Le Cheval Pâle Tableau Ⅶ
ラッピングされた小箱のリボンをほどくと、黒いベルベットに包まれた鍵が一つ、音もなく転がり落ちた。
クローゼットの中には、パリの夜に似つかわしくない重さが静かに潜んでいた。
神谷はクローゼットの中から見慣れたケースを取り出し鍵を開けた。
McMillan TAC-50 手に馴染んだ相棒が格納され黒く光を帯びているように見えた。
神谷はNight forceのスコープを覗いて唇の端を少しだけ上げた表情をみせた。
Ruger Mark Ⅳ 22/45 Lite
22口径のピストルで軽量なフレームと高い精度が特徴でサプレッサーを組み合わせると抜群の消音効果がある。神谷はSilencerCo Sparrowを合わせる。
そしてスチール製のスリングショットも入っていた。
もちろん弾丸や鉛玉、音だけ出す空砲用の薬莢に癇癪玉が入っている。
他にミッションやメッセージが入っているわけではない。
神谷は「なんだよ…さっそくテストですか…」
とどうせ盗聴されているだろうと声に出して誰かに言った。
まあマルセルやハンナが言っていた通り今夜は疲れているし酒も入っている。
これ以上は触らず、またケースにしまい鍵をかけてクローゼットへ戻した。
シャワーを浴びながら久しぶりに湯船に浸かりたくなったのでバスタブに軽くお湯をはり久々のお風呂で呑気に鼻唄を歌ってしまう。
シャワーを浴び終えてから就寝するまではあっという間で、久しぶりにレンジャー訓練の夢を見て目を覚ました頃には、もう夜明け前だった。
昨晩の会話をしっかりと思い出すように、ベッドに広くパリの地図を広げた。
(ノートルダム…ホテル…観光名所…距離…ル・ムーリス…路地裏…)
届けられた装備での自分の狙撃最長距離や射角を確認し始め、すでにミッションは始まっていると勝手に思い込んでいた。
(パリの土地勘を…行っていない場所があり過ぎる…)
少し陽が登ってきた頃にはタブレットを操作し繋がりを探す事に没頭していた。
「あぁ〜わかんね〜」
悲鳴にも聞こえる落胆の自分の声に
(こう言う時に宮内さんが居ればいいのに…)
と妄想は暴走していた。
神谷は翻訳イヤフォンを耳に付けるとテレビを流し始め、今日も順調に翻訳してくれていると、イギリスとの領海権争いのニュース続報を聴いていた。
ノートルダム大聖堂の朝ミサの鐘の音が響き
やがて部屋のチャイムが鳴り相変わらず
J'ai apporté le petit-déjeuner.
と今朝も、いつものコンチネンタルブレックファーストが届き、ギャルソンはテーブルにセッティングしている。
「他に何か手伝える事はありますか?」
とギャルソンは聞いてくれたが、神谷は首を横に振っただけで答えた。
テレビのニュースでは相変わらずサッカーの試合結果が放送されている。
昨日までのフランス料理ばかりの神谷はギャルソンを呼び止め
「I want to eat Japanese food, so are there any restaurants you can recommend?」
とどこか日本食のレストランでおすすめはないか聞くと、ギャルソンは嬉しそうにベッドに広がったパリのマップに、持っていたボールペンで幾つか印をつけて紹介してくれた。
また、最近のパリでは日本食レストランは混むから、予約するならフロント前のコンシェルジュデスクへ行くと良い事も教えてくれ、部屋を後にした。
パリの地図を見ながら、神谷はまずはKanpaiと言う店を目指して行ってみようと決めた。
なぜなら、フランス人のギャルソンが大好きなのはKodawariRamenらしく、日本食じゃないじゃんと小声でツッコンでいたからだ。
リュクサンブール公園の裏か…ランチで行ってみよう。
そう決めた神谷は朝食を食べ終えると、自分で片付け廊下に出し、ドアノブに清掃不要、入室禁止の札をかけ、室内の小さなデスクにスナイパーライフルを置き、一度バラしてからクリーニングを始めた。
手慣れてるとはいえ、ライフルとハンドガンのクリーニングは時間がかかり、気がつけばもう昼の2時を回っていた。
クリーニングを終えた装備をまたケースにしまい、鍵をかけてクローゼットへしまうと、ベッドに横になり軽く目を閉じた。
相変わらず昨晩のマルセルとハンナの言葉が気になり、陽が沈む頃にKanpaiへと部屋を出た。
ドアマンに、何処に行くのか聞かれると、Kqnpaiへ行くと伝え、ドアマンはあの辺は路地裏が物騒だから気をつけなよ。と訝しげな表情で警告をしてきたが、神谷にはあまり気にする事ではないと思い、Instagramの画像を見ては何を食べようか考えていた。
スマホでマップとInstagramを見ながら歩いていると、後ろから急なエンジンの減速音がし、振り向いた時には二人乗りのバイクの後ろの席から手が伸びていた。
咄嗟に気づいたおかげで身体を半転させ、避ける事ができた。
「あぶねーな〜」
ただそれだけ呟きKanpaiを目指す。
歩いているうちにもう陽は沈み街灯に灯りが灯っていた。
ドアマンの言っていた路地裏を覗き込むと、移民系なのか、若者達がタバコか大麻かを吸いバカ笑いしている。
急に覗き込んできたアジア人に全員が罵声をかけてきた。
勢いのある若者達はおさまりがつかず神谷を取り囲んで金銭を要求しているようだった。翻訳イヤフォンは無駄に性能が良く
『ブジニリョコウヲシタケレバモッテルダケノキャッシュヲゼンブワタセ』
と翻訳してくれた。
と同時に後ろから頭頂部の髪を引き揺されてしまった…
普通の、いや一般的な観光客やビジネスマンだったらここは持っているだけの現金を置いて逃げる方が当然だ。
だが神谷は違った。
引っ張られる力に身を預け、半転しながら体当たりで1人目を吹き飛ばすと、同時に傍にいた誰でもない青年へ回し蹴りが入っていた。
ほんの数秒で2人が倒れた。蹴られた被害者の反対側に立っていた青年もビビる暇なくみぞおちに拳がめり込む。
正面から絡んできた青年は呆気に取られるもすでに爪先が踏まれていて逃げられない。真上からのゲンコツで崩れ落ちていた。
神谷はまたスマホでマップを見ながらKanpaiを目指して歩き始めた。
元とはいえ日本の第一空挺団、レンジャー達は本当に一見では普通の人にしか見えないから気をつけた方が良いと言う、完璧な一例だった。
Kanpaiに到着すると一名客の神谷はテラス席へ通された。まだ4日しか経っていないのに緑茶が美味い。
とりあえず知っているローマ字と、漢字を指差し店員にオーダーをする。
久しぶりの日本酒だと頼んだら、なんと焼酎が出てきたのは驚きだ。
まぁ間違えたのだろうと焼酎のストレートに刺身と唐揚げを食べた。
フランスでは魚を生で食べる文化がまだ浅いので、鮮度は期待値以下だったのも仕方がない。
小一時間ほど日本食を楽しんだ後、帰り道は来た道とは違うルートで、ホテルへ戻ろうとした。
しかしそんな簡単に帰してくれないのが6区。昼は学生が多いが、夜は14区から公園へ遊びに来る血気盛んな若者が多い。
また現地人なのか移民なのかに集られてしまう…
今度は無視して振り払ってみるが、腕を掴まれてしまっては後に退けない。
掴まれた腕を相手の胸へ押し付けるように一撃目、すかさず空いてる掌で顎に正確な掌底が入る。
崩れ落ちる好青年を見る事もなく、飛びかかって来る若者を飛行機投げし、受け身を取る手を蹴り上げて背中から堕とす。
もうひとりを睨みつけると吸っていたタバコを捨てて逃げて行った。
「ったく…タバコくせっ」
と呟きながらノートルダム大聖堂を目印に歩いて帰って来たら、ドアマンが
「無事に帰って来れたな」と笑って扉を開けてくれた。
神谷は部屋に戻りミネラルウォーターを飲みながら、明日は休肝日だなと心に決めてみた。
