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無功徳 禅と出会う、そのとき|夜明けの読書室 禅と本編

🕓 朝4時、静けさの中に、すべてが始まる。
墨の香、音楽の余韻、走ることで整う思考。


禅と出会う、そのとき

唐突だけど、
僕がされて嬉しいこと――それは「本を教えてもらうこと」。

贈ってもらいたいということではない。
ただ、「この本、きっとあなたに合うよ」と静かに手渡されるような瞬間が、何よりも嬉しい。

この本を教えてもらわなかったら、
今の僕の朝は、少し違ったものになっていたかもしれない。


『禅』――大きすぎるテーマ

僕は、生来なおざりな人間だ。
「いいよ」と薦められても、すぐに読むことはあまりない。
ちゃんと買って、本棚に入れておいて、
“読むべき時”が来るのを、どこかで待っている。

この本もそうだった。
禅と禅芸術としての庭』――枡野俊明さんの本だ。

テーマが大きすぎた。
“禅”なんて、軽々しく語ってはいけない気がして、
ずっと読めずにいた。

けれど、やがて読むべき時はやってくる。
ある日、ふと手に取った。


禅寺に惹かれる理由

僕は空海が好きで、京都も好きで、
神護寺や東寺をはじめ、いくつもの寺を巡ってきた。

でも、ふと気づいた。
空海ゆかり以外で、好きだと思った寺は、
すべて禅寺だった――臨済宗の寺。
黄檗宗の寺も。系統からいうと黄檗宗を先に書くべきだったかもしれない。
曹洞宗も、もちろん好きだが、庭を見せるものではないだろう。

禅宗伽藍の佇まい。庭の静けさ。
説明ではなく、ただ在ること。

それが好きだったのだと、この本を読んで腑に落ちた。


この一冊が教えてくれたこと

『禅と禅芸術としての庭』は、
「禅とは何か」「禅の歴史」からはじまり、
曹洞宗・臨済宗の流れ、禅宗伽藍、禅の庭へとつながっていく。

禅と芸術がどうして結びついていくのか。
なぜ自分が、あの石庭や苔、静かな景色に惹かれるのか。

何度もページをめくりながら、
自分の中でいくつもの点が、線になっていった。

教えてくれた友に、今はただ感謝している。

この二冊を薦めてくれた友に感謝

そして今日、また書いた

その友人は、以前にも『孤篷のひと』を教えてくれた。
大名茶人・小堀遠州の人生。作庭家としてのまなざし。
いくつもの本が、僕の内側を静かに耕してくれた。

今日も「感謝」と書いた。
そして、もう一文字――「無功徳」。


達磨の言葉、「無功徳」

この本の中に出てくる、菩提達磨と梁の武帝の問答。
「私はこれだけ仏教を広めてきた。どんな功徳があるか」と問われて、
達磨はこう答えた。

「無功徳」。

何の功徳もない。
見返りも、報いも、効果もない――と。

それは宗教を根底から考え直させるほどの一言だった。
この話が、僕は大好きだ。

ご利益なんか求めない。
それでも生きていける。
この禅の態度が、僕の心を支えている。

天龍寺の達磨大師の掛け軸

次回予告:達磨に会いに

僕は単純な人間だ。

その達磨大師に会いたくて、
山梨県・甲州市塩山にある向嶽寺を訪ねることになる。

そこには、国宝にも指定された、達磨の肖像がある。

この話は、次回につづく。

『禅と禅芸術としての庭』より

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