〓メモ.09 〝内なる活断層のざわめき2〟
朝、連れ合いとこれからのこと話し合う。このまま二人で垂水に留まって頑張るか、それとも・・・私への負担を軽くするのか、悩んだ末、彼女は実家へ避難することを選んだ。
西明石駅まで歩いて、そこから電車で姫路へ出て新幹線で帰郷した。
震災3日目のもろもろ、当時のメモだけを掲載しておきます。
【1995.1.19/震災3日目のメモ】
会社/生き埋め状態のKさんが一日半ぶりに救出されたとのこと。
まだ、安否が確認できない社員が10数名。電話がつながりやすい大阪のBが確認係に。
傾いたブロック塀が危険なので倒す。
社長はいたって元気がない。社員の不安、憶測・・・
避難所/昼から避難所を回る。
古い家屋で一人暮らしのCさんが心配だったが元気だった。
近所の人たちの手助けが大きい。
Dさん母娘は○○避難所で無時を確認。ぐったり疲れて眠りこけていたので会わずに帰る。
身重のMさんはまだ、不明。玄関に伝言を置いておく。
実家/大阪の山のメンバーから電話がつながりはじめた。
山の会、一人をのぞいて安否が確認できた。情報の収集と、バイクの調達を依頼する。
大阪の連中の反応はニブイ。しかたないことか。
不安定だが電話が方々から入り出した。
次兄が母の髪を水で拭いてやる。少しは落ち着いたか。
まだ興奮やストレスがたまっているようだ。
自室に半畳ほどのスペースを作って座るようにして就寝。
〈2007年1月18日初稿〝遊歩のススメ〟より転載〉
【追記】
創刊号での写真特集(下記など)のコメントは、編集部の思いをそのまま書き込んだ。人の不幸に対して〝可笑しい〟とは何事だ。とお叱りを受けた。そういう反響もあることも十分覚悟はしていたが、悲劇性に忖度することなく、思ったこと、感じたことを報せようと決めていた。

港湾部ではいたる所でこんな風景が・・・
(1995年1月30日 撮影/T・I)

(さわだまさあき撮影・震災後1ヶ月後あたり)

〓マガジン
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! おいしいとろろ蕎麦なんとか食べてみたい♪