュースや新聞の情報を毎日もれなく確認し「その情報」が伝わってくるのを今か今かと待ちに待った。
当時の探査機(バイキング計画)で得られた結果は何ともはっきりしないまま。生命に関しては明確な証拠は見つからなかった。それでも火星の気象、気候や地形に関する情報だけでも自分としては想像を上回るものばかり。赤茶けた茫漠とした地面が広がるようすはまるでアメリカ中西部の映画の場面に出てきそうに思えた。そして何より遠く離れた場所で、けなげに無人で分析をつづける探査機のようすに心を打たれた。
夜空に向けた望遠鏡ごしに、ぼんやりゆらゆらとかすかに赤みを帯びる火星と、伝送写真によって広大な火星表面のパノラマ写真とが同じものを観ていると結びつけることがなかなかできなかった。いつぞや生命の謎を探る研究をしたいと思ったもの。
生物と化学
わたしが高校生当時は、まだこの国に化学と生物の境界分野を学べる大学はそれほど多くなかった。旧帝大のいくつかと地方大にちらほらあるぐらい。それもそのはず、のちに大学に入ったあとに説明を受けて納得した。2代遡ればその講座の設立時の教授で、その師事した教授の留学先がアメリカやドイツの著名な学者だったり。まだそんな時代。
入学した当初は「バイオテクノロジー」とか「バイオ」という用語はまだ世に知られていなかった。わたしの所属した講座の助教授がアメリカから遺伝子工学の技術を学んできたばかりで、国内のバイオ研究やバイオベンチャーに先鞭をつけたおひとりといっていい。
今の生命◯◯と銘打った講座や学科があちらこちらにある状況とは大違い。当時は、化学にしようか、生物にしようか、はたまた浪人してでも旧帝大を目指すべきかと迷った。ぎりぎりまで化学も生物も二次試験の勉強をつづけるわけにはいかない。決めたのは高3の秋だっただろうか。かろうじて当時その両方を生かせそうな地方大学の講座を見つけて受験、どうにかもぐりこめた。
定年が近づくと
この分野の大御所の先生方の幾人かは、定年が近づくと生命の起源の話をしたがった。この話が出はじめると「定年が近い」とわかるほど。やはり自らが会得した学問において、「生命がいかにして生まれたか」は究極のテーマのひとつかもしれない。
その人なりにもっともらしい説をとなえるからおもしろい。そこは科学者だから荒唐無稽な仮説ではなく、それなりに納得できる面を持ち合わせる。そのときどきの科学の到達点において出し得るもっともありそうな話。
じゃあ、どうやってそれを証明するのかとなると、実験するにしては何億年もかけてやるわけにはいかず、同じ過程を観察するというわけにはいかない。何億年という途方もない年月こそがかぎなのか、それともお膳立てされた環境や物質がそろえば一朝一夕でも可能なものなのか。そのいずれかすら明らかになっていない。やはり星々を巡って見つけていくしかない。
おわりに
地球以外の宇宙に生命は宿るのか興味が尽きない。地球以外の星にもしも生命がいたら、さまざまな生命誕生のシナリオは修正を余儀なくされるし、それ以上にその星の生命のしくみを知りたくなるのは科学者のひとりとして必定。
そう想像するだけでもわくわくするし、さまざまなSFのように妄想するのもいい。もはやだれもがその仮説に取り組むことのできる時代。べつに空想するだけならば実験室はいらない。まだ少年のころの夢は灯りつづけている。
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