ある程度だけ下書き記事をストックしないといそがしさで自由な時間がとれないとわかった
はじめに
noteへの下書きストックを減らしたほうが記事の鮮度がおちないと記したばかりで早くも朝令暮改。
12月もなかばをすぎて急にいそがしくなり、せっぱつまってきた。それにともないnoteへの投稿がおぼつかない。ストックを減らすのはもっとあとにすればよかったと後悔したがあとのまつり。
きょうはそんな話。
下書きする
やはり日本語はむずかしい。半世紀以上生きていまなお思うように操れない。どうにかnoteへ投稿をつづけるうち、すこしだけつらつら考えるスピード近くまで入力作業できるように。あとは内容。こればかりは小人の行動範囲ではどうにもならない。「木山氏の動向」と記したところで、もはや世のなかにとってはなにも有益なことはない。
そんなことはどうでもよく、なんとか日本語をすこしでもよくしたい。願いであり、さまざまモノを書く機会がおとずれるたびに思うこと。懸案。したがって時間がかかろうともやりたいし、つづけたい。そこまでとどかない以上は下書きして見直しをする手順は必須。
見直す
たいてい翌日には下書きに手をいれて投稿。今回、ストックを使いはたしぎりぎりになり、これはなかなかたいへんだと判明。このところ投稿が毎朝8時を過ぎるのはそのため。もっとストックをふやしたほうがいいと反省。余裕がなくなると記事の内容はもはやスカスカ。せめて3個ほどは持っておきたい。いそぎのしごとは容赦なく飛びこんでくる。ここ数日はスキマ時間が確保できない。
べつにnoteを記すのはノルマでも義務でもない。本人のきもちひとつで自由にやればよいこと。それでも毎日の歯みがきのようにやりつづけている以上やらないと気持ち悪いし、どうにもこころもちがおさまらない。
自己評価
昨日、note運営の方からこの1年のnote上での総括をいただいた。ありがとうございます。

なかみを見てみる。へえ~この記事がいちばんよく読まれたのかといっとき感慨にふける。写真がいつもより「まし」なおかげだったかなあとか、まだ博士のことは世間ではあまり知られていないのかもと思う。これらが「自分」がもっとも「出やすい」独自な点なのかもしれない。この方向であと2,3記事が書けるかもとふと思った。
じつに他愛なく、何にもとらわれずに日々から題材をえらんで記す。手もとに近いものから選んでしまいがち。ちょっとだけ遠くの離れたもの、いままで避けてきたものもそろそろ記していい。ただし用心しないとわたしのこと、暴走しかねない。
年末点検
話は変わり、てもちの車はすでに12年。そろそろガタがきておかしくない。もちろんメンテナンスや部品交換等をわりとしてきたつもり。それでもいつなんどき故障したり不具合が生じてもおかしくない。
ふりかえって運転者のわたしとておなじ。いつ予想しないことが生じるかもしれない。記事のストックどころでない。あらかじめそなえるにはどうしたらいいか。きのうの晩にはじめてそうした場合のサービス付き賃貸などを検索してみた。
はたして今後(もちろんしばらくのちのことだが)手もちの範囲で入れてもらえるものだろうか。それよりも空き自体が存在するだろうか。わたしのひとつ上の世代の方々はたいへんだと聞く。
おわりに
まだすこしだけさきかもしれないがふと不安がよぎる。いまから心配してもしかたがない。不安にならずに済むようにみずからうごいてすこしでも身のふりかたに融通がきくようにはたらいてまわりをかためていかないと。もう1回ぐらいはひとりぐらしの賃貸でだいじょうぶそう。
noteはこんなふうに自分を見つめなおすのにおおいに役立っている。感謝。
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