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🥃 俺はこの酒を飲むために生まれてきた 3 ラガヴーリン16年

—— 週末には、酒の話を。

第二章:魂の酒 スコッチ

僕の魂の酒は、スコッチだ。
結論から言うと、『ラガヴーリン16年』を初めて口にしたとき、本当にこう思った。

「俺はこの酒を飲むために生まれてきた。」

それ以来、ラガヴーリンは8年ものも飲んだが、代わりにはならなかった。
カリラ12年で「近いかな」と思ったこともあったが、やはり違う。
白州や山崎が代わりになれば嬉しいが、それも違うし、そういう問題ではない。

ブレンド、シングルモルト問わず、アイラ島、ハイランド、ローランド、スペイサイド、アラン島…いろんな地域のスコッチを飲んできた。
どの地域にも美味いものが数多くある。それでも僕にとっての“魂の一本”は別にあった。
なぜそうなったのか──答えはあるのか、ないのか。
ここで少し、スコッチの記憶を辿ってみたい。


1. 学生時代の最高の酒:シーバス・リーガル

学生時代、伊勢丹新宿店の紳士肌着売り場でアルバイトをしていた。
そこで知り合ったのが、仙台の老舗百貨店の御曹司・藤崎さん。アメリカ留学から帰国したばかりの若きエリートだった。

ある日、ご馳走になったのがシーバス・リーガル。
当時の学生の定番ウイスキーは「サントリー・ホワイト」だったから、シーバスなんて名前も知らなかった。
それをいきなり飲ませてくれるなんて、味がわかるかどうかなんて気にしていなかったのだろう。

あのときの衝撃は忘れられない。
帰宅して父に「とんでもなく美味しいウイスキーをご馳走になった」と報告したことまで覚えている。
藤崎さん、本当にありがとうございました。
──ちなみに藤崎さんには、人生の大きな局面で、ここには書けないほどの大恩もある。


2. 父からもらった3本のスコッチ

父は酒好きで、子供のころはサントリー・オールド(ダルマ)が定番。
たまにジョニ赤やジョニ黒を手に入れると、少し誇らしげだった。

学生時代、一度だけ「トリスバー」に入り、ハイボールを10杯近く飲んで悪酔いした僕を、父は激しく叱った。
「そんな酒は飲むな」と。
それ以来、「トリス」と「ハイボール」は僕の中で封印された。

やがて父は焼酎に切り替え、最後には酒をやめた。
それは、酔った父の言動を僕が初めて咎めた夜がきっかけだった。
唯一の例外は、ハワイ島で一緒に飲んだカクテル。「美味しい!」と目を丸くしていた姿はよく覚えている。

そんな父が、飲まずに置いていた3本のスコッチを僕にくれた。
『ROYAL Salute』の年数入りが2本と、『Century』。
これが、スコッチの概念を変えた。まろやかなんて言葉では足りない。
特に『Century』は、極上の液体そのものだった。


3. 景山民夫とグレン・モーランジ

作家・景山民夫が『普通の生活』の中で触れた、ネス湖旅行でのスコッチがグレン・モーランジだった。

『普通の生活』より


「これは、飲まないといけない」と思って飲んでみれば実に美味い。
でも、今の僕には少しまろやかすぎる。
マッカランもそう。
結局、自分のスコッチを探し続けてたどり着いたのが、『ラガヴーリン16年』だった。

苦すぎず、甘すぎず。
「俺の人生に合う」と思った。
苦味だけでもない、甘さだけでもない──そこがいい。


味覚の覚醒

自分に合う酒は、経験を積み、何度も行き来してようやくわかる。
あるとき、銀座の酒屋でインバウンド客が多く集まる店内、日本人の若者に声をかけられた。
「『ラガヴーリン16年』と『カリラ12年』で迷ってるんですが…」と。

人それぞれだから答えは出さなかった。
でも、最初からその比較にたどり着く彼を「いけてる青年」だと思った。
彼がどちらを選んだかは見ないことにした。

僕がスコッチを意識して探し始めた最初は、『ボウモア12年』だった。酒屋のキャプションとランキングを見て。
もし「最初は何を?」と聞かれたら、僕はこう答えるだろう。
「ボウモア12年、次にラフロイグ。それで行けそうなら、こっち(ラガヴーリン)へ来い。」

今あるラガヴーリン16年ももう無くなる。。

次回は、スコッチ四方山話を書こうと思う。
また週末に、酒の話を。


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