旋律が彷徨う 第3話 #創作大賞2026
午後5時。本来なら、夕食前の楽しいひとときだが、いつもとは違う空気が漂っていた。全員が輝樹の部屋に集まり、議論が続いていた。
「……じゃあ、結婚って言っても、別に届出を出す訳じゃないんだ。つまり、儀礼的なことだけですね。結婚後は、どうなるんですか?」
秀人が端的に尋ねた。
「特に決まりはないです。式が終われば、お礼を頂くだけです。その後、別の人と本当の結婚をしても問題ありません。遺族と親戚みたいな付き合いを続ける人もいます」
丹丹が即答した。
「台湾では、今でも当たり前に行われているんですか? 紅包を拾った人は、快く応じるのかな……」
秀人は食い気味に質問を重ねた。同情心が強いのか。それとも、単なる好奇心なのか。真剣な面持ちが気になった。
「断ることもできますよ。台北では、ほとんど廃れていますしね。紅包を見ても、逃げちゃう人が多いです。でも、高雄や台南では古い因習がまだ根強く残っていて……。こちらの家族はお父様を早くに亡くされて、ずっと母1人、娘2人で暮らしていたんです。だから、思い入れが強いみたいで……」
丹丹の回答に秀人は納得した表情で相槌を打っていた。健二は出方を探っていた。どうやら、秀人は拒否する気配ではない。むしろ、乗り気になっている。このまま、黙っていては受け入れる可能性がある。心拍が急速に上がる感覚になった。
「昔の日本にも地域によっては、似たような風習があったみたいだな。おばあちゃんに聴いた記憶があるよ」
輝樹が言葉を重ねた。まずい。いつの間にか、前向きな論調に変わっている。健二は気付いていた。こんな偶然がある訳がない。おそらく、家族は事故死を認めていない。
緻密に考えた計画を思い返す。どこにも綻びはなかったはずだ。今にして思えば、半年掛かりだった。切っ掛けはマンションのエレベータだった。何度か秀麗と一緒になり、美しい女性だと思った。
数日後、驚くべき出来事が起こった。ドアを開けて、廊下に出ると、部屋から出て来る秀麗と鉢合わせした。隣人であると分かり、思い切って声を懸けた。辿々しい日本語だったが、愛らしかった。
秀麗はアニソンが大好きで、日本に留学していた。ポピュラー音楽の専門学校で、キーボードと作曲を学んでいた。
事実を知ると、納得ができた。健二の住むマンションは防音加工が施されている。故に住人のほとんどが音楽関係者だ。防音マンションとしては、家賃も比較的安いので、音大生なども住んでいる。
秀麗との距離が縮まるのに時間は掛からなかった。売れていないとはいえ、健二はプロのミュージシャンだ。秀麗はいたく興味を持ち、デモ音源を聴いて欲しいと申し出た。
一つの意志が芽生えた──秀麗を自分の物にしたい。頭の中では艶かしく抱き合う姿を想像していた。
健二は自宅に招いた。秀麗は不審を抱く様子もなく、快諾した。この時は女として見ていた。だが、直後に健二の心は一変した。
2人で酒を飲みながら、秀麗の曲を聴いた時、脳天を打ち砕かれた。学生のレベルを遥かに超えていた。あまりの素晴らしさに、思わず放心していた。しばらく聞き惚れていると、別の感情が湧き上がった。一生を懸けたとしても、絶対に勝てない。形容し難い落胆があった。自らの才能のなさを思い知らされた。
健二は矢継ぎ早に質問を繰り返した。
秀麗は日本に来てから、20曲を書き溜めていた。どの曲も、まだ誰にも聴かせていなかった。分かった事実は邪心を生む力を持っていた。
秀麗に対する嫉妬と願望が混じり合い、自らに問い懸けた。このまま続けていても、夢を達成できるのだろうか。念願が適って、プロのミュージシャンにはなれた。だが、売れる気配は全くない。玲子にも酷評される毎日だ。
強い思いが湧き上がった。何とかして、這い上がりたい。スポットライトを浴びたい。それだけではない。金を稼いで、裕福な暮らしをしたい。
秀麗の曲を盗めば、実現できる。そのためには、どうすべきか。秀麗が帰った後、何度も考え抜いた。
出した結論は最も単純な方法──殺人だった。
健二は一つの重要なヒントを得ていた。秀麗は不眠症に悩んでいた。日本に頼れる人物もおらず、困った、と話していた。だとすると、事故死に見せ掛けられる。自然な流れで大量の睡眠薬を飲ませることができれば、完全犯罪を実現できる。
心の底には秀麗を抱きたい気持ちが残っていた。男の欲望と人生を変える曲のどちらを選択するべきか。僅かに葛藤したが、すぐに決断した。
深い仲になれば、怪しまれる危険が高まる。秀麗の家族や友人に健二の存在が知られる前に決行しなければならない。
ネットで徹底的に調べ上げた結果、メチルエフェドリンを含んだ市販薬でオーバドーズに至る事実を知った。若い女性が濫用して、死に至ったケースも頻発していた。ただし、制約はある。自殺や事故死を防ぐために1人に1箱しか販売してくれない。
毎日、仕事の合間に薬局を回り、メチルエフェドリンを含む睡眠薬を買い集めた。その間、廊下で秀麗と会っても、挨拶程度の会話に留めた。
1ヶ月後、健二は殺人が可能な量の睡眠薬を手に入れた。直後に秀麗の自宅に行く約束を交わした。前回のお返しに今度は新曲を聴いてもらいたい、と申し出た。
本来、自宅に招いたほうが自然に誘い込める。だが、遺体を放置するためには秀麗の部屋でなければならない。キッチンの調子が悪いと嘘を吐き、信じ込ませた。食材を買い込み、和食を振る舞うとも約束した。苦しい言い訳ではあったが、永年培った話術で切り抜けた。
当日は事前に用意した特製のドリンクも持参した。中には致死量を上回るメチルエフェドリン入りの睡眠薬を混入させていた。
ミキサーで砕いたので見た目には分からない。砂糖とナツメグもたっぷりと入れた。濃い味付けにして、怪しまれない状態にしておいた。
完璧な計画だった。絶対に発覚しない自信があった。なのに、何故、秀麗の家族は気付いたのか。
奥歯を噛み締めながら、推測を巡らせる。茶番劇の目的は復讐に違いない。だが、腑に落ちない点が多すぎる。まず、これほど回りくどい方法を採る意味が分からない。何より、秀麗の隣人だった男が、《センテニアル》の相良健二だと突き止められる訳がない。そもそも台湾に来ている事実を、どうやって知り得たのか。
それだけではない。あれほど都合よく、撮影現場に現れるなど、偶然であるとは、考えられない。頭の中では、あらゆる謎が飛び交っていた。
健二は奥歯を噛み締めた。今、ここで終わる訳にはいかない。元の暮らしには戻りたくない。犯行の証拠は一切残していない。静かにやり過ごせば乗り切れるはずだ。いや、どこかに罠が隠されているかもしれない。自問を繰り返した。
「先方は、いつ式を挙げたいって言ってるんだ? 明後日には帰国だから、やっぱり難しい気がするけど…‥」
輝樹の論調は完全に変わっていた。否定しながらも、協力姿勢になっている。
「招待客を呼ぶ訳じゃなくて、お寺でしめやかに、お経を唱えるだけですよ。むしろ日本の法事に近いです。準備は整っているので、応じてくれるなら、こちらの都合に合わせるそうです」
丹丹が飄々と答えた。健二の心には、大きな苛立ちがあった。ライブのために雇ったはずなのに、いつの間にか家族側の人間のような態度になっている。
「今日の撮影が割りと順調だったから、明日はそれほど忙しくはない。夕方以降だったら、できなくはないな……。秀人は、どう思っているんだ?」
輝樹が尋ねた。もはや、要求を受け入れる前提になっている気がした。このまま、流れに任せて良いのか。沸々と不安が押し寄せる。
「僕は結婚してもいいと思っています。お母さんの泣き崩れる顔を見たら、断りきれないですよ。あの人たちの心が少しでも晴れるなら、協力してあげたい気持ちになっています」
信じられない言葉が秀人の口から放たれた。こうなったら、全力で阻止するしかない。目的も分からぬ茶番に付き合わされるなど、耐えられない。
「ちょっと待ってくれよ。死者と結婚なんて、勘弁してくれ。ようやく、ファンが集まり始めたのに、みんな、離れて行くぞ!」
健二は、思わず声を荒げた。
「お前には、人の心がないのか? 若い娘さんが、亡くなったんだぞ。どれほど辛いか、理解してやれよ」
秀人は冷静だった。
見返すと、強い眼差しが刺さった。まずい。説得する意志に満ちている。完全に劣勢に立たされた。
「本気なのか? 俺たちにとって、今がどれほど重要な時期なのか、分かっているのか」
とにかく、秀人を翻意させなければならない。考えるよりも先に言葉が口を突いて、出ていた。
「逆だろう。せっかく、宣伝のために台湾に来たんだ。これがニュースにでもなれば、美談になる。むしろ、ファンが増えるかもしれない」
「ふざけるな! オカルト紛いのユニットって思われて、人気が落ちるだけだ!」
健二は引き下がらなかった。真実を明かす訳にはいかない。あらゆる口実を捻り出して、訴えた。
「二人とも、落ち着け。いずれにしても、俺たちの独断では決められない。玲子さんの意見を聴こう」
輝樹はいきなりLINE通話を始めた。
思わぬ方向に展開している。とはいえ、反論する余地もない。玲子の決断は、《センテニアル》にとって、絶対だ。
スピーカにしているため、呼出音が室内に鳴り響いた。胸の鼓動と同期して、心を掻き毟った。
「どうしたの? 何か問題があった?」
玲子の声に不安が混じっていた。
「違いますよ。ちょっと珍しい出来事があって、良いのか、悪いのかも判断できなくて、相談したいんです。実は……」
輝樹は電話口で延々と説明を続けた。時折、玲子の相槌が聴こえる。
「……亡くなった方には、お気の毒だけどね……。あまり賛成できる話ではないわ。儀礼だけとはいえ、結婚する訳でしょ。秀人が良くても、どうかしら……。それに、健二は反対なんでしょ……」
玲子は開口一番、否定的な主張を放った。
「僕も正直に言って、怖いんです。いや、霊とか、そういう意味じゃなくて。亡くなった女性の家族が、どういう人かわからないので……。僕たちがミュージシャンって知れば、日本に追い掛けて来るかもしれないし……」
健二は、ここぞとばかりに反対した。常識的な見解で空気を変えたかった。
「確かに心配だわね。一応、家族になる訳だから、お金の無心なんかされたら、堪らないわ。貴重な意見をありがとう」
玲子の口調が気になる。
健二に理解をしながらも、肯定はしない。中立な司会者を装っている。
「僕は全く逆の意見です。せっかく、宣伝のために台湾に来たんですよ。ニュースにでもなれば、美談になる。ファンを増やすチャンスです。そうなれば、家族が金の無心に来ても、メディアに取り上げられます。きっと、台湾のファンが守ってくれますよ」
秀人はボソボソと答えた。
頭の中では怒りが沸騰していた。どうして、ここまでお人好しなのか。殴り飛ばしてでも、強引に諦めさせたかった。
「こうしましょう。健二の意見も間違っていない。秀人の気持ちもよく分かる。結婚式の様子を撮影して、SNSで発表するのよ。台湾で、こんなことがありましたってね」
玲子の回答が胸に突き刺さった。最悪の事態だ。できれば、逃れたい。だが、ここで騒げば、確実に怪しまれる。健二は心を抑えて、状況を見守った。
「そんなことして、大丈夫なんですか? ファンが許してくれませんよ……」
輝樹が割り込んだ。批判的な口振りではない。念のための確認をしている気配だった。
「隠し事はダメよ。断って、あとでバレれば、おかしな印象に繋がる。秀人の気持ちは大切だから、それをファンに伝えるのよ。そうすれば、家族が日本に来ても問題ない。変な要求があっても、後で弁明できるはず……」
玲子の冷静な回答に輝樹の顔つきが変わった。
このままでは秀麗と秀人の「結婚」が現実になってしまう。事態を変える方法はあるだろうか。自問を繰り返すが、答えは見出せない。
「流石はファン心理を知り尽くしていますね。僕は賛成です。でも、先方が納得するかどうか分かりませんよ」
輝樹の返答に一筋の光が見えた。家族が認める訳はない。売れ始めたばかりとはいえ、一般人とは桁違いのフォロワーがいる。健二は、あえて黙って黙り込んだ。
「日本で亡くなったのよね。だったら、ファンにも供養に参加してもらいたい。みんなで故人の心を鎮めたいって……。儀礼的な結婚であっても、ファンに無断ではできないって説明するのよ。これなら問題ないでしょ!」
玲子は強い語気で言い放った。健二はゆっくりと唾を飲み込んだ。反論できる気配は微塵もない。輝樹も秀人も納得した顔つきで、むしろ目を輝かせている。
敏腕プロデューサーの判断力には頭が下がる。だが、今の健二にとっては、死刑宣告に近い響きがあった。
「丹丹。家族に連絡できるか? 今すぐに結論を出したい」
輝樹が声を上げた。
丹丹が間髪を入れずに、スマホのボタンを押した。直後に中国語の会話が始まった。内容は分からないが、肯定的な口調に聴こえる。時折、丹丹の言葉に小さな笑い声が混じっていた。
「大丈夫です。全面的に了承する、と……。冥婚を受けてくれて、本当に嬉しいって、最後は涙声になっていました」
丹丹の回答が室内に響いた。
輝樹と秀人は小さく歓喜の声を上げている。健二にとっては、全く別の意味を持つ。まるで処刑台の階段を上らされている気分だった。
「それで行きましょう。私は確信している。これを良い切っ掛けにして、《センテニアル》をメジャーにする。輝樹君、あとは頼んだわよ」
玲子は要点だけ伝えると、一方的に電話を切った。輝樹はパソコン画面を見ながら、丹丹と議論をし始めた。明日の段取りを確認しているのだろうか。
「明日は午前9時にロビー集合にしよう。結婚式が始まるまでは、街中で散策のシーンなんかを撮る。じゃあ、今日は、これにて解散。お疲れ様でした」
輝樹は事務的に声を発した。背中に形容し難い寒気が走る。完全に追い詰められた。とにかく、何とかしなければならない。
いっそ、このまま逃げてしまうか。いや、できない。せっかく掴み掛けた夢を簡単には諦められない。だったら、どうすれば良いのか。
思案を繰り返すが、答えは見出せない。冷静に考える。冥婚式は明日だ。それまでに、何らかの方策を考えれば良い。健二は心を抑えて、立ち上がった。
第4話につづく
