朝の学習サポートの準備をしながらふと思うこと
はじめに
毎週、生徒たちや学生さんたちの学びのサポートをしながらいろいろと思う。この手順が最適だろうか、そろそろサポートのやりかたがマンネリになっていないだろうかとか。きっと万人向けのこれだという決め手の方法はなく、ヒトそれぞれの特性に合わせて臨機応変にやるしかないのだろうなという結論におちつく。
きょうはそんな話。
わかりやすさと段階と
手前みそになってしまうかもしれないが、わかりやすいとの感想をわりといただく。学習サポートの教室に訪れる生徒たちがそんなふうに言う。ここでだいじなのはそれで定着するかどうかのほう。わかりやすくするだけならなんとかなる。一時的な理解のみならばなにも苦労はいらない。
だいじなのはそれでつぎにおなじことをたずねて答えられるかという点。理解して考えの筋道ができていればなにも丸暗記せずともちょっと間をおくぐらいで答えられる。自分の言葉に消化したうえで、つまり頭に仕舞う場所の整頓や、置き場所の表示をやっていれば導き出せていちばんいい。
理解へと
だがその感覚を身につけるのはヒトにとってはなかなか容易でない。どうしてもわたしの伝えた言葉どおりを丸のみして、つまり理解があいまいなままでそのままを覚えようとする。これではニンゲンだれでも忘れてしまうもの。
忘れるのはなにも悪いことではない。ヒトならばだれでもそう。そうでなくてわたしが伝えたことを自分なりのことばにして理解すると、つぎに問うたときにこたえを引き出しやすくなる。
わかりやすいだけでは
したがって「わかりやすい」とのわたしへの評価はむしろ注意が必要。いい気になってそのまま「教え」つづけると思わぬしっぺ返しをくらいかねない。これは何度も経験してきたのでその手には乗らない。あっさりわかったという顔を生徒がしたときほど要注意。すかさず同様の問いを投げかけて理解のようすをたしかめる。
おそらく「わかった。」と言ったのに、なぜおなじような質問をしてくるのだろうという顔になりがち。それでも敢えてその生徒が使いそうな言葉にして2度ほど確認する。くどいと思われるかもしれないがそれでちょうどいい。数日後や1週間後に忘れていないか、引き出せるかどうかチェックしてみる。
地味な作業
その多くは地味で場合によってはあまり気が乗らないかもしれない。それをここに来たばかりの勢いに乗じてやってもらう。できるとそれでもほっとした顔になる。ここでようやく「よくできたね。」のひと言をかけると、のこりの時間がはかどる。
まなびの大半はこうした地味で、しかもすこしだけくどくてそれに向かうエネルギーを要するもの。整理運動や野球のキャッチボールで終わるような感じ。そのタイミングでつぎのための前向きになれる言葉をかけるのがサポート役のわたしのしごと。
おわりに
大半は静けさのなかでの作業。端からみるとほんとうに地味にやっているように見えるかもしれない。このかたちのまま家でも学校でもおなじ心持ちでやれるといちばんいい。試験でもふだんの宿題をこなすときでもそう。同じきもちでたんたんと行うのがなにより。その態度やあり方を学びに来てもらっているとも言えそう。
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