3分ほどで読める・話せる長さ、つまり1,200字ほどがつらつら記すにも読むにもちょうどよさそう

はじめに
noteを4年半つづけて思うこと。それ以前のブログ時代からほぼ踏襲してきたことがある。それは記事の文字数。数えなくてもほぼ原稿用紙で3枚ほど。これが意識せずともちょうどいいとわかった。
きょうはそんな話。
(写真はくちなしの実:きんとんの色づけなどに使う)
2021年4月から
ふといつからはじめたかとnoteのマイページの「月別」をふりかえる。流行り病のワクチン接種がはじまった年とわかる。まだまだ予断をゆるさない頃。「PCR」とか「変異株」など、わたしの仕事の分野の言葉を世のヒトビトの多くが知るようになった。
そんなころからはじめたのかとあらためて思う。noteを知り月日の経たないうちにウクライナのできごと。記事を書きつづけてよいものかといったん中断。いや、やめなくてよいふだんどおり過ごすべきと思い直し、再開したのは4か月後。ヨーロッパでの戦いはいまもつづく。
ほぼ休みなく
それから3年4か月のあいだほぼ休みなく記事掲載をつづける。つたない記事ながら世に出すということは、読者の方々がいらっしゃる。お読みいただくうえでご負担になってはと3分ほどで読める1,200字をメドに記す点は最初からおなじ。都会ならばふた駅分ほどの乗車時間。毎日なので記す側のわたしとて負担にならない程度の長さがたまたまこの程度だといえる。
ふと毎日のなにげない行動、目の向く風景、顔なじみや日常使いの道具、そんな些細でとるに足らないことがらを意識にあげて表現したい。わたしなりにとらえたものを文字にしたい。だれのためでもなく生きるままというか、とめどない意識をそのまま文字にしておもてに出す。
つたないまま
うまく表現できているとはいえないし、思うごく一部も表現できていない。それなりに自己満足の日はある。何年か前の同月同日になにを考えていたのか知れるのは興味深い。その日のほうがものごとをよくみつめていないかと自問自答する。
この作業を通じて、もうすこしだけがんばろうかのきっかけができるし、慎重すぎないかとか、ここはこうしたらの声を自分にかけたくなるときも。
日記がかわりだが、さりとて
公開する以上は各方面に失礼があってはならない。その点で身バレするとさまざまな点で気づかないうちに問題を生みかねないし、自由度は制限されかねない。ペンネームをつかうのもそう。検索すると著名な武道家の方と被ってしまうが。それを知らずに決めた名前。
自由に書くからこそ何に気をつけるべきか、つかう写真はどうあるべきか、情報元の明示はとつねに注意をはらう。ほかのみなさんの記事を参考にはしない。影響を受けても真似は器用でないのでできないしやろうとも思わない。つたなくてもそのままやりつづけようと思う。
おわりに
はたして4年半でなにか変化したか。ひとつだけいえるのはあきらかに浮かんでながれていく言葉をそのまま入力しやすくなった。これはまちがいない。それから手持ちの少ない語彙でも適した言葉をえらびやすくなったかも。まだまだつたないからつづけていきたい。
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