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アマテラスの岩戸隠れ神話に隠された瀬織津姫

前回書いた通り、日本神話において織物の縦糸は上下の意識、男性性を象徴しています。そして横糸は水平の意識、女性性です。言葉だけでこう書いてもわかりにくいですよね。私のビジュアルイメージは次のとおりです。

女性性と男性性のビジュアルイメージ

富士山のような、中心に火口がある山を想像してください。山の中心は、宇宙により近いところに向かおうとします。自然の重力に逆らって上に向かう集中の力が男性性です。そこから下に向かって標高が低くなるほど、水平に近づきます。この重力に従って末広がりにひろがる拡散の力が女性性です。

人類は、女性性の支えが無ければ高みに昇る事ができず、男性性の高みに昇ろうとする力が無ければ低地に留まりつづけます。

今回は日本神話の機織に関する話をさらに深掘りします。

神の衣を織る服織女

日本神話に詳しくない人でも、アマテラスの岩戸隠れ神話はどこかで耳にした事があると思います。次のような神話です。

高天原でスサノオが田んぼの畦を壊したり御殿に糞を撒き散らすなどして暴れていた。スサノオの姉神のアマテラスはそんなスサノオを庇っていた。
しかしアマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていた時のこと。スサノオが機屋の屋根に穴を開け、皮を剥いだ馬を落とし入れた。服織女はたおりめの一人は、驚いた拍子にが陰部に刺さって死んでしまった。

アマテラスはとうとう怒り、天岩戸に閉じこもった。そして世界は闇に包まれ、様々な禍事まがごとが起きるようになった。

というのは機織はたおりの道具で、縦糸に横糸を編み込むために使います。服織女がその梭で隠部を突いて死んでしまった。これは、横糸を織る女性性が失われたことを暗示していると読み取れます。

男性性の上へあがろうとする意識が人類の上下の格差を生み、ピラミッド型の権力構造という秩序を作りました。

自然から離れていくこの秩序は、人々の本能的直観力、いわゆる第三の目を衰えさせます。秩序立った文明社会が広まるほど、人々の第三の目は衰え、常世とこよと呼ばれる意識の世界を反映する現世うつしよがこの現象界である、という実像を見る事ができなくなっていきました。そうして「視野」が狭くなった人間社会に争いなどの禍事が増えて行ったことが、この神話に象徴的に示されています。

この霊性の喪失を伴う巨大な流れはメソポタミア文明から始まり、目に見えない大火となって大陸を伝播しました。権力からなる文明国の中で生まれ育つ人の中からまた次の為政者が現れるため、井の中の蛙大海を知らずの諺のとおり、為政者が霊性の喪失の流れに気づく事は確率的に言ってまずありません。

釈迦族の王子として生まれたゴータマ・シッダルタはそうなり得た稀有な人物の一人でしたが、王子という地位も家族も捨てて修行の旅に出て行きました。誰もそれを責める事はできません。

この炎は東の果ての日本にも到達しました。日本の先住民族は、霊性を失う前に、さまざまな形で未来に望みを託しました。暗号化された神話はそのうちの一つです。

シッダルタの悟りでさえもこの見えない炎に巻かれ、のちに迷信化した仏教となり、日本に渡来しました。シッダルタ自身、この流れを止められない事に気付いており「仏教はやがて末法に至る」として注意を即すことしかできませんでした。

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が差していたのであるなれど、仏教と共に仏魔渡って来て完全に岩戸が閉められて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。

日月神示 碧玉之巻 第10帖

イザナミ神話とアマテラス神話

女性性の喪失は、イザナギ・イザナミ神話にも見られます。イザナミは火の神を生んだ際に陰部を焼かれ、それが元で死んでしまい、イザナギだけが残されました。

男性性は火、女性性は水に象徴されます。火は重力に逆らって縦に伸び、水は重力に沿って水平方向に伸びていきます。この物理と、意識の世界との間に見られる相似の象徴化です。神話の表現において、男性性は縦糸であり火、女性性は横糸であり水でもあるのです。

火で陰部を焼いたイザナミの死と、梭で陰部を突いた機織女の死。表現方法が異なるだけで、本質的にはどちらも同じ理を後世に伝えています。

機織女の正体

イザナギは、黄泉の国から追ってくるイザナミを恐れ、千引石で黄泉比良坂を塞ぎました。その後、黄泉の国で穢れてしまった体を禊ぎして、三貴神(アマテラス、スサノオ、ツクヨミ)を生みました。

この神話は女性性の喪失という点でわかりやすいです。

しかしアマテラスの岩戸隠れ神話は構造が複雑です。
女性性の喪失神話でアマテラスが女神ならば、アマテラス自身が死ぬという物語であったはず。なぜアマテラスではなく、アマテラスに仕えていた機織女が死ぬのか?が謎なのです。

アマテラスは機織女の死によって自ら岩戸に隠れた。イザナミ神話と比較して、この違いは何を意味しているのでしょうか。

この謎は、アマテラスはもともとは男神であったと考えることで解けます。すなわち男身の正体はアマテル神、饒速日命であり、機織女の正体はそのアマテルに仕える女神、瀬織津姫です。

理が神ぞ。理が神の御用だと申してあろうがな。

日月神示 梅の巻 第12帖

先住民族が伝えていたのは神の信仰ではなく、神の理です。瀬織津姫と饒速日命は陰陽の関係にあり、合わせて一つの理。片方だけを伝えるという事はありえません。しかしそれが信仰ならば、中身(理)が無いのですから、片方だけだろうとなんだろうと関係ありません。

崇神王朝によって、先住民族が伝える夫婦神の理は隠され、アマテルだけが先住民族の不満を鎮めるため信仰の対象として残されたと考えられます。このことについて日月神示には次のように書かれています。

次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、そろってお出まし近くなって来たぞ。

日月神示 碧玉之巻 第10帖

「騙した神」とは、瀬織津姫の喪失と共に饒速日命も一度は岩戸に隠れた(陰陽の理を人々が見失った)のち、アマテルだけを岩戸から引っ張り出し、人々の信仰の対象として「再利用」した事を指しています。

崇神天皇はおそらく、古代中国の唯一神である太一たいいつをベースとした新しい信仰体系を日本に広めようとしたのではないでしょうか。それが日本に住む人々にとって良い事だと信じて。事実、今でも伊勢志摩地方の一部地域では、太一と天照大神は同一神と見なされています。

人々を騙したのは崇神天皇ではなく、むしろ崇神天皇も騙された側です。神を信仰する事が常識であった大陸の思想に生まれた時から染まっていれば、その常識を疑わなくなります。その認識の外側にさらに広い世界が広がっているという事など、普通は想像さえしないまま一生を終えるからです。

崇神天皇も騙された側ならば、騙した側の主体は何か。その答えは、信仰そのものです。特定の人物や組織ではなく、信仰という体系化された構造そのものが、まるで意思を持っているかのように人類を騙し続けます。そしてこの構造体は不死なので、人から人へ伝承され続ける限り何百年、何千年と生き続けます。

この認知の殻を自力で破った人が構造を破壊する必要性に気付きますが、それは殻の中しか見えていない人にとっては悪に見えます。

気の合う者のみで和してござるなれど、それでは和にならんと知らせてあろうがな、今度は合わんものと合わせるのじゃ、岩戸がひらけたから、逆さまのものが出て来ているのじゃ、この行、中々であるなれど、これができねば岩戸はひらけんのじゃ、マコトの神さえ魔神のワナにかかってござるのじゃ、人民がだまされるのも無理ないようなれど、だまされていては今度の御用は成就せんぞ。
自分自身にだまされている人民も多いのであるが、ついてござれよ、少しは苦しき行もあるなれど見事なことを致して御目にかけるぞ、自分でもビックリじゃ、はじめからの神示よく読んで下されよ、霊かかりよろしくないぞ、やめて下されと申してあろう。

日月神示 碧玉之巻 第2帖

人ではなく信仰の構造そのものが人類を騙しつづける理。

シッダルタが、仏教が末法に至る事を避けられない理を悟っていたように、古代イスラエルの賢者の一人であるイザヤもまたこの理の脅威を後世に伝えていました。そのことは旧約聖書に記されています。

彼らは声をあげ、主の威光を喜び歌い、海から叫び声をあげる。
それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び、海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。
地の果てから、歌声が聞こえる。
「主に従う人に誉れあれ」と。

しかし、わたしは思った。

「わたしは衰える、わたしは衰える。
わたしは災いだ。
欺く者が欺き、欺く者の欺きが欺く。」

イザヤ書 24

このイザヤの警告は、旧約聖書とは違った形で、日本神話にやはり難解な暗号となって残されています。というわけで、また次回。


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