市場が大きければ成功するのか? TAM・SAM・SOMを、論文で考え直す。
「市場規模は、どれくらいですか?」
新規事業の提案でも、スタートアップのピッチでも、あるいは新しいサービスの企画でも、この質問は早い段階で投げかけられます。
プロダクトの完成度や技術の独自性を語る前に、まず市場の大きさを問われます。これは、ビジネスの世界ではごく当たり前の光景です。
TAM(Total Addressable Market / タム):理論上、その製品・サービスが獲得し得る市場全体の規模
SAM(Serviceable Available Market / サム):自社の事業モデルや提供範囲を考慮した、実際にサービス提供が可能な市場規模
SOM(Serviceable Obtainable Market / ソム):競争環境や自社の能力を踏まえ、現実的に獲得可能と考えられる市場規模
現在では、新規事業やスタートアップに関わる人であれば、一度は目にしたことのあるフレームワークだと思います。
しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。なぜ、市場規模がこれほど重視されるのでしょうか。市場が大きければ、成功するのでしょうか。逆に、市場が小さければ、優れた事業でも成功できないのでしょうか。
実は、TAM・SAM・SOMという言葉自体は、学術論文から生まれた概念ではありません。スタートアップやベンチャーキャピタル(VC)の実務の中で普及し、その後、多くのビジネススクールなどで標準的なフレームワークとして定着してきました。
本稿では、TAM・SAM・SOMというフレームワークの説明に留まらず、その背後にある「市場を見る」という考え方を、実証研究やベンチャーキャピタル研究を手がかりに読み解いていきます。
■ 市場機会(Market Opportunity)を整理するフレームワーク
TAM・SAM・SOMというフレームワークは、もともとは、ベンチャーキャピタル(VC)などが重視してきた「市場機会(Market Opportunity)」を整理するために開発されたものだと言われます。
では、実際のVCは何を見て投資を判断しているのでしょうか。この問いに対する、大規模な調査があります(Gompers et al., 2020)。
Gompers et al. は、681社のベンチャーキャピタルに所属する885名の投資家を対象に調査を行い、投資判断の実態を分析しました。その結果、VCは投資案件を評価する際に、経営チーム、製品・技術、市場機会、事業モデルなど、多面的な観点から企業を評価していることが示されました。
当たり前ですが、市場規模だけで投資が決まるわけではありません。
調査では、多くのVCが、最終的な成功を左右する要因として「経営チーム」を製品や技術以上に重視していると回答しています。一方で、市場機会や成長性も、投資案件を絞り込む段階では重要な評価対象となっていました。
つまり、VCは「十分に大きな市場が存在する。その市場で、この経営チームなら勝てる可能性があるか?」という組み合わせで投資判断をしているようなのです。
この違いは、とても重要です。
TAM・SAM・SOMを学ぶと、多くの人は市場規模そのものに意識が向きます。しかし、VCが本当に知りたいのは「市場の大きさ」だけではありません。「経営チーム」です。
具体的な「経営チーム」の評価に入る前段階として、市場規模という情報を利用しているのです。
したがって、TAM・SAM・SOMは、未来の売上を予言するための数字ではありません。むしろ「成長の天井はどこにあるのか」という仮説を立てるための思考の枠組みだと言えるでしょう。
■ 市場規模の理解はどれほど重要か
ここで、一つの疑問が生まれます。もし市場規模が重要なのであれば、市場規模を正確に把握している企業ほど、実際に成長しているのでしょうか。
この問いに正面から取り組んだ研究の一つが、ハーバード・ビジネス・スクールのThomas Eisenmannによる調査です(Eisenmann, 2020)。
Eisenmannは、2015年から2018年初頭にかけて、シード資金を調達した米国のアーリーステージ・スタートアップ470社のCEOを対象に調査を実施し、その後の企業価値の成長との関係を分析しました。
この研究では、製品開発、マーケティング、組織運営、資金調達、チームマネジメントなど、スタートアップの成功に関わる数多くの要因が同時に分析されています。
その中で、興味深い発見がありました。
企業価値の成長と関連していたのは、創業者が「ユニットエコノミクス(=LTV/CAC:顧客生涯価値/顧客獲得コスト)」と「TAM(Total Addressable Market)」について、高い確信を持っていたことです(Eisenmann, 2020)。
ここで注意したいのは、この論文が示しているのは「TAMが大きい企業ほど成長した」という結果ではないことです。論文が示しているのは「自社のTAMを十分に理解していると考えていた企業ほど、その後の企業価値の成長率が高かった」という関係です。
この違いは非常に重要です。
市場は、ただ存在しているわけではありません。「どこまでを市場と定義するのか」「誰を顧客と考えるのか」「どこまで到達可能なのか」といった問いに対して、創業者なりの強い仮説を持っている企業ほど、実際の成果も高かったということです。
Eisenmann(2020)は観察研究であり、因果関係を証明したものではありません。また、調査対象は米国のシード期スタートアップに限られており、成熟企業や他国の企業へそのまま一般化することにも慎重であるべきでしょう。
それでも、この研究は一つの重要な示唆を与えてくれます。市場規模とは、未来を予測するための数字ではありません。「自社は、どの市場で勝負しようとしているのか」という経営仮説の質を間接的に映し出す指標なのです。
つまり、TAM・SAM・SOMとは「市場を測るためのフレームワーク」である以前に「自社の戦略を言語化するためのフレームワーク」と考えることもできるでしょう。
■ 市場が大きければ、成功するのか?
「とはいえ、市場の大きさも重要だろう」と感じます。しかし調べてみると、現実はそれほど単純ではありません。
巨大な市場に参入しながら失敗した企業は数え切れないほど存在します。逆に、市場規模は決して大きくなくても、高い収益性を実現している企業も少なくありません。
当たり前ですが「市場規模は、成功の必要条件にはなり得ても、十分条件ではない」ということです。
このことは、マーケティング研究でも繰り返し指摘されてきました。その代表的な研究が、Kohli & Jaworski による「市場志向(Market Orientation)」の概念整理です(Kohli & Jaworski, 1990)。
彼らは「市場志向」を単に「顧客の声を聞くこと」とは定義しませんでした。
市場志向とは「顧客や競合、市場環境に関する情報を継続的に収集する」「その情報を組織全体で共有する」「その知見に基づいて組織が行動する」ことです。
重要なのは、「市場を見る」ことではありません。市場を理解し、その理解を意思決定につなげることです。
さらに、Narver & Slaterは「市場志向」の高い企業ほど収益性や事業成果が高いことを実証的に示しました(Narver & Slater, 1990)。
ここで注目したいのは、彼らが測定しているのは「市場規模」ではないという点です。評価対象になっているのは「顧客をどれだけ深く理解しているか」「競合をどれだけ理解しているか」「部門間で情報共有が行われているか」といった、企業の市場理解能力です。
つまり、企業の成果を左右するのは、市場そのものではなく、市場を理解し、変化に適応する能力なのです。
この視点から見ると、TAM・SAM・SOMというフレームワークも、少し違って見えてきます。多くの解説では、TAM・SAM・SOMは「市場を小さく絞り込んでいく3段階の図」として説明されます。
しかし、本質は数字を削っていくことではありません。
TAM:どのような顧客課題が社会全体に存在しているのか?
SAM:その中で、自社が価値を提供できる領域はどこか?
SOM:競争環境や自社能力を踏まえ、獲得できる範囲はどこか?
つまり、この3つは市場規模を計算するための数式ではなく、市場に対する理解を段階的に深めていく思考プロセスなのです。
だからこそ、同じ市場を見ても、企業によってTAMやSAMの見積もりが大きく異なるのです。
市場は客観的に存在する数字であると同時に「どの顧客を見ているか」「どの価値を提供しようとしているか」によって、その姿が変わるものでもあるからです。
■ なぜ、SAMなのか?
TAM・SAM・SOMという言葉を初めて学ぶと、まず、TAMに目を奪われます。「市場規模は10兆円です」といった数字を見ると、なんとなく、すごそうに感じます。
しかし、経営者や投資家が本当に知りたいのは、TAMではありません。
「自社は、どの市場で戦うのか」
その答えです。つまりSAM(Serviceable Available Market)です。
SAMとは、自社の商品・サービス、ビジネスモデル、販売チャネル、技術力などを踏まえたときに、実際に価値を提供できる市場を指します。
例えば、日本全国に介護サービスを必要とする高齢者がいるとしても、ある介護事業者が東京都内だけでサービスを提供しているのであれば、その企業にとっての市場は全国ではありません。
あるいは、企業向けAIを開発している会社であれば「すべての企業」が市場なのではなく、自社の技術や営業体制で価値を提供できる企業群こそが、市場になります。
つまり、SAMとは「私たちは誰の、どんな課題を解決する会社なのか」という問いに対する答えなのです。
この考え方は、マーケティング研究ともよく一致しています。
Narver & Slater (1990) が示した「市場志向」とは、顧客を増やすことではありませんでした。顧客を深く理解し、その価値創造に組織全体で取り組むことです。
この視点に立つと、SAMとは単なる市場の切り分けではありません。「どの市場なら、自社は他社より大きな価値を提供できるのか」という戦略的な選択そのものなのです。
実際、多くの成功企業は、最初から巨大市場を狙っていたわけではありません。
Amazonは、創業当初は「本」という極めて限定されたカテゴリーから始めました。Salesforceも、当初はクラウド型CRMという、当時としては非常に限定的な市場を狙いました。Teslaも、高級スポーツカーというニッチ市場から事業を開始しています。
彼らはTAMを否定したのではありません。将来的なTAMを見据えながらも、まずは勝てるSAMを選んだのです。
そして、その積み重ねによって、自社の能力は高まり、提供価値は広がり、SAMそのものが拡大していきます。
つまり、SAMは固定された市場ではありません。企業の成長とともに変化する市場なのです。
このように考えると、TAM・SAM・SOMは静的な市場分析ではなく、企業の成長プロセスを描いたフレームワークであることが見えてきます。
では、その最後のSOMは何を意味しているのでしょうか。SOMは、「市場規模の最後の数字」ではありません。それは、自社の戦略が実行された結果として、初めて現実になる市場です。
■ SOMは「市場」ではなく「戦略」の成果
TAM・SAM・SOMを説明する図では、多くの場合、3つの同心円が描かれます。一番外側がTAM、その内側がSAM、さらに内側がSOMです。
この図だけを見ると、SOMは「SAMよりもさらに小さい市場」と理解してしまいがちです。しかし、その理解では少し本質を見落としています。
SOM(Serviceable Obtainable Market)とは、単に市場を狭めた結果ではありません。自社の戦略が成功したときに、実際に獲得できる市場です。
つまり、SOMは市場の性質ではなく、自社の能力によって決まる数字なのです。だから、まったく同じSAMを見ていても、二つの企業があれば、SOMは同じにはなりません。
営業力が強い企業、ブランド力がある企業、製品開発力が高い企業、販売パートナーを多数持つ企業、あるいは、資金力が豊富な企業など、背景の違いによって、現実に獲得できる市場は大きく変わります。
言い換えれば、SAMは「どこで戦うか」の問いから生まれ、SOMは「どう勝つか」の問いから生まれる数字です。
もし市場規模だけが重要であるなら、同じ市場を狙う企業はすべて同じ評価になるはずです。しかし、現実にはそうなりません。VCは「この市場にはチャンスがあるか」という問いと同時に「このチームなら、その市場を獲得できるか」という問いを考えているのです。
つまり、SOMとは、市場分析の結果ではありません。競争戦略の結果なのです。ここで思い出したいのが、古典中の古典、Michael Porterの競争戦略です。
Porter (1980) は、企業の成果は市場の魅力だけでは決まらず、競争優位によって決まると論じました。同じ市場にいても「コスト優位を築く企業」「差別化に成功する企業」「特定市場へ集中する企業」では、獲得できる顧客も市場シェアも異なります。
つまり、SOMは競争戦略を数字で表現したものとも言えるでしょう。
さらに、資源ベース理論(Resource-Based View)も、この考え方を支持しています。
こちらも古典、Barney (1991) は、企業が持続的な競争優位を実現するためには、価値があり、希少で、模倣が難しく、代替しにくい資源(VRIN)が必要であると論じました(これは後に、組織的な活用を含めたVRIOとして整理されます)。
もし競争優位が企業固有の資源によって生まれるのであれば、同じSAMを前にしても、企業ごとのSOMが異なるのは当然です。
ここまで見てくると、TAM・SAM・SOMは単なる市場分析フレームワークではないことがわかります。
TAM:市場機会を考える視点
SAM:自社が価値を提供する領域を選択する視点
SOM:自社の競争優位がどこまで通用するかという視点
つまり、この三つは、市場・顧客・競争戦略を一つのストーリーとして考えるためのフレームワークになっています。
■ まとめ
TAM・SAM・SOMは、事業計画書やピッチ資料ではおなじみのフレームワークです。そのため「市場規模を計算するための手法」という印象を持ちやすいかもしれません。
しかし、本稿で見てきたように、本質はもっと深いものです。
いくつかの研究を並べてみると、一つの共通点が見えてきます。それは企業の成長を決めるのは市場の大きさではなく、市場に対する理解の質であるということです。
TAMを考えるとは「どのような顧客課題が存在するのか」を考えることです。SAMを考えるとは「その中で、自社は誰に価値を提供するのか」を決めることです。SOMを考えるとは「競争の中で、自社はどこまで価値を届けられるのか」を考えることです。
これらはフレームワークというよりも、むしろ市場を理解し、戦略を構築するための思考プロセスなのです。
本当に重要なのは、TAM・SAM・SOMの数字が「どのような仮説の上に成り立っているのか」です。そこに明確な論理があるとき、TAM・SAM・SOMは単なる数字ではなく、経営戦略そのものを語る言葉になります。
ビジネスでは「市場規模はどれくらいですか?」と尋ねられることがよくあります。しかし、本当に問われているのは市場の大きさではありません。
「あなたは、その市場をどれだけ深く理解していますか?」
TAM・SAM・SOMというフレームワークが、僕たちに投げかけている問いは、実はそこにあるのだと思います。
参考文献:
・Barney, J. (1991). Firm Resources and Sustained Competitive Advantage. Journal of Management, 17(1), 99–120.
・Eisenmann, T. (2020). Determinants of Early-Stage Startup Performance: Survey Results. Harvard Business School Working Paper No. 21-057.
・Gompers, P. A., Gornall, W., Kaplan, S. N., & Strebulaev, I. A. (2020). How Do Venture Capitalists Make Decisions? Journal of Financial Economics, 135(1), 169–190.
・Kohli, A. K., & Jaworski, B. J. (1990). Market Orientation: The Construct, Research Propositions, and Managerial Implications. Journal of Marketing, 54(2), 1–18.
・Narver, J. C., & Slater, S. F. (1990). The Effect of a Market Orientation on Business Profitability. Journal of Marketing, 54(4), 20–35.
・ポーター, M. E.(著)土岐坤・中辻萬治・服部照夫(訳)(1995)『競争の戦略』新訂版、ダイヤモンド社。原著:Competitive Strategy, 1980.
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