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世界各地から届くnote記事からわがクニでのくらしぶりをふり返ってみる

はじめに


 このクニの近い将来、たとえば20年後がどうも見えてこない。これまで勤勉と言われていきた国民性を保つまま、そこそこの規模の「ふつうのクニ」として存在しているのか。安いままの報酬を甘受しつづけるのか、それとも⋯。

きょうはそんな話。

みなさんの記事などから


 note上で世界各地でくらす邦人の方々のようすを知れる。もちろんnoteだけでなくさまざまな方法で知ることは可能。noterのひとりとして書き手の立場で、かつ読者のひとりとしてさまざまな「活きた」情報をいただける。

なかでも現地でのくらしぶりは興味が湧く。物価はどうなんだろうとか、言葉や習慣のちがいはとか、さまざま知りたいことが出てくる。なかでも月々のくらしの費用を将来に向けてこじんまりまとめたいわが身に、もしもほかのクニで暮らしたらと考えるのはおもしろい。

物価と研究と


 話は飛んでしまうが、大学で研究のサポートをしていると海外の暮らしぶり・経済状況などに興味が湧いていた。研究の一環で学術論文を日々目にする。このところめだつのが以前ならば(いまもそうかもしれないが)発展途上国と呼ばれてきたアジアやアフリカなどの研究機関の論文。研究面で発展いちじるしい中国をとりあげるまでない。それ以外のクニグニに注目したい。

すでにそれらのなかにはおそらく国立の研究機関に予算を充てて先進国の研究機関の出した論文かと見まごうばかりの内容とレベルに達しているところを見るようになった。もはや地方大学の一機関でサポートしているわたしにはおどろき。すでに先を行っている。

もちろん特化して予算を注ぎ込んでいる拠点なのかもしれないし、裾野の拡がりという点ではまだかもしれないが、発展の余地がある。おなじことは経済の状況という視点でも右肩上がりのクニグニがめだつ。

地元の方々の買いもの


 物価はどうだろうと目を向ける。地元の方々の生活やお仕事をとりあげたnote記事、あるいは動画サイトなどを見てみる。労働にともなう収益、さらにおそらく現金のやりとりではあるがふだんの買いもののようすなど。

商品と貨幣のやりとりから判断すると、もはや郊外の地方でも日本のわたしが住む地方の半分から物品によっては同程度の額かと思われる。ふだん耳にする経済情報で得たそれらのクニグニの物価とくらべてもさほど矛盾しない。

つまりそれほどわがクニの物価は相対的に安い。こんなに値上がりがつづいているにもかかわらず。すでに地方どうしならばくらしぶりはクニによってはあまり変わらないかもしれない。もちろんそんなクニグニの地方によっては上下水道・電気などの社会インフラの整備はまだまだのところもあるかもしれない。

しかしわがクニでも今後はそれらの維持に支障をきたす事態が出てくるかもしれない。働き手はおらず、技術の承継も難しい場面が想像される。

充実度


 なにをもってしあわせとみなすかはヒトそれぞれ、クニによってもちがうだろう。だがものの考え方、捉え方は明日のほうがもっとよくなると考えているとちがうだろう。このクニが混沌のまま・足ぶみしたまま30年、40年と過ぎようとしているあいだに、諸国は地道に発展をつづけてきた。

まだまだのところもあるが勢いがつけば後は早いかもしれない。一足飛びにさきへ行ってしまうかもしれない。

おわりに


 クニの内外と区別して見ることはないのかもしれない。わがクニの状況こそどうあるべきかをもう一度捉えなおす時期なのは当然。そして世界のなかでどんなクニの姿がいいのか、めざすクニのすがたをいま一度思い描きつつたしかにむずかしいところにいるのかもしれない。


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