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『われらが海民』刊行記念上映会のご報告

3月22日(日曜日)、東京両国シアターXにて、『映画監督大重潤一郎著作集われらが海民』出版記念上映会が行われました。三連休の最終日でしたが、約70名の方にお越し頂きました。

キャメラマンの堀田泰寛さん、奥様のみどりさん、テクニカルのサポートをしてくださる結さんと港の人編集者の方と10時半に集まり、上映環境のテストを行いました。16ミリフィルムでの上映が理想ですが、今回はBlu-rayディスクで上映をしました。大重監督は光と音響共にとてもこだわっていた方でしたので、『光りの島』の堀田キャメラマンに変わって納得いただくまで調整をし、映像の息遣いを感じることが出来るスクリーンと環境を整えて頂きながら、フィルム上映に近い投射になるように心掛けました。

『光りの島』主役 上條恒彦氏

『光りの島』 16mm・カラー・1995年作品

1983年沖縄の島々を巡っていた大重は一つの無人島と出会った。そして島が発する巨大な気配をそのまま映像に捉えようとする。撮影から約12年後、神戸在住の大重は阪神淡路大震災に遭遇、自然や生命の尊厳を直感し今まで自主的に撮りためていたフィルムを編集。失われてしまった焼成土器の再現を記録した『風の島』(陶芸家大嶺實清によるパナリ焼焼成実験記録)と並行して『光りの島』を完成させることになった。
「人間死んだらなんにもならん」。そう思って母は死んだのか? という問いを胸に、西表島の沿岸にうかぶパナリ島という無人島をたずねる。無人島だから、撮るべきストーリーはない。海岸のカニや人のすんだ跡の石垣や井戸、植物に照り返す光や風のうごめきを撮る。

(監・製・脚・編)大重潤一郎
(撮)堀田泰寛 (録)市川文武 (出)上條恒彦

映画クレジットより

上映が終わると、島薗進先生(宗教学者)から1時間にわたるお話し頂きました。先生は大重監督の遺作『久高オデッセイ第三部 風章』の制作実行委員会副委員長を務めて下さり、また同作品の監修鎌田東二先生(2025年5月30日ご逝去)の50年来のご親友でいらっしゃいます。2015年7月5日シアターXに行われた『久高オデッセイ第三部 風章』完成披露上映会の際にもパネリストとしてもご登壇頂きました。約10年ぶりに同じ会場で大重映画の上映会を開催できることのご縁を嬉しく迎えました。
島薗先生はお父様が和歌山県、お母様が高知県ご出身ということもあり、ご自身を黒潮系と仰っておりました。『縄文』『海民』の感性を持って生まれていらっしゃるようでした。
『光りの島』というのは、目には見えないものを見、耳には聞こえないものを聞く映画。それは死の向こう側にあるもの、死を超えていくものを表現していますねと、『われらが海民』からいくつかの文章をご紹介して下さりながら、話の中心のテーマは「喪失と鎮魂」でした。

島薗進先生

続いて、親近者(特に妹のトシ)との死別や農業指導における自身の理想(羅須地人協会での活動など)に挫折しながらも自然観を描ききった宮沢賢治、「絵画において喪の作業を繰り返しているようにも思える」というヴァン・ゴッホについて語られました。

農民たちの生と死は今も将来もいつもいかにおなじものであるかを。あの教会墓地に生えている草や花のように、彼らはいつも芽吹いては枯れるのだ。

正田倫顕『ゴッホと〈聖なるもの〉』新教出版社

「ゴッホは父との死別、母や他の家族との別離を経験する。その中でキリスト教会との別れも決定的となる。正田氏はこれを『取り返しのつかない喪失体験』であり、絵画作品はそれに伴う『喪の作業』の現れだと捉えている。『古い塔』や農民墓地や『牧師館』を描いた作品は、挽歌とよぶこともできるかもしれない。
それは父と教会のキリスト教への挽歌であるが、その対象は牧師や伝道者であろうとして苦しんできたゴッホ自身でもあると正田氏は捉えている」。
「『古い塔』の心象は尊いものの喪失という悲しみのモチーフとつながっており、売春婦シーンを描いた《悲しみ》や《開かれた聖書のある静物》とも連続的なものと見ても良いのかもしれない」。

島薗進先生「宗教の名著巡礼」より

詳しくは、東京自由大学のウェブマガジン「なぎさ」にてゴッホについての言及が綴られています。また宮沢賢治についての連続講座も行われていました。死別、喪の作業、宗教に対する深い思い、そして自然への眼差し、大重監督や鎌田先生の思想に同調するものだと仰って頂きました。


当日、日赤病院腎臓内科医師の石橋由孝先生とご挨拶をする時間がありました。「腎臓内科」という言葉に反応をし、「実は寺の住職の足が最近浮腫み始め、関節炎の治療をしながら腎臓を疑っているのです。何か良い治療方法はないですか?」とお聞きしていました。すると「この本が指南書ではないですか?」と、拙著『われらが海民』を示してくださいました。

「どの臓器も自然の一部、どの臓器も繋がっている、腎臓は腎臓だけで存在していないですよね、食べたものが肉体の循環の中に入り込んで心、社会、宇宙と繋がって存在している。医療をしていると実感するのです。この本(『われらが海民』)に本質ありと思った次第です。」

石橋由孝先生のお言葉

大重監督は、脳梗塞とC型肝炎そして肝臓がんを患いながらも『久高オデッセイ』三部作を制作しました。痛みに悩まされながらも、宇宙からエネルギーを受け取り、自然に畏怖する気持ちを絶えず忘れませんでした。病気を治そう治そうと意固地になるのではなく繋がっている宇宙に意識することを監督も大切にしていたことなのだと編集しながら学んでいたはずだけれど、いざとなると身近な人に対して「治療すること」ばかり気に取られていたのです。生命はマクロコスモスとミクロコスモスの相関です。悪いところだけをフォーカスせず、宇宙との繋がりを感じることで意識は変わっていくのです。

私達は、ささやかな命を地球に生かされています。
地震は根源的な問いかけをしてきた。やはり都市といえども、大自然の一部なのであった。そして、人間も死を内包する自然なのだと思い知る。

大重潤一郎『われらが海民』P137ー140

監督の映画や書籍『われらが海民』が、生きることの本質だと現役医師の方に仰って頂き、監督も私も、冥利に尽きました。是非多くの方に読んで頂きたいと改めて思いました。


最後に私も一言ご挨拶をさせて頂きました。三月は大重監督の誕生日月ということもありますが、私と大重監督の中で何かが起きる月でした。
初めて大重監督と出会ったのは2002年3月30日、文京区シビックホールにて行われた『光りの島』『原郷ニライカナイへー比嘉康雄の魂』の上映会でした。オフィスTENの天川彩さんが主催の催し、初めて拝見したこの上映会で私は大重映画の虜になり、その四ヶ月後に多摩美術大学で全作品の上映会を企画したことで監督との繋がりが確固たるものとなりました。
大重監督の作品をお手伝いし始めたのは2008年3月、脳梗塞発症以降、要介護の支援を受けながら『久高オデッセイ第二部』の制作をされており、私は東京と沖縄を往復しながら2015年『久高オデッセイ第三部』完成まで関わらせて頂きました。
この『著作集』について、出版社港の人の井上有紀さんにご相談したのは2023年3月24日でした。2022年12月、鎌田東二先生が大腸癌と知らされました。先生がお元気でいらっしゃるうちに本を完成させたい、その一心で約2年半編集を続けてきました。残念ながら、発刊前にお亡くなりになってしまいましたが、それでも、過程をご一緒できたことは何よりも有り難いことでした。

大重監督や鎌田先生の不在とは思えぬ、暖かい見守りを感じながらの開催でした。かつて鎌田先生がお元気だった頃は、こういう催しの帰り道に喫茶店に寄り、必ず一言ずつ感想をシェアしていました。今回も東京自由大学の先輩が忙しい合間を縫って集まって下さり、それぞれが感想を送って下さいました。大重監督と鎌田先生の繋いで下さった縁が今も私を支えてくださっているのだと、感謝の気持ちでいっぱいでした。

東京自由大学鳥飼さんと、オフィスTEN の天川彩さんと共に

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送料無料でお受けしております。どうぞよろしくお願いいたします。

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慈正 お読みいただきどうもありがとうございます。