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記事のストックをつくりすぎるとわたしの場合には内容の鮮度がおちてしまうような気が…


はじめに

 ここ数か月のあいだ。こんなことをしていた。それは失念したときや、急にいそがしくなったときにそなえてnoteに投稿する下書きをためる作業。たまに生じるすきま時間にちょうどいいとはじめたのだが。

きょうはそんな話。

時間の活用

 どうしても予定どおりにすすまないしごと。むだに時間を消費するよりもなにか気分をかえられるように有効につかえないかとみわたす。あるじゃないか。そう、noteの記事を書く作業。これならばすこしはマシでは。忙しいときほど記事をあげたくなるもの。とはいえつかえる時間はかぎられる。そう思いすこしずつ記事をためればいいと気づいた。

さまざまな場面でけっこう時間をもてあます。予定をゆったり組んでいるのか待ち時間が多い。そこへその作業を充てた。記す材料はいくつもあるわけではない。2つ、3つ浮かぶとそのうちのひとつはわすれてしまうか、忘れたことさえ気づかないまま重複した内容で書いてしまう。

時間のストック

 こうして忙しいときにそなえ、いわば「時間をストック」できたと悦に入っていた。ところがどうも下書きを読み直すとしっくりこない。とくに季節のうつろいに関する内容。ほんの1週間ほど下書きとしてためおいたのちに清書して掲載するが、それでも時間の経過は否めない。

もはやずれてしまいピントがズレた感じ。下書き時点ではぴったりだった文面を修正しとり繕う。多少ぎこちなさを残し妥協の産物として掲載。

いっそのこと

 そんな「古さ」をふくむものはいっそのことボツにして、来年のおなじ時期にむけてねりなおすほうがいいのかもしれない。季節はいずれめぐるもの。その時どきで気づけるかどうかわからないほんのささいなものが多い。来年気づけるかどうか、そのとおりになるかなんてわからない。いったん日づけをつけてボツファイルにしようか。

こんなことをすると2度と日の目を見ないままになるかも。それも惜しい。せっかく短い時間とはいえどもそれなりに集中して書いたオリジナルの文章。自分から生み出たにちがいない。いままでやってきたよりすこしだけストックを減らしほぼ3,4日後に掲載しようか。

ぎりぎり近くに

 ストックの数をすこし減らすと季節の進行のギャップをすこしは埋められるかもしれない。それ以外の記事についての「ずれ」はどうしよう。これも多少ある。以前のように1週間まえに思ったこと・考えたことをのちに清書するから、どうしてこんなことを考えていたのだろうとさらに過去にさかのぼり思い返しつつ清書するわけ。

いちいちふりかえるぐらいならば、一から書きなおしたほうがよかったり、まったく最初からべつのものとして書いたほうがよかったりする。

おわりに

 noteを3年あまりつづけてきたわけだが、ひとつだけいいことがある。それは自らのあたまのなかの思考のスピードと文字を入力するスピードがぴったり一致したこと。これは大きい。その理由はいうまでもないがストレスのないこと。

もちろんつらつら書くのでのちの修正は必要。それでもふだんどおりのあたまを使うまま記されているので、もはやそれはじぶんそのもの。これは自らを省みるのにちょうどいい。それが知れたことにnoteに感謝したい。


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