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天皇と皇帝の決定的な違い|饒速日命・瀬織津姫の霊統を継ぐ尾張氏の使命|令和の竹取物語#4

今回は伊雑宮の話の続きを書こうと思っていましたが、急遽内容を変更して尾張氏について書くことにします。

今月17日、尾張氏の墳墓である断夫山古墳を見学してきました。

事務所で墳丘に入るための申請書類でも書くものと思っていたら、そういうものは無く、職員から簡単な説明と注意事項の伝達があっただけでした。
真冬とは思えないぽかぽか陽気のなか墳丘に入らせて頂き、他の参加者と一緒に古代に思いを馳せることができました。

断夫山古墳は古来より、日本武尊ヤマトタケルの妻である宮簀媛ミヤズヒメの墓と伝わります。ただしそれは伝説上の話で、歴史学上は、第26代継体天皇の最初の妃、目子媛メノコヒメの墓である可能性が指摘されています。

もともと尾張氏の祖神の一柱である高倉下タカクラジ天香山命アメノカグヤマ)についての話を書くつもりでいたのですが、思わぬ形で新たな解釈が私の中に芽生えました。

断夫山古墳に行った日の夜、ぐっすり寝ていたところ、午前4時頃に突然目が覚めました。その瞬間、高倉下や宮簀媛、目子媛などの名は、すべて深い意味のある暗号であるビジョンが私の脳内に展開されました。

それは例の“もう一人の自分”が脳内の配線を組み替えて、情報の点と線を結びつけていったかのような、一瞬のひらめきでした。

そのひらめきをベースとし、既存の知識を交えて考察を練り直した結果、尾張氏の霊的な使命とでも言うべき結論に辿り着きました。

不思議なひらめきが降りたからと言って、無論この解釈が正しいとは限らないので、眉唾ものとして読んでくださいね。

それでは書いていきます。

高倉下と宮簀媛に象徴される尾張氏の暗号

高倉下は、系図上は尾張氏の祖神である天火明命アメノホアカリ饒速日命ニギハヤヒ)の子であり、神武東征神話に登場します。

紀伊の熊野から大和に向かっていた神武天皇とその軍が、悪神の毒気にやられて倒れてしまいます。高倉下が夢のお告げに従って神武のところへ行き、霊剣・布都御魂フツノミタマを献上すると、たちまち元気を取り戻した、とされています。布都御魂はその後、石上神宮に祀られました。

死人まかりしひと蘇生の祝詞の件でも触れたあの石上神宮です。

宮簀媛も、系図上は天火明命の遠い子孫に当たります。
日本武尊ヤマトタケルの妻として霊剣・草薙剣を預かっていたが、日本武尊は草薙剣を持たぬまま素手で神との戦いに挑み、死んでしまいます。その後、宮簀媛は草薙剣を熱田神宮に祀ったとされます。

以上の話から、高倉下と宮簀媛の共通点をまとめると

・天火明命の子、または子孫
・自らが王や英雄にはならず、支える事に徹する
・霊剣を預かる者

となります。


高倉下の「高倉」はおそらく、天皇という位を表す高御座たかみくらを指しています。皇位継承の儀式に用いられる高御座も物質的に実在していますが、重要なのはその精神的象徴性、くらです。

高倉下とは、この高御座の下の者。つまり表舞台で活躍する王を、見えないところから下支えする裏の者という意味になります。縁の下の力持ちというわけです。

宮簀媛という神名にも同じ象徴性が隠されています。
神話において「宮」とは建築物ではなく、神や王権が顕現する場を指します。「簀」は、上に何かを載せるための支持構造を指す言葉です。縁の下の力持ちとほぼ同じ意味の、簀子すのこの下の舞ということわざもあります。

よって、宮簀媛という名も、高倉下と同じく「下支えする者」という意味になります。御嶽山や玉置山に祀られる国常立尊や、海外に目を向ければ、ホピ族に伝わる地底の住人アントピープルなども同じ意味であるように私には思えます。

高倉下と宮簀媛が持つ霊剣の意味

彼らが持つ霊剣は、意味的には、旧約聖書に書かれているモーセの海割り神話の象徴性を剣に置き換えたものと言えます。

モーセの海割り神話において“海”は混沌の象徴です。それを割るのは、ことわりによって秩序を構築することを象徴しています。分析や分類という言葉に「分」という文字が入っている理由を考えてみれば明らかなように、意味・論理・言葉・法を作り出すのは分ける行為です。

具体的には、古代ヘブライ人の目から見て、エジプト人やカナン人の信仰が迷信化し災いの種となっていた混沌状態から、理性によって神の概念を定義し、新たな神の秩序体系を生み出したことを「海を割る」と表現しているんですね。

ヨハネによる福音書は“初めに言(ことば)があった”という文から始まります。この“言”は、ギリシャ語のロゴスを訳したものですが、ロゴスは日本語で一語に訳す事が難しい言葉の一つです。少なくとも「ことば」と訳しただけでは情報として不適切ですね。ロゴスについて、ヘラクレイトスは「万物を貫く法則・秩序」、アリストテレスは「感情パトスや欲望と対になるもの」「人間を人間たらしめる理性」と表現しました。

人間は通常、顕在意識によって認識し得るものしか認識できません。その認識したものを理解し、名をつけていく。名付けによって他者との共通認識が生まれ、共通認識が社会秩序の構築につながる。そういう意味での理がロゴスです。

剣はまさに“斬るもの”なので、わかつもの=ロゴスの象徴としてこれ以上ふさわしいものはありません。

高倉下と宮簀媛に象徴される尾張氏は、王や天皇に霊剣を献上する役目。彼ら自身が主の座に居座ることは決してありません。なぜなら彼らは、霊的に高位であるからこそ、ロゴスの世界である顕世うつしよにおいて、主(王や天皇)を下から支える使命を己に課しているからです。

崇神王朝と天照大御神の時代

尾張氏の同族に、海部氏があります。籠神社の宮司家として知られる海部氏ですね。

天火明命(饒速日命)と瀬織津姫は、天照大御神を皇祖神とする天皇家が誕生する以前の日(主)と月(従)の夫婦神であることを、これまでにもnoteに書いてきました。

籠神社の御神体は、二枚の神鏡。饒速日命(日神)と瀬織津姫(月神)の二柱の象徴です。

籠神社の真南にある日前宮の御神体も、八咫鏡と同等とされる二枚の神鏡です。意味は籠神社の御神体と同じと考えてまず間違いありません。日前宮の祭神である日前大神は、文字通り“前の日神”、饒速日命を指しています。

朝廷が少なくとも平安時代まで、日前大神は天照大御神と同等の神であると認めていた事からも明らかです。瀬織津姫は表向きには隠されてしまっていますが、日前宮は二つの宮が揃って一つである事から、明示はされていないだけで、今もきちんと祀られてはいるのです。


古墳時代に大和盆地一帯を支配したと考えられる崇神天皇によって、饒速日命の時代、つまり“前・天照時代”は終わりを告げました。

饒速日命・瀬織津姫を祖神とする一族(のちの尾張・海部氏)は、崇神の一族と武力で争うのではなく、自ら崇神天皇の下に降ることで、霊統を保ったのです。この解釈は神話の記述とも矛盾しません。
神話には、ナガスネヒコが神武天皇(実際には崇神天皇)との戦いをやめようとしなかったため、ナガスネヒコの主である饒速日命が自らナガスネヒコを処し、天皇に忠誠を誓った、と書かれています。

ナガスネヒコが戦った相手が崇神天皇であると言える理由についてはこちらの記事を参照👇

饒速日命を祖とする一族には「勝算」があったのですよ。戦わずに勝つ勝算がね。武力で戦うのは霊的弱者の証であり、武力紛争になった時点で負けです。戦わずに勝つは合気道の精神。植芝開祖の言葉を借りれば、宇宙と一体化する正勝吾勝勝速日の精神です。

合気道の極意は、己の邪気をはらい、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我はすなわち宇宙」なのである。
そこには速いとか遅いとかいう、時間の長さが存在しない。この時間を超越した速さを、正勝吾勝勝速日という。正勝吾勝勝速日とは、宇宙の永遠の生命と同化することである。

植芝盛平語録

目子媛の暗号

以上の仮説は、断夫山古墳の被葬者とされる目子媛の謎にも繋がります。この目子媛メノコヒメという奇妙な名は、天照大御神と月読命が伊弉諾イザナギの左右の目から生まれた神話に由来すると考えられます。

上述したように尾張・海部氏は、あえて天皇の座にはつかず、天皇家を裏から支える使命を自らに課した豪族です。霊的に高位であるからこそ下に潜る。

ですから当然、日月の霊統の継承者であると自ら名乗ることもありません。名乗ってしまったら天皇家と正統性をめぐる摩擦が生じてしまいますからね。

名乗らず、曖昧なままにしておく。目子媛が日月の霊統の継承者である旨は、天皇も、他の豪族も、誰も口には出さない。それを口にすると天皇の血統が揺らぐため、霊統は輪郭を持つ形にしないこと、暗黙の了解としておくことが重要なのです。

本来は饒速日命・瀬織津姫の二神の継承者ですが、他の豪族たちの顔を立てる形で天照大御神と月読命に置き換え、見る人が見れば「日月」の暗号であることが分かる、しかし意味が露骨すぎてもいけない。そんな繊細な条件のもと考えだされたのが、神の目の子、目子媛という名です。

血統は天皇家が継ぎ、霊統は尾張・海部氏が継ぐ。これこそが、天皇家が世界一長く続く皇統である秘訣だと思います。もしも正統性の証が外国と同様に血統だけなら、血が薄いというだけで皇位をめぐる争いが生じ、天皇家はおそらく千年と続いていなかったでしょう。

実際、継体天皇は応神天皇の五世孫とされ、天皇家の血筋としてはかなり薄いのです。他に皇位継承資格者がいなかったため、正統性に疑義を持たれつつ推された形の天皇です。この血の薄さゆえに、快く思っていなかった者や、あわよくば天皇の座を乗っ取る好機と見た者もいただろうと思います。

この血の薄さを補う形で継体天皇の妃となったのが目子媛です。尾張氏の娘であり、日月の霊統を継ぐ“目子媛”の名を冠するこの妃には、他の豪族たちも文句のつけようがありません。こうして尾張氏は、継体天皇の正統性を下支えし、血を巡る争いを未然に防ぎました。

継体天皇の“継体”は、先代の武烈天皇で途絶えそうになった皇統をつないだことから名付けられました。しかし本当の意味で皇統をつないだ立役者は、継体天皇の“体”を支える霊統の女系継承者、目子媛と言えるでしょう。

今の天皇家は継体天皇の直接の子孫です。目子媛は、高倉下と宮簀媛に象徴される尾張氏の使命を全うしたのです。

ここまでの解釈を踏まえ、改めて籠神社の裏神紋を見てみると、日月の霊統/天皇を頂点とするピラミッド/それを下から支える逆ピラミッド
を象徴しているように見えます。

籠神社の裏神紋

あくまで私の解釈であって学術的な裏付けはありませんが、そもそも霊統という概念の学術的裏付けは不可能です。

神界のことは人間には見当取れんのであるぞ、学でいくら極めようとてわかりはせんのざぞ、学も無くてはならぬが囚われると悪となるのざぞ

日月神示 日の出の巻 第6帖

一旦ここで区切ります。尾張・海部氏は、籠目のレイラインにも間違いなく関わっていますね。次回はその点からさらに尾張氏の霊統の謎を掘り下げます。

続き👇


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