〓メモ.06〝 1.17 混沌がはじまった4〟
【1995.1.17/震災当日4】
午後3時過ぎ、垂水を出発してもう5時間以上ペダルをこぎ続けている。
交差点で立ち止まる。ここを曲がれば自宅である10階建ての賃貸マンションが見えるはず。果たして無事な姿で建っているのか、確かめるのが恐くて角を過ぎたところで一瞬目を伏せてしまった。意を決して顔を上げると、いつもと変わらぬ風景が目に飛び込んできて一安心。平成3年の新築だったので、まさか倒れることはないだろうと思ってはいたが、それでも近寄って目をやると外壁のあちこちに亀裂が走っていた。
エレベーターは使えない。6階まで一気にかけ登って、ドアを開ける。その時の情景は今でもありありと覚えていますが、でも、その時に互いに掛け合った言葉がよく思い出せません。無音の映画のようだった記憶があります。おそらく、安堵の後の照れがすこしあって、「どうやった?」程度の平凡な会話だったように思います。
親父は倒れたタンスで頭を負傷していたが、お袋は無事だった。自宅には、家が半壊した長兄一家4名と同じく家が傷んだ次兄らが集まっていました。狭い2DKで、物が散乱し、余震に備え食器棚やタンスを途中で割って平積みしているので、8人分が手足を伸ばすスペースが無い。
お袋がおびえて小さくなっている。意外であった。こんなことには概して強い人だと思っていた。戦時中には兄と姉を抱えて、空襲から逃げ回った経験がある。「なあ、爆弾よりは 大したことないやろ?」背中をさすってやると、「空襲はこんな急に来ん、サイレンが知らせるやろ」と、言われれば確かに、地震は全く前触れなくやってきた。でも、私にしたらやはり、地震よりはずっと焼夷弾の方が恐ろしい。死者の数こそ違え、神戸の大空襲はこの震災と同じような被害をもたらしている。ダンロップや神戸製鋼所と標的が近かったせいで、この周辺もあらかた焼け野が原になるというダメージを受けていた。その時に比べたら幸いにも、見た目には目立った被害はなさそうに思える。
〈神戸空襲の悪夢の再現か〉
母に「もう大丈夫やから」と何度、言って聞かせても「恐い 恐い」と脅えている。歳のせいもあるのだろう。幼い子供を守ろう発奮していた頃の若かりし母と比べても詮がないがあまりにも弱々しい。
ベランダから見える南の方の黒煙がおさまらない。ここまで延焼することは無いだろうと思うが、自分も気掛かりで落ち着かない、様子を窺いにひと走りした。そのついでに近所のあちこちに声をかけてみたが、幸いに大きな被害にあった方はいなかった。戻ってあれこれ手当にかかる。水や食料や暖房の手当に苦心する家族たち。「こうしよう。ああしよう」と意見が交錯して実際には何も手が付かない。それでも何とか今日1日の夜を迎える準備ができたようだ。私はその夜に向けて仏壇の細いろうそくをコップに溶かして大きな明かり取りをこしらえた。しかし、不思議なことにこのマンションと周囲数件の建物だけに電気が一時的に復旧した。
一通りの出来る限りの手当を終えて、彼女の待つ垂水へ戻ることにした。自宅の灯りを少し後にすると、深い暗闇が待っていた。窓からこぼれる灯も、街灯も一つなく、車のヘッドランプも、月も星も見えず、地平のかすかな薄明かりさえもない無明の世界に吸い込まれていく。山奥でキャンプした時でも、こんな暗闇は経験したことがない。漆黒の闇とはこのことか。
午後9時前、自転車のか細いランプを頼りに、再びあの悲惨きわまりない神戸の中心街区を横断していかなければいけない。果たして今夜の内に、彼女のもとに戻れるだろうかと西の空を仰いだとき、寒さや疲労よりも、底なしの暗い沼に沈んでいくような言葉にしがたい恐怖感に襲われて身体が震え出した。
〓メモ.07/23へ続く

(1995年1月30日 撮影/T・Y)

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