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noteやブログをつづけて気づいた文章をもっと読みやすくできるところ


はじめに

 文章をたくさんつくってきた。論文を20年、ブログ10年、そしてnoteを1年半。それぞれ着手したころを読みかえすのはじつにはずかしい。

この記事自体もまだまだ練れてないし、もっとわかりやすく読みやすく書けないかなと思う。先月にそんな記事を書いた。

それからさらに気づきの一端を記したい。

むかしのほうが…

 このあいだ書棚を整理していると中3当時の文集がでてきた。ガリ版刷。なんとまあ整然としてしっかりした文章。気負いやてらいなくすなおな表現。文字どおり自画自賛。それにくらべていまのわたし…。中学がわが身のピークだったんだ、おそらく。

ぱらぱらめくってクラスメイトの何人かの文も読んだが、それなりに時代の雰囲気がかんじられ興味ぶかい。いずれもしっかり書けている。中3ってこんなに書けるものなのか…。あらためてぼうぜんとなる。

おなじころの作家たちの作品を読みなおすと、その時代の文章があるようだ。その当時のふんいきをどこか醸しだす。逆にいつ読んでも目新しくみずみずしい普遍的な作家の文に出会うことも。こういうのが名作で時代をこえて残るんだろうな、きっと。いくつかあたまにうかんでくるが、ここではきりがないのでとりあげない。

さて、この記事の主題はわたしのさいきんの駄文。中学時代を頂点としてそののちはムダやヘンないいまわし、クセがくっついただけではないか。暗然とする。これではいけないとたびたび修正する。なんどもそれをくりかえしている。

ライティングのころから

 転職してしばらく、ちまちまとライティングの副業をしていた。業務委託で文章を書いていた頃は、担当者からさまざま指摘を受けていた。何人ものそうしたプロの方々からアドバイスや注意を受けられるのは役得。どれも納得。

そのたびにつたないわが文を修正。なるほどとおもいつつ手をいれた。指摘がすくなくなると本業の方がいそがしくなる。ライティングからはなれてしまったが、のちの学習サポートのしごとに活かせた。わかりやすい文章を意識する点で。

ムダやあいまいさとは

 恥を承知のうえでわたしの過去の記事からみごとな駄文をひろいだしてみよう。

1.むだな接続詞や指示語。
 
さっそくみつけた。なんとこの記事の下書き文。文章自体も練れてないがそこは置いといて…。

 さて、この記事の主題はわたしの駄文。中学時代を頂点として中途でムダやヘンないいまわし、クセがでてしまう。そのたびにこれではいけないと気づいて修正する。なんどもそれをくりかえしている。

木山仁note本記事下書きより

➡太字をはぶいた。

さて、この記事の主題はわたしの駄文。中学時代を頂点として中途でムダやヘンないいまわし、クセがでてしまう。これではいけないと気づいて修正する。なんどもくりかえしている。

さらに修正。

さて、この記事の主題はわたしのさいきんの駄文。中学時代を頂点としてそののちはムダやヘンないいまわし、クセだらけ。暗然とする。これではいけないとたびたび修正する。なんどもそれをくりかえしている。

うん、このほうがいいじゃん。

2.漢字のつかいすぎ

 よくもまあ、こんなに漢字をつかって書いてたなんて。漢字で「黒っぽい文章」はきっと読まれないだろうなあ。

新入試に関しては国がどういう方針でくかうつろいでいる状態です。すでに初年度をえるはずの生徒たちが、中2になろうかとしているなのにです。東京オリンピックの開催されるじ年に日本の入試制度は根本からわるとされています。

木山仁note記事より

➡ひらがなにして、さらにかえた。

東京オリンピックとおなじ年に日本の大学入試はかわる予定です。国は新入試についてさまよいつづけています。あらたな試験を受ける生徒たちがすでに中2をむかえる時期なのに。

まだまだある。

3.なにが言いたいのかつたわらない長すぎる文。

諸外国にひけをとらない技術力の基盤となる発想力や人間力を「学力」とみなして検査するこの新入試では、科目の枠にとらわれない問題が登場しそうです。

木山仁note記事より

➡かえてみた

発想力や人間力を「学力」とみなして検査する意図がみえます。技術で先をいく国々で重視されるこうしたちから。従来の科目にとらわれない入試になりそうです。

おわりに

 ほんのちょっとみなおしただけでこんなにある。しかもほんの数例にすぎない。なんかきりがないぐらい。考えも浅いし。それでもよみやすくする努力はつづけようと思う。


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