旋律が彷徨う 第7話 #創作大賞2026
タクシーがホテルの前で止まった。全員がそそくさと下りて、エントランスに向かって行く。
「ごめん。俺はコンビニに寄って来るよ。歯磨き粉がなくなっちゃってさ……」
声を懸けると、秀人が手を振って、ホテルの中に入って行った。健二はホテルの横の小径に入り込んだ。通りに背を向けて、スマホを取り出す。即座に玲子の番号を押した。繋がらない。呼出音さえ鳴らず、虚しく「電源が切れている」とアナウンスが流れた。他に連絡を取る手段はあるだろうか。
玲子は四六時中、パソコンに向かっている、常にLINEも立ち上げている。LINE通話であれば、話せる可能性が高い。即座に玲子のアイコンで通話ボタンを押した。呼出音が鳴っている間、生きた心地がしなかった。
「どうしたの、こんな時間に? 今日は冥婚式のはずでしょ。無事に終わったの?」
玲子の声が耳に届いた。これで、助かる。思わず崩れ落ちそうになった。
ただ、不安もあった。不機嫌そうな響きを伴っている。昨日の会話を思い返す。まだ不審を持っているのかもしれない。
「困ったら、すぐに連絡をしろって言われたからですよ。僕だけじゃ、解決できない問題が発生してまして……」
健二は恐る恐る言葉を返した。何としてでも、隠蔽に加担をさせなければならない。慎重に言葉を選んでいた。
「私の推測は間違っていなかったのね。薬だったら、すぐに手を打てるわ。まずは、入手経路を教えて頂戴」
予想通りの回答だった。まずは玲子に聞く耳を持たせなければならない。
「違うんです。僕は断じて、薬物はやっていません。でも、状況はもっと複雑で……。秀人が結婚した女性なんですけど……。実は事故死した時、一緒にいたんです」
「どういうことなの? 輝樹君からは、何にも聴いていないわよ」
玲子の言葉に焦燥が滲んでいた。このまま、上手く巻き込めば、乗り切れる。混乱しながらも、頭の中では計算を働かせていた。
「マンションの隣の部屋に住んでいた人なんですよ。それで、仲良くなったんですけど。彼女の部屋で一緒に食事をしていたら、突然、市販薬を大量に飲み始めて……。そのまま倒れたんです。怖くなって、自分の部屋に戻ったんですけど、まさか死ぬとは思っていませんでした」
健二は早口で捲し立てた。流石に殺人ともなれば、玲子にできる手段はない。だが、事故死であれば、残された道はあるはずだ。
「ちょっと待ってよ。式が終わった直後に、輝樹から報告があってね。秀麗さんは、《愛よ、消えないで》のピアノ音源を持っていたんでしょ。これが偶然とは考えられないんだけど」
玲子の問い懸けに我に返った。いつの間に輝樹は連絡していたのか。おそらくタクシー移動の途中だ。思い返せば、スマホをいじっていた気がする。
「僕が聴かせた曲を覚えていたんだと思います。ギターの弾き語りをしてあげましたから」
健二は苦し紛れの言葉を返した。ここで怯んでは、全ては崩壊する。何とかして、玲子に翻意させなければならない。
「おかしいわね。亡くなったのは半年前でしょ。あなたが曲を持って来た時期と一致する」
「感想を聴きたくて、触りだけ歌ったんですよ。秀麗がここまで完璧に耳コピするなんて、想像もしていませんでした……」
答えながら、自らの声が上擦っている状況に気付いた。正常な精神状態ではいられない。だが、真実を打ち明ける訳にもいかない。
「私を騙そうったってダメよ。言ったでしょ。あらゆる手段を尽くして、揉み消すって。そのためには、正直になってもらいわないといけないの。だから、全てを明かしなさい。私を信用するのよ。他にあなたが助かる手はないのよ……」
玲子の声が耳の中で響いた。どうすべきか。このままではどちらに転んでも助からない。
「……私は勘付いていた。あなたの精神がおかしくなっているってね。点と線を繋げると、一つの推測が浮かぶわ。あなた、秀麗さんを殺して、曲を盗んだのね」
呼吸が止まった。何故、玲子は真実を知っているのか。素直に受け入れる気には到底なれない。
「違います。事故だったんです。あんなことになるなんて、思ってなかったんだ!」
健二は一縷の望みを懸けて、叫んだ。
「冷静に聴いて頂戴。隠蔽工作にはプロを雇うわ。事故死と殺人では、全く手法が異なる。だから、正直に話しなさい。後で嘘が発覚したら、本当に手の施しようがなくなる。悪いようにはしないから……」
玲子の口調が変わっていた。昨日のズームを思い返す。子供を諭すような優しさが滲んでいる。
冷静に思案する。玲子が芸能界で暗躍して来た事実は揺るぎない。きっと、輝樹や秀人も説得してくれる。
「秀麗の曲を聴いた時、衝撃が走ったんです。あまりにも素晴らしくて、例えようのない嫉妬に襲われました。どうしても、手に入れたくなって‥…。殺害以外の方法は思い付きませんでした……」
健二は低い声を発した。
「よく打ち明けてくれたわね。詳細を教えて頂戴。そもそも、どうやって秀麗さんと出会ったの?」
玲子の声が耳の中で谺した。罪から逃れるためには、他には方法はない。
「マンションのエレベータです。偶然にも隣の部屋だったんです……。綺麗な人だったので、思い切って声を懸けたんです」
「なるほどね。それで、どうやって殺したの?」
「……致死量を超える量の睡眠薬を混ぜた飲み物を用意したんです。どうか、僕を守って下さい。一生、恩に着ますから……」
健二は項垂れた。気が付くと、全てを打ち明けていた。もう隠し事は一つもない。あとは玲子に任せるだけだ。
「分かったわ。とにかく何事もなかったように振る舞って。明日、私は空港に迎えに行くわ。車で私の事務所まで送る。そこで、作戦を考えましょう。だから、予定通りに飛行機に乗ってね」
言葉を終えると、玲子は一方的に通話を切った。恐怖は消え去っていない。だが、あと1日、持ち堪えれば、全ては終わる。小さな安堵が心の中で芽生えていた。
第8話につづく
