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私は饒速日命に命を救われたのかもしれない。今度は“饒速日命の命”を復活させる番だ。

私が神社巡りを始めた2014年。

その年の秋口、大阪・交野市の磐船神社で、一人で“岩窟めぐり”をしていた女性が転落し亡くなった、という事故の報道がありました。その現場の岩窟が報道の映像で流れていて、私は当時それを見て、息を呑みました。

その日からさらに遡ること数年前、この岩窟を夢で見たことがあったからです。

暗い岩窟の中で、生物が空中に漂っていました。体は蛇のようで、頭だけが人。顔は老人のようでした。その生物は何も言わず、悲しげな目でじっとこちらを見ていました。ただそれだけの夢なのですが、やけに印象的だったので覚えていたんです。

AIで再現した夢の光景

夢で見たその場所が磐船神社の岩窟だと言える確証は無いものの、非常によく似ていました。

磐船神社について詳しく調べると、饒速日命を祀っているということがわかりました。私が饒速日命という神を意識し始めたのはこの時からです。

そこで実際に磐船神社に行って、感覚的にいろいろ確かめたいと思いました。しかしこの死亡事故を受けて、神社の管理者が単独行動での岩窟巡りを禁止するという方針を打ち出したため、今日に至るまでまだ一度も磐船神社に行っていません。

ただ行くだけなら、誘える人はいます。誰もいなくても、神社の管理者が岩窟巡りに付き添ってくれるそうです。

でも私は、気になった場所では時間や他人の存在を気にせず、一人で気の済むまでぼーっとしていたいんですよね。同行者がいると、気にしないつもりでもやはり頭のどこかで「待たせるのは悪い」という思考が生じて気が散ってしまいそうなので、基本的には一人で行きたい派なんです。

特に磐船神社は夢で見た場所かもしれず、初回は完全に無心になれるよう一人で行きたい。いつかこの一人参拝禁止ルールが解かれるかもしれないと思いながら待っていたら、12年も経ってしまいました。


ですが、実は磐船神社に行かずとも、私は自分で気が付かないところですでに饒速日命と深く関わっているのでした。

これは愛知県の古社である猿投神社に1300年前から伝わるという古地図の写しです。尾張の濃尾平野は1300年前は海で、いくつかの島が点在していたことがこの地図からわかります。

中央に中島郡一ノ宮とありますね。私はかつて島だったこの中島郡(現在は稲沢市)で生まれ育ちました。一ノ宮というのは、2600年の歴史を有するとされる現在の一宮市の真清田神社を指します。その祭神が天火明命。饒速日命の別名です。

今年に入って転職先が見つかり今現在そこで働いているのですが、その職場が、偶然にもこの真清田神社のすぐ近くでした

また、これは20年ほど前の話になりますが、私はかつて現実世界の何もかもが嫌になって一人で関東に逃げて、一年間ほど貯金を食いつぶしながらほぼ引きこもっていた黒歴史があります。その時に住んでいたのは埼玉県所沢市のボロいアパート。

当時はまだ神社に全く興味がなかったのに、なぜか神社に行きたくなりました。病んでいたし、自分でも当時何を考えていたかよく思い出せないんですが、どこかに救いを求めていたのかもしれません。

その時に行ったのが、所沢市の北野天神社です。ここは三社の相殿となっており、最も古い神社は饒速日命を祀る物部天神社。ここも少なくとも千年以上の歴史がある古社です。

もちろんその頃は祭神が饒速日命だとかそんなことは何一つ意識していませんでしたが。この神社参拝のおかげなのか、少しずつ気力が回復し、以前のように“普通の人間のふり”をして、東京の会社に就職して社会復帰しました。今から思えば、饒速日命に救われた命なのかもしれません。

という感じで、私は自分で意識してもいないうちから、なんやかんやで饒速日命とは縁があるようなのです。


あの夢に出てきた、蛇の体をした老人は、饒速日命の仮の姿なのかもしれない。なぜ悲しそうな顔をしていたのか、今ならわかる気がします。

見えるのは、海に浮かぶ島々のビジョン。それぞれの島の住人は、他の島に依存せず自律的に暮らしながら、かつ他の島々とも並列でつながり相互に影響を与え合っている。

過去記事「古代人に学ぶ創造的社会の造り方

かつて物理的に海に浮かぶ島々だった尾張の国。これから精神的な島々の時代へと移り変わっていきます。

次世代の社会の在り方として注目されるDAO(分散型自律組織)ティール・パラダイム(生命体型組織)

これらを理屈で理解しようとすると難解です。本を読んで理解したつもりにはなれても、具体的にこれらの理論を組織変革に応用するとなると、何をどうしたら良いのかわからないと戸惑う声を方々で耳にします。

それもそのはずで、例えばティール組織論の提唱者であるフレデリック・ラルーの著書を読むと、ビジネス書や経営論と言うよりはむしろスピリチュアル関連本のような記述が並んでいます。こんな感じ。

超越した意識

進化型ティールの段階に移行した人々は、エゴが単に人々の一部にすぎないことを分かっている(一部の伝統的な思想ではこれを「小さな自分」と表現する)。エゴがもし意識における一つの客体だとするなら、それを意識している主体はだれなのだろうか?それは彼ら自身のもっと深い一部、魂、あるいは「大きな自分」だ。

これに気がつくと、この段階にいる人々は全体性ホールネスを探し始める。「小さな自分」と「大きな自分」を合わせた自分自身のすべての部分を統合するのだ。時に、瞑想を通じて、あるいは単に運が良いと、人々は大きな自分さえ超えた至高体験をし、絶対的な物、自然、神と一体化する。

「ティール組織」p515

中央集権型モデル思考に馴染みすぎている現代人の意識が、ラルーの言う“超越した意識”を理解し馴染むのには、まだかなりの時間と、“ティール意識の場に触れる経験”が必要になるでしょう。

それは、二〜三千年前に封じられた古代人の精神性そのもの。世界のどんな民族よりも、日本人がそれを一番よく知っているはず。知らないのは、単に忘れているだけなのです。それを復活させることが、私にとっての”饒速日命の復活”であり、恩返しでもあります。

そしてそれは、これまでのようにカリスマ的な強い影響力を持つ一部の人によって導かれる形ではなく、どこにでもいる無名の人によって構成される、とるに足らないような小さな変化からはじまり、それが「一部であり全体」となります。

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