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フィジカルAIは、料理人の勘を学べるのか?レシピの外にある味を未来へ残す方法を探ってみる

長く続いた料理店が、店を閉じることになったとします。

厨房から一つだけ、未来へ持ち出せるとしたら、何を選べばよいのでしょうか。

使い込まれたレシピ帳でしょうか。
何十年も継ぎ足してきたタレや種でしょうか。
火加減や手の動きを記録した映像でしょうか。
それとも、鍋の中を見ただけで「今日は少し早い」「もう少し火を入れた方がいい」と判断できる店主本人でしょうか。

料理の味を残すと聞くと、私たちはまずレシピを思い浮かべます。

材料と分量、温度と時間、調理の順序。それらを詳しく書き残せば、別の人が同じ料理を作れるように思えます。

実際、レシピでかなり再現できる料理もあります。

一方で、同じ材料と手順を書き残しても、なかなか同じ味にならない料理もあります。

その違いは、どこから生まれるのでしょうか。

料理の味には、レシピで残せる部分と、レシピの外側に広がっている部分があります。

そして、その「レシピの外側」を受け継ぐのが、人間だけとは限らない時代が近づいているように思います。

AIが文章を書く段階から、現場を見て、判断し、機械として動く段階へ進むとき、料理人の勘はどこまで渡せるのでしょうか。

一つの味を未来へ残すとは、レシピの外にある何を、どのような形で残すことなのでしょうか。




レシピで残しやすい味と、残しにくい味があるはず

料理には、レシピでかなり再現しやすいものがあります。

材料の量をそろえ、加熱時間を守り、手順を間違えなければ、誰が作っても大きくは外れにくい料理です。

ゆで卵。
ホットケーキ。
基本的なソース。
決まった配合で作る焼き菓子。

もちろん技量による差はあります。

火の入り方、混ぜ方、焼き加減によって、仕上がりは変わります。

それでも、こうした料理では、レシピが果たす役割は大きいと言えます。

材料、分量、時間、温度、手順が残っていれば、後から別の人が近い味へたどり着きやすい。

だからレシピは、味を未来へ渡すための大切な形式です。

一方で、同じレシピを書き残しても、なかなか同じ味にならない料理もあります。

長く継ぎ足してきたタレ。
毎日状態を見ながら育てる発酵種。
季節によって火の入れ方を変える煮込み。
店ごとに香りや濃度が違うスープ。

同じ材料を使っても、作る人や場所が変わると、どこか違う味になるものがあります。

そこでは、レシピに書かれた「何を、どれだけ、何分」という情報だけでは足りません。

作り手は、途中で状態を見ています。

香りを嗅ぎ、泡を見て、手触りを確かめ、火を弱めるか、待つか、次の工程へ進むかを決めています。

また、料理によっては、目に見えない微生物や、長く使われてきた道具、厨房の環境までが味に関わります。

つまり、料理の味には、レシピでかなり残せる部分と、レシピの外側に広がっている部分があります。

問題は、後者です。

店がなくなるとき、あるいは職人が現場を離れるとき、レシピの外側にあった味は、どうすれば未来へ残せるのでしょうか。

[JKMF編集部作成]

レシピは、味を残す最初の器である

レシピだけでは味のすべてを残せないからといって、レシピの価値が小さくなるわけではありません。

むしろレシピは、味を未来へ渡すために、最初に残すべきものでしょう。

料理名しか残っていなければ、材料も作り方も推測するしかありません。

写真だけでは、味付けや工程は分かりません。

農林水産省の「うちの郷土料理」では、47都道府県の郷土料理1,365種について、レシピや歴史などを検索できるようにしています。

こうした記録があれば、料理が作られなくなった地域でも、後の世代がもう一度試すことができます。

レシピは、失われた料理を再び作り始めるための設計図になります。

ただし、設計図には書きやすいことと、書きにくいことがあります。

「小麦粉100グラム」
「80度で10分加熱する」

とは書けます。

一方で、

「耳たぶより少し柔らかいくらい」
「青い香りが甘い香りへ変わったところ」
「表面の泡が細かくなったら火を弱める」

といった判断を、誰にでも同じように伝わる数字へ置き換えるのは簡単ではありません。

そもそも、材料は毎回同じではありません。
野菜の水分量は季節によって変わります。
米や小麦の性質も、産地や収穫年によって異なります。
同じ蔵や厨房でも、室温や湿度は変化します。

熟練した作り手がレシピから少しずつ調整するのは、決められた作り方を無視しているからではないのでしょう。

変化している材料や環境を読み、レシピが目指していた状態へ戻そうとしているのだと考えられます。

レシピが残しているのは、「何をするか」です。

では、作り手が途中で何を見て、なぜ手順を調整したのかは、どのように残せるのでしょうか。


レシピの外側に、保存すべき「生き物」がいた

レシピの外側にあるものの一つが、微生物です。

発酵食品では、味を作っているものの一部が生き物です。

岐阜県大垣市の金蝶園総本家では、酒まんじゅうの皮を作るための「酛」が、継ぎ足しながら受け継がれてきました。

製品評価技術基盤機構、岐阜県食品科学研究所、金蝶園総本家による共同研究では、この酛に含まれる微生物が調べられています。

NITEは、約170年の歴史を持つ発酵食品に由来する微生物を分離し、その一部について2024年5月29日から提供を開始しました。公表資料では、酒まんじゅう酛の発酵に関与すると推測される菌株を分離したと説明されています。

ここで保存されたのは、酒まんじゅうの味そのものではありません。

味や香りを生む工程に関わってきたと考えられる微生物の一部です。

それでも、味を未来へ残す対象が、紙に書かれた情報から、生物資源へ広がったことは確かです。

似た問題は、まったく違う料理からも見つかっています。

2026年、日本食品科学工学会誌に、昔ながらの九州豚骨ラーメンを扱った研究が掲載されました。

研究チームが調べたのは、強い酸臭・獣臭を持ち、前のスープを次の仕込みへ使う「呼び戻し」製法のスープです。

論文の抄録では、全ゲノム解析や定量PCRの結果から、呼び戻し製法のスープ中に超好熱性アーキアの Sulfophobococcus zilligiiスルホフォボコッカス・ジリジイ が存在し、炊き出し中に増殖して、イソ吉草酸きっそうさんとイソ酪酸らくさんを主成分とする特徴的な香気成分を産生することが示唆されたとされています。

この研究で重要なのは、珍しい微生物が見つかったことだけではありません。

材料と工程を調べても埋まらなかった風味の差が、鍋の中で維持されてきた微生物へ目を向けることで、部分的に説明できるようになったことです。

この発見は、味がレシピの外側にも存在していたことを示しています。

けれど、微生物を分離し、保存できたなら、元の味まで保存できたと言えるのでしょうか。

発酵食品の中で、微生物がどのように入れ替わり、味や風味に関わっているのかを広く知りたい方には、下記の「『微生物もおいしい漬物を作るために奮闘中!』研究者が語る発酵漬物の世界」も参考になります。


菌を残しても、生態系までは残らない

菌株保存施設では、特定の微生物を分離し、安定した状態で長期間保管できます。

保存した菌は、研究や商品開発に使えます。

伝統的な発酵食品に関わる微生物を保存しておけば、店や蔵がなくなったあとにも、その菌自体は残せる可能性があります。

ただし、保存容器に入った菌株と、長年使われてきた酛やスープは区別する必要があります。

菌株保存は、特定の微生物を分離し、その性質を維持する方法です。

一方、実際の酛やスープでは、複数の微生物が、原料や道具、温度、仕込みの周期と関係しながら働いています。

微生物の働きは、その菌の種類だけで決まりません。

どのような原料が与えられるのか。
温度や水分はどの程度か。
酸素があるのか。
どのくらいの周期で新しい材料が加えられるのか。
ほかの微生物が存在するのか。
桶や鍋の表面に、どのような環境が形成されているのか。

同じ菌でも、置かれた条件によって働き方は変わります。

酒まんじゅうの酛から分離された酵母や乳酸菌は、味の原因を調べ、将来利用するための重要な資源です。

しかし、それは元の酛そのものを、小さな保存容器へ移したという意味ではありません。

呼び戻し式の豚骨スープでも、見つかったアーキアだけを加えれば、店の風味が完全に再現できると確認されたわけではありません。

味を作っていたのは、単独の菌ではなく、微生物群、原料、温度、時間、継ぎ足し方などが結びついた状態だった可能性があります。

ここには、二つの異なる方法があります。

一つは、味を作っていた構成要素を保存することです。

レシピを記録する。
香気成分を分析する。
微生物を分離する。
調理工程を映像に残す。

もう一つは、それらが関係し合い、味を生み出す環境を維持することです。

毎日、種を継ぐ。
原料の状態に合わせて温度を変える。
微生物が働きやすい環境を整える。
昨日との違いを見ながら、今日の仕込みを調整する。

構成要素を保存することは重要です。

ただし、その方法だけで、味を生み出していた関係のすべてが残るわけではありません。

そして、その関係を日々調整しているものの一つが、作り手の判断です。

【注】本稿では、「菌株を保存すること」と「酛・スープ・蔵・厨房の微生物環境を維持すること」を分けて扱っています。菌株保存は重要な生物資源保存ですが、それだけで元の味全体が保存されたという意味ではありません。

[JKMF編集部作成]

職人の判断は、どこまでAIに渡せるのか

職人の判断は、よく「勘」と呼ばれます。
その言葉には、説明できない特別な感覚という響きがあります。
けれど、熟練者の勘は、何もないところから生まれるものではないはずです。

何度も見てきた発酵の状態。
失敗した仕込みの匂い。
うまくいった日の温度。
季節による原料の違い。
食べ手の反応。

そうした情報が積み重なり、一瞬の判断になって現れていると考えられます。
それなら、職人が見ている変化を測定し、記録できれば、次の人へ渡せる情報を増やせるかもしれません。

発酵の分野では、そのための研究開発も進められています。

東京電機大学が2025年の新技術説明会で示した研究では、日本酒の発酵状態をDLC電極で電気化学的に数値化し、従来難しかった発酵過程の定量評価を可能にする技術が紹介されています。JSTの説明では、従来の官能検査や成分分析には時間を要し、熟練者の経験に依存する課題があるとされています。

この種の研究は、職人の判断を置き換えるというより、判断の根拠を次の人が学ぶための手がかりを増やすものとして読んだ方がよいでしょう。
ただし、センサーが示すのは、起きている変化です。
どの状態を良いとするのかまでは、測定値だけでは決まりません。

甘味をどこまで残すのか。
酸味を個性として生かすのか、欠点として抑えるのか。
昔の味を守るのか、現在の食べ手に合わせるのか。

その基準は、データの中に最初から含まれているわけではありません。
AIに渡すべきものは、データそのものではありません。
データと、判断基準と、介入のタイミングの関係です。

どの変化を見ていたのか。
どの状態を良いとしたのか。
どこまでの揺らぎを許したのか。
いつ介入すべきと判断したのか。

そこまで整理されて初めて、現場の記録は、次の判断に使える知識へ変わります。

発酵や香りをセンサーで測り、酒造りの判断へどうつなげるかについては、下記の「日本酒の『香り』を科学する。ポータブルセンサーで挑む醸造の可視化」も、現場側の実践として参考になります。


フィジカルAIとは、現場を見て、判断し、動くAIである

ここで、料理の話は、少しだけ産業の話へ広がります。

なぜなら、レシピの外側にある現場知をどう残すかは、料理だけの問題ではなくなりつつあるからです。

近年、政府や産業界が強く意識し始めているのが、AIロボティクスやフィジカルAIです。

内閣官房は、少子高齢化による構造的な人手不足を抱える産業の労働供給を補完し、生産性を高めるとともに、AI・ロボット産業を日本の新たな中核産業へ飛躍させるため、AIロボティクスに関する関係府省連絡会議を開催しています。

ここでいうフィジカルAIとは、文章を生成するAIとは少し違います。

AI事業者ガイドライン第1.2版では、フィジカルAIを、センサー等で物理環境の情報を取り込み、AIモデルで処理し、設定された目的を達成するための方策を自律的に推論・判断し、アクチュエータ等を介して物理的な行動へつなげるシステムとしています。サイバー空間での処理にとどまらず、現実世界に直接働きかけることが特徴です。

発酵や調理の現場で、作り手がしていることを考えてみます。

泡を見る。
香りを嗅ぐ。
生地に触れる。
温度を感じる。
火を弱める。
水を足す。
混ぜる。
待つ。
止める。

これは、フィジカルAIの言葉に置き換えれば、センシング、判断、物理世界への介入です。

もちろん、人間の料理人が持つ感覚や経験を、そのまま機械に移せるわけではありません。

けれど、フィジカルAIが現場で動くには、まさにこのような流れが必要になります。

何を見ているのか。
何を異常とみなすのか。
どの状態なら待つのか。
どの状態なら手を動かすのか。
どの動作を、どの強さで行うのか。

味をAIの身体へ渡すとは、レシピをAIに読ませることではありません。

AIが現場を見て、どの状態に対して、どの動作を選ぶべきかを学べる形にすることです。


現場データを集めても、現場知が残るとは限らない

この流れは、すでに政策の言葉にも表れています。

経済産業省は2026年6月30日、NEDOと連携して「AIロボット・フィジカルAIを見据えたマルチモーダル基盤モデル開発事業」を開始すると発表しました。経産省は、日本の産業の現場データを活用してフィジカルAIを実現することを「我が国の勝ち筋の一つ」とし、音声、画像、動画、センサーデータなどを扱う国産マルチモーダル基盤モデルの研究開発を進めるとしています。

また、GENIACでも2026年に、製造業データ等のAI-Ready化に関する研究開発テーマと、ロボット基盤モデルの研究開発テーマが採択されています。経産省は、これまでAIの性能向上を支えてきたウェブ上の公開データに加えて、今後は企業や組織が保有する実データの活用が一層重要になると説明しています。

ここから見えてくるのは、AIの競争軸が、画面の中だけではなく、現場へ移っていくということです。

これから多くの組織は、おそらく次のようなことを始めます。

現場動画を撮る。
センサーを増やす。
作業手順をデータ化する。
ベテランにヒアリングする。
ロボット実証を行う。
AI-Ready化を掲げる。
補助金や実証事業に参加する。

どれも必要なことです。

けれど、ここには落とし穴があります。

現場データを集めることと、現場知を渡せるようにすることは違います。
発酵室にカメラを置けば、映像は残ります。
鍋にセンサーをつければ、温度や時間は記録できます。
作業者の動きを撮れば、手順は見えるかもしれません。

しかし、その映像や数値だけでは、

なぜ、その瞬間に火を弱めたのか。
どの泡を見て判断したのか。
どの香りを失敗の兆候とみなしたのか。
どの揺らぎは許容したのか。
どの状態を「この店らしい」としたのか。

そこまでは分かりません。

データを集めるだけでは、現場知はまだ残っていない。

AIが使える形にするには、状態と判断と介入を結びつける必要があります。

数年先に差がつくのは、データ量だけではないのでしょう。

何を良い状態と呼ぶのか。
どの変化に介入するのか。
どこまで人間が判断するのか。
どこからAIを備えた機械に渡すのか。
失敗したとき、誰が責任を持つのか。

そうした設計まで持っている組織と、ただ現場データを集めるだけの組織の間には、大きな差が生まれるはずです。

GENIACやAI-Ready化の政策文脈をより平易に読みたい方には、下記の「〖製造業DX〗経産省も動いた『フィジカルAI』とは?現場の“リアルデータ”が次世代の競争力に変わる日」が参考になります。

[JKMF編集部作成]

味を継ぐとは、次の身体が戻れる道を残すこと

ここまで、味を残すためのいくつかの方法を見てきました。

レシピにする。
微生物を保存する。
成分を分析する。
工程をセンサーで記録する。
職人の動きを映像に残す。
現場データをAIが扱える形にする。

どれも、失われるものを減らすために必要な方法です。

けれど、どの方法を使っても、過去のある日に作られた料理を、永久に同じ状態で再現できるとは限りません。

材料は変わります。
気候も変わります。
衛生基準や製造設備も変わります。
作る人も、食べる人も変わります。

そこで、「保存」「再現」「継承」を分けて考える必要があります。

保存は、過去の状態や構成要素を記録し、保管することです。
レシピ帳、写真、映像、菌株、成分データ、センサーデータなどが含まれます。

再現は、保存した情報や材料を使って、過去の味へ近づこうとすることです。
残されたレシピから閉店した店の料理を作ることや、分析した香気成分を加工食品で再現することも、ここに入ります。
ただし、再現できるのは味の一部であり、場所や関係まで自動的に戻るわけではありません。

継承は、それより少し広いものです。
条件が変わったときに、何を守り、何を調整するのか。
何を変えれば、その料理らしさが失われるのか。
何を変えても、その料理であり続けられるのか。
それを次の担い手が判断できるようにすることです。

UNESCOは、International Food Atlas and Digital Platformを通じて、foodwaysを未来世代へ記録・保護・伝達する取り組みを進めています。食文化は完成した食品だけでなく、食材の扱い、調理、食事の共有、知識、技能、社会的実践を含む「生きた遺産」として捉えられています。

フィジカルAIの時代に、この「担い手」は少し広がります。

次にその味を立ち上げるのは、人間の後継者かもしれません。

あるいは、センサーで現場を見て、AIで判断し、機械として動くシステムかもしれません。

しかし、どちらであっても必要なものは同じです。

何を見ていたのか。
どの状態を良いとしたのか。
どこまでの変化を許したのか。
どの瞬間に、どこを動かしたのか。

それが残っていなければ、次の身体は、その味へ戻る道を見つけられません。

レシピは、作り方を残します。
菌株は、味に関わった生き物の一部を残します。
センサーは、現場で起きていた変化を残します。

けれど、次の身体が動くには、それだけでは足りません。

何を見て、どの状態を良いとし、どこを動かせばその味へ近づけるのか。
その判断基準まで渡さなければ、データは現場で使える知にはなりません。

味を継ぐとは、同じ答えを残すことではないと思います。

変化する材料や環境の中で、次の人間が、あるいはAIを備えた機械が、もう一度その味へ戻っていけるようにすることなのではないでしょうか。


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最後に

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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