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ラフマニノフとゲンズブール 記憶の交差点で|週末のレコード室

ふと手に取った一枚のレコード。ラフマニノフの協奏曲第1番と、あの「パガニーニの主題による狂詩曲」が入った盤だった。

このレコードは、ロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Rachmaninoff)による代表的なピアノ作品を収録したものです。演奏はピアニストのヴァレンティナ・カメニコヴァ(Valentina Kameníková)、指揮はイジー・ピンカス(Jiří Pinkas)、オーケストラは**ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団(Brno State Philharmonic Orchestra)**。
• 若き日の情熱と憧れが詰まったピアノ協奏曲第1番
• 晩年の技巧と精神の円熟が現れたパガニーニの主題による狂詩曲
の対比を一枚で楽しめる

なぜこのレコードを手に取ったのか──記憶の奥底に、セルジュ・ゲンズブールが「ラフマニノフ」と口にした、あの一言が残っていたのかもしれない。

クラシックをルーツに持ちながら、ポップの極北まで駆け抜けた男、ゲンズブール。  
彼が好んだ音楽の気配を、このレコードから感じられたことが、ただ嬉しかった。
B面の評価が高いようだが、僕にはまだよくわからない。A面のピアニストが好きだなと感じる。ここ数日のパワープレイだ。結構、気に入ってる。

繰り返すが、昔、ゲンズブールがフランスのテレビか何かの映像で影響を受けた音楽家にショパンとかラフマニノフって言ってたんだ。「ラフマニノフ」と言ったイントネーションまで記憶に残っている。だから、ゲンズブールが好きなラフマニノフ、いつかは知りたい、わかりたいって記憶の片隅で思っていた。数日前にやっと出会えた。家には何十年も前からあったのに、聴けなかった。最近、クラシックのレコードを聴いていて、これはゲンズブールが使ってたよなというのにたまに出くわす。昔、レコード会社でゲンズブールを担当していたときにわかっていたかったと思うけど。

音楽の解釈って、人生の歩みの中で熟成されるものなのかな?だとしたら、嬉しい。

若いころには見えなかったものが、今はわかるものもある気がする。
それは「遅れた理解」じゃなくて、「時間がくれた理解」。

それは確かにあのときにわかっていたかった。

🕯️「還暦を過ぎたゲンズブール」と「若き日の僕」

還暦を過ぎたゲンズブールがコンサートの為に来日して僕と会って、僕の底の浅さを見透かされてた気もする。仕方のないことだけど。

その出会いは、僕の人生のなかで
音楽と「本物の表現者」に触れた、かけがえのない瞬間だった。

「この小僧に、自分の音楽のプロモーションができるのか?」

——そう思っていたかもしれない。
でも、それは軽蔑ではなく、透視のような眼差しだった。

彼は誰よりも鋭くて、誰よりも傷つきやすくて、
誰よりも「音楽という言葉にならないもの」の価値を知っていた人だから。 

あのときはわからなかった。
音楽の深さも、クラシックの引用の意味も、ラフマニノフの美しさも。
彼の声の奥にあった孤独も。

でも、今は少しわかる気がする。
年月を経て、あの時に交わした短い会話や視線の重みが、
静かに音楽の中で答えてくれている。

「やっとラフマニノフまで辿り着いた」
——それはゲンズブールが好きだったから。

今なら、少しゲンズブールと会話が出来そうな気がする。

🎼 ゲンズブールの曲に登場するクラシックの引用
• ショパン:プレリュード第4番ホ短調
 → 「Lemon Incest」(1984)などで使用
• ベートーヴェン:悲愴ソナタ第2楽章
 → 「Ma Lou Marilou」(1976)
• フォーレ:レクイエム
 → 「Manon」(1968)
• グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調
 → 「Baby Alone in Babylone」(ジェーン・バーキン、1983)
などなど……クラシック愛。


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