デジタル教材と従来の紙のテキストを併用した学習について感じること
はじめに
学習するうえで、デジタルの教材や動画サイトなどこれほど多様な状況はかつてないほど。はたして児童・生徒にどれほどの頻度でこうしたデジタル教材を使っていいのか。サポートする立場で慎重に推移を見守っている状況。
きょうはそんな話。
つかいくらべて
たしかに高校生や大学生をサポートして感じるのは効率性や資料検索の容易性は明らかにデジタル教材にメリットを感じる。あきらかにおとなの世界では捗るし効率がいい。だが効率とひとことで言ってもさまざま。
はたして小学生や中学生の学習を同列で考え、あてはめてよいのか。たしかに先生の多忙を代替するメリット、個々の児童・生徒の理解度のちがいに合わせられるメリットは感じられる。
一例をあげると
「漢字を覚える」作業。えんぴつで書いて、声に出し、音を聞いて、読めて、文中での意味を理解して、五感を駆使してようやく自分のものとして使える。これらの作業をくりかえしや機会をあたえて定着させていく。ほぼ無意識につかいこなせるまでにはそうした一連の作業が求められる。
その手はじめがデジタルだったらどうだろう。タッチパネルをなぞる作業ではたしてしっかり定着するものだろうか。従来のえんぴつでたんねんに1文字ずつ順を追ってノートのマス目を埋めていく作業とどれほど置き換えてよいものか。あるいはそのままのこすべきなのか。
経験から
わたしはこのところ漢字の「書き」があやしくなった。キーボードでローマ字入力で変換キーを押すと候補の漢字が出てきてしまう。そこから的確に候補を選択できるのはかつての手作業が資産で活きているから。ペーパーレスでしかも腱鞘炎をわずらい手書きをしない。もはや中学レベルの以前なら難なく書けていた漢字のいくつかをぱっと思いつかない。
この状態はあることを危惧することにつながる。今後AIを活用して文章案をつくってもらい、それを使い手のヒトが承認するかたちをとるとして。それはもしかしたらわたしの漢字の例と類似してもはやかんたんな文章すらきちんとヒト単独で書けなくなってしまうことを意味しないだろうか。考えすぎかもしれないがそれはこわい。
なにも道具を持たない状況でこそ
こう考えてみるとどうだろう。手もちでなにも道具がない状況でデジタル教材でしかある単元を教えた経験がない教師と児童がいるとする。はたしてどんな授業が展開されるだろう。デジタル教材は、従来のさまざまな教材教具の上位置換ではかならずしもないのではなかろうか。教育にたずさわりいまはある意味で過渡期。極端になってしまうことはどうもなさそうな気配。
手段と目的をはきちがえてはならない。もしかしたら今あるデジタル教材の多くは一過性の道具にすぎないかもしれない、のこるのはほんのいくつかの単元向けの部分的な道具にすぎないかもしれない。
どちらにも対応できることこそ
北欧のある国では教育の場面での脱デジタル化を進めつつあるという。調査から効果がみられないとの結論から。
ここで結論はださない。わたし個人で科学的なデータをもちあわせていないなかでいろいろ断定的なことをいうべきでないのはもちろん。だが、ひとことでいうと、いずれも対応できる教育者でありたいということ。かたよりすぎず、その場その時に臨機応変につかいわけて教えられる、支援できることこそたいせつでは。
おわりに
教育面での脱デジタル化へ向かおうとする北欧のクニのうごきもある面で納得できる。さまざまなメリット・デメリットの両面をあわせもつ。やはりまだ不十分なのかもしれない。そのつかいわけはなかなかむずかしい。
いましばらくは行きつもどりつの様子見で用心しながらつかうのがよいのかもしれない。
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