シェアハウス・ロック(or日録)2604中旬投稿分
権利(Right(s))(0411)
権利幸福きらいな人に
自由湯(党)をば飲ませたい
これは、『オッペケペ節』の冒頭である。
前回、「自由」という言葉は誰がつくったのか、またその由来も私にはよくわからないと申しあげたが、本日の話題「権利」をつくった人ははっきりしている。
あっ、話は変わるけど、いまの自由民主党は、「自由」とも、「民主」とも、まったく関係のなくなった政党だね。一部の良識派を除いて、「自由=好き勝手」(前回参照)の政党になったなあ。
話を戻しますね。失礼しました。
「権利」と訳したのは西周である。西周には悪いが、これは悪い訳だ。「利」が災いしている。「利益」「私利私欲」の「利」だからだ。しかも、「権利」などと言ってしまったら、なんだか、「権力に拠って、私利私欲を貪る」みたいに感じられてしまう。実際に、そういう方々もおられるからね。油断ができない。
一方、その原語たる「Right(s)」は、「権利」「正義」「正しい」である。いいなあ。こういうのは、全面的に支持したい。
ところで、もう一方の近代日本語の開拓者である福澤諭吉は、「権理」とした。より正確には「権理通義」とした。「通義」がいまの私たちにはなじみがないが、広辞苑では「世間一般に通ずる道理や意義」とされている。
つまり、「Right(s)」に対して、「権利」「権理通義」のふたつの翻訳語(近代日本語)が誕生したわけである。
「義」を解説する。聖書には「義しい人」という記述が頻出するが、義には「ただ」とルビが振られる。「ただしい人」である。この「ただしい」はだいぶすたれてしまった。いまでは、「義人」「義民」というあたりに絶滅危惧種のように残存しているのみである。
もっとも、「ただしい」は言葉だけでなく、実体もすたれてしまったからね。この国のトップの方からして、「法的には問題がない」をしょっちゅう言っておられるから。「義」の最低限のことを言葉にして定着させたものが「法」である。つまり、あの方は最低限なのだ。まあ、こんなことを言っていても仕方ない。
さて、福澤渾身の翻訳語「権理通義」は普及せず、「権利」が勝利してしまった。まず、「権理通義」は長い。では、「権理」にしておいたらどうだったか。
西周には箕作麟祥を始めとする援軍が数多いた。かれらがフランス法などの翻訳を通じて「権利」を普及させ、それが行政の現場などで標準化されてしまった。明六社の歴史をつぶさに読めば、このあたりのメカニズムもきっとわかるはずである。
私個人の意見としては、「権理」のほうが「権利」よりも数段優れた翻訳語だと思う。
昨日は、「自由」という翻訳語をけなして、「自由をはき違える」などの言い草が可能だったと言ったが、本日は、「権利の濫用」という言い草を生んでしまったと言っておく。「権理」だとなかなか濫用はできないはずだ。「理」だからね。
このあたり、技術的には優れていたはずのβが敗退し、VHSが勝利した歴史を思い起こさせる。ビデオの形式の話だが、40歳以下の人には通じないね、これは。
冒頭の『オッペケペ節』に戻ると、「幸福」には言及しなかった。これもおそらく近代日本語(翻訳語)のはずだが、私にはまったく縁のない言葉だからだ。
「シェアハウス・ロック」の由来(0412)
「シェアハウス・ロック」などとヘンテコなタイトルをつけてしまったので、3か月に一回くらいは、なんでこんなタイトルなのかの説明をすることにした。ただ、なんぼなんでも毎回同じ話ではご退屈だろうから、ネタを多少は変える努力はする。つまり、同じ話なのだが、ネタは変えるという芸を見せようとしているわけである。芸を見せられるのか、そもそも芸になるのか見ものである。他人事のように言っているが、自分のことだ。
さて、私は、赤の他人のおじさん、おばさんと3人でUR物件を借り、シェアしている。
我が畏友その2が、「こういう生活はおもしろいから、どっかに書けよ」と言ってくれた。我が長女には、なにかの冗談を言ったときに「私に言わないで、ノートかなんかに書きなさいよ」と言われた。うざかったんだろうか。ごめんな。
それを合成して、ノートに書き始めたわけである。
当初、題名を「シェアハウス・ブルース」と考えたのだが、それだとなにか辛いことでもあるのかと思われそうなので、ロックにしたわけである。だが、辛いことがないわけでもない。
「シェアハウス・ロック」はエルヴィス・プレスリーの『ジェイルハウス・ロック(監獄ロック)』の地口にもなっている。
目標にしたのは、 『断腸亭日乗』(永井荷風)である。あんな大インテリとは比ぶべきもないことは言うまでもないが、まあ、目標だから。「少年よ、大志を抱け」である。
基本コンセプトは日記なので、一回分は短い。A4一枚程度。
しかも、基本的に日常雑記なので、話もネタも、あっちに飛びこっちに飛びする。あっ、ネタはともかく、話が飛ぶのは私のせいだな。ごめん。
これは、ネットという媒体では一番損なやり方であることはわかっているのだが、別にビューを稼ぎたいわけでもないし、これによってどうこうしたいということもないので、損なやり方でもいっこうに差支えはない。
シェアハウスに暮らす爺さんが、日常に感じたことを、ブツブツ言うだけだから、なんの役にも立たない記事である。
あっ、ひとつだけ、役に立つことがある。私、料理をつくるのが好きだし、そこそこ料理をつくるのがうまいと思うので、たまに書く料理ネタは、けっこう実用になるはずだ。
もうひとつ、我が畏友その1、その2は、読んだら必ずスキを付けてくれるので、スキが来ると、「おお、あいつ元気か」と思い、安否確認という実用にはなる。
読んでくれている人には料理ネタという例外をのぞき、まったく実用にならないが、そんなこと、私は平気である。私は平気だが、読んでくださる方には迷惑かもしれない。ごめん。
【追記】
4月中旬の標題写真はハナニラ。
ヒガンバナ科ネギ亜科ハナニラ属の多年草で、原産地はアルゼンチン。多年草だから、毎年おなじ場所に咲く。
日本には明治時代に園芸植物(観賞用)として導入され、逸出、帰化している。ハナニラの白いものは、食用になり、出荷もされているようだが、私は見たことがない。
食用になっても、いずれヒガンバナ科なので、根っこ(球根)は食べないほうがいい。
道っぱたでハナニラを見ると、「ああ、春が来たなあ」と感じる。
向島百花園へ(0413)
一昨日、よんどころない事情があり、我が畏友その1と文京区白山というところで待ち合わせ、それから向島百花園に行き、最終的に東向島の愛知屋という飲み屋に行った。我がシェアハウスのおばさんも同道。
よんどころない事情などともったいぶったが、なーに、図書館で借りた『言霊の舟』(白川静、石牟礼道子)を又貸ししたのである。前に、全3回くらいでお話しした『帰れない探偵』(柴崎友香)は、同様に、畏友その1が図書館で借りたものの又貸しだった。
図書館で借りた本を、貸したり、借りたりするたびにどこやらで会って飲んでいるわけだから、飲むのをやめて、その金で本を買ったらいいじゃないのとお思いかもしれないが、そういうものではない。
私らぐらいの年になると、物をねえ、増やしたくないんだよ。死んだんで遺品を整理したら、段ボール箱一個に収まったなんてえのが理想だね。本は、けっこう始末に悪いんだ。重いし。
愛知屋はいい飲み屋だった。その1のセレクトだからね。間違いはない。
ここで食べたものは自家製あなごの干物はじめ全部うまかったけど、「ウドの酢味噌あえ」が絶品。ウドはなかなか手に入らないんで、カブで代用して、今度やってみようと思っている。
さて、その1からも手土産をいろいろともらったが、こっちで用意したのはジャガイモ炒め。これも、その1が連れてってくれた神田・神保町の「川国志」で食べたものだ。うまかったので、自分で再現し、何回かつくるうちにだんだんと改良したのである。オリジナルは、塩と胡椒のみのシンプルなものだったが、それでもうまかった。
【ジャガイモの炒め】
1.ジャガイモを2mm角くらいの細切りにし、水にさらす。ザルなどにあけ、しばらくそのまま置き、水気を飛ばす。まずジャガイモをスライサーで薄切りにし、それを重ねて細切りにする。
2.中華鍋に油を回し、熱する。私は、オリーブオイルとごま油を半々にしている。
3.炒めながら、味をつける。慣れるまでは、「ちょっと薄味かな」ぐらいがいい。
-1 赤ザラメを料理酒で溶いておき、かけ回す。
-2 塩を振る。
-3 オイスターソースをごく少量かけ回す。料理酒で溶いておく。
-4 ナンプラーをかけ回す。
-5 カイエンペッパーを一振り、二振り。
4.3.の間、ずっと炒める。「ちょっと生かな」くらいでОK。
ちなみに、オイスターソース、ナンプラー、カイエンペッパーは味のゴールデントライアングルである。三者の配合比を変えるか、あるいはプラスアルファ、たとえば塩、赤ザラメ、チキンスープなどのオプションで、相当の料理はできるはずである。
向島百花園は句碑(芭蕉のものが多い)が園内のあちこちに建っており、また古臭い植物が多く、ケバケバしたところがまったくない。わびさびといった感じで、なかなかいいところだ。「芭蕉のさびを喜ばず」とは言うものの、この歳だからね。喜んじゃう。
歩数計は1万歩弱。
気になる引用2題(0414)
この2か月ほどで、2つほど引用をした。もちろん、引用はそれ以外にもけっこうするのだが、通常それらは「」《》で表し、引用文章と私の文章を区別できるようにしている。
いまお話ししている引用は、
ご婦人たちよ、ガウンの裾をからげなさい。これから地獄を通り抜ける。
(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、詩集『Howl(吠える)』 (アレン・ギンズバーグ)の序文)
という形のものだ。ちなみにこの原文は、
Hold back the edges of your gowns, Ladies, we are going through hell.
である。
さて、話題にしたい引用のひとつは、「高市早苗は意外といけるんじゃないか(0222)」でしたものだ。高市早苗=自民党が衆院選で圧倒的勝利を飾り、私は2、3日、『自由と社会的抑圧』(シモーヌ・ヴェイユ、岩波文庫)をずっと読んでいた。これは、ヒトラーが台頭した時期にヴェイユがドイツを視察に行き、その前後に書かれたものだ。
ヴェイユは亡くなるまで雑誌等々には評論を発表していたものの、ほぼ無名の存在と言ってよく、没後、彼女のノートをまとめた『重力と恩寵』によって、世界に知られるようになった。
だが、『自由と社会的抑圧』が本になるときには、扉に次の文章を載せてほしいと言っていたという。
人間にかかわる事象においては、笑わず、泣かず、憤らず、
ただ理解せよ。(スピノザ)
もうひとつは、我が畏友その1からのお題で、『帰れない探偵』(柴崎友香)を3回で紹介したことがあるが、その2回目で引用したものだ。
追憶されるものはかつてあったものであり、それが後方に向って反復されるのだが、それとは反対に、ほんとうの追憶は前方に向って反復されるのである。(p.8)『反復』(キルケゴール、枡田啓三郎訳、岩波文庫)
これは、『帰れない探偵』の時間軸がなんだか頼りなく、それで思いつき書いたものだが、10代で『反復』を読んだときから、極端に言えば、一瞬たりとも頭から離れたことのないフレーズである。
これらの引用部分が、この間、少しだけわかったというか、理解の度合いが前に進んだという気がする出来事があったのである。
それらについて、次回から書いて行こうと思う。
散文精神とはなにか?(0415)
『自由と社会的抑圧』(シモーヌ・ヴェイユ、岩波文庫)の扉に書かれていた、
人間にかかわる事象においては、笑わず、泣かず、憤らず、
ただ理解せよ。(スピノザ)
を読み、我が畏友その1は、「散文精神」を思い出したという。その1は文学者だからね。仕方がない。さらに、私に『散文精神について』(広津和郎、本の泉社、2018年)まで貸してくれた。
まず、畏友その1が、「思い出した」(≒似ている)のに該当する部分を紹介する。広津は、「散文精神」を次のように述べている。
どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通して行く精神
どうだろう。似ているかね。判断を留保するというよりも、判断が放散する。似ているとは言えないまでも、同じことを言っているような気がするというのは、「似ている」ってことになるのかね。ここまで来ると、私なんかにはよくわからない。なにやら言葉の深淵を覗いた気にはなる。
冗談はここまでにする。冗談でもなかったんだが、それもここまでにする。
この「散文精神」は、いまのご時勢、つまり高市早苗やトランプ、その他もろもろが跳梁跋扈する時代には、それなりに意味があるような気がする。
さて、「散文精神」である。この演題での広津講演は昭和11年10月18日である(前述の書籍に全文が収められている)。
大きな背景としてあるのは、二・二六事件だ。1936年(昭和11年)2月26日から29日の出来事である。ここに集約された若き将校の赤心を大日本帝国は回収し、軍国主義に突き進むことになる。これに呼応したというか、時代の風を読んだというか、林房雄が「プロレタリア作家廃業宣言」をしたのは同年6月である。
広津は講演でその林を名指しし、
近頃はロマンティシズムの台頭を主張する人達があります。林房雄君など…
と述べている。
ちょっとフライイング気味に総括すると、この林の転換は戦後まで継続し、『大東亜戦争肯定論』(初出は『中央公論』1963年9月号 - 1965年6月号)に至る。戦後、リベラルに再転向しなかっただけでも、立派だったと言っておく。もっとも、再転向したって、誰も相手にしなかったろう。
ちょっとフライイング気味にこの『大東亜戦争肯定論』を評価すると、あらゆる戦争は、たとえ一部であっても必ず「肯定できる」部分を持っている。トランプのイラン空爆だって、唯一、イランの「核開発疑惑」がある。その「肯定できる」一部分をもって、その戦争に正義を付与するのは完全に間違いだ。もっと言えば、あらゆる戦争に正義などない。
この時期の林の著作のタイトルを見ると、林の精神構造が明瞭に見えて来る。
・『浪漫主義者の手帖』(1935年、昭和10年)
・『プロレタリア作家廃業宣言』(1936年、昭和11年)
・『文学と国策』(1938年、昭和13年)
つまり、「散文精神」に対置されるべきものは「浪漫主義」なのである。「この浪漫主義」を解説すると、理念を論理的に構築するのではなく、「実在しない理想の日本を夢見ることにより、現実の日本を否定する情熱を得る」ということになる。どこがロマンだと言いたい。虚妄。ただその一言である。
三島由紀夫にもこの傾向があり、だから三島の林評価は高い。三島は林の歴史観を「日本はそのとき、日本自身を夢みてゐた。(中略)心情そのものによる変革の原理に酔つてゐた」と評していた。三島は多少なりとも冷静なところもあるが、林は酩酊のなかにいる。
「散文精神」に戻る。
治安維持法は、1925年(大正14年)成立、公布、施行されている。広津講演は昭和11年10月18日である。 治安維持法下で、これだけのことがよく言えたと感心するが、この講演によって広津が拘置、拘留されたと聞いたことはないから、無事だったんだろう。
治安維持法が、本当にエグイ法律になったのは、1941年(昭和16年)の全面改正からである。ここから大日本帝国の民衆弾圧は、苛烈極まりないものになっていく。
歴史は繰り返さないが韻を踏む。
いまのご時勢は、本日のお話と韻を踏んでいると、私には思える。
散文精神に対置するのは韻文精神か(0416)
あまりに機械的思考に過ぎるが、散文精神に対置されるのは韻文精神なのだろうか。しかし、韻文精神など聞いたこともない。少なくとも、一般的ではないと思う。
それで、仕方ない、詩的精神で間に合わせることにする。
芥川龍之介が、よく詩的精神と言っていたので、それを探ってみることにする。散文←→詩なんで、まあいいでしょう。
芥川は、『文芸的な、余りに文芸的な』で、「僕の詩的精神とは最も広い意味の抒情詩である」と言っていたと思う。
じゃあ、芥川の散文は、薄まった詩なのか。そんな気もしないでもない。
今回調べたところでは、晩年の『文芸雑談』(未読)では、「この美しさ―詩的精神の無いところには、如何なる文芸上の作品も成り立たない」と言っているそうだから、まあ、そうなんだろう。
ただ、私は、文学なんぞにはまったく縁のない衆生だから、「散文精神とはなにか?(0415)」からこっちは、政治的、社会的な文脈でのみ散文精神を語っている。
広津和郎の「散文精神について」の講演は 昭和11年10月18日であり、このあたりから軍靴の響きが高くなってきた。それに抵抗して、広津は散文精神を提唱し、逆に、林房雄は浪漫主義を標榜する。
ちょっと高校現代国語めいた言い方をすると、詩的精神は、感受性、象徴性により対象の奥まったところを照射、それにより個的な内面性を担保し、非現実、超現実に至る。昭和11年の現実のなかでは、前回お話しした「実在しない理想の日本を夢見ることにより、現実の日本を否定する情熱を得る」ということになる。
ここまで来てしまえば、
どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通して行く精神(広津和郎の「散文精神」)
とは真逆の
どんな状況でもただただ元気で、なぜか明るく、ろくに忍耐もせず、軽薄で浅慮、ひたすら楽観的に生きて行くことをよしとする精神
にほぼ近いものになる。
ここから「進め一億火の玉だ」などという韻文精神に到達するのは、ほんの一歩である。この一歩を、かろうじてくい止めようとするのが散文精神だ。
広津和郎は、こういうことによって散文精神を涵養しただろうと思われる文章を『私の岩波物語』(山本夏彦)中に見つけたので、紹介する。
金尾(文淵堂)は装丁挿絵に藤島武二、満谷国四郎などを煩わせて当時の水準をはるかにぬく美本をつくった。その金尾を学生時代の広津和郎が父の使いで毎日のように訪ねている。和郎の父柳浪は明治の末もう全盛時代を過ぎていたが、金尾が本にしてくれたのはいいが、印税を払ってくれない(柳浪は印税契約をしている)。損得を忘れて美本をつくって貧乏しているらしいとは知っているが、柳浪一家も貧乏でほかにあてがないから和郎は学校の行き帰りに必ず寄った。(文春文庫p.201)
(文淵堂)は私の追加。山本の原文にはない。金尾文淵堂は、長屋の一角にあった贅沢貧乏(Ⓒ森茉莉)のような出版社だった。
問題は国歌を歌ったことじゃないんだ(0417)
毎日新聞4月15日4面に、自衛隊員(鶫真衣3等陸曹)が自民党大会で国歌を歌唱したという記事が出ている。《自衛隊員の政治的行為を制限した自衛隊法に抵触する》かどうかを問う記事である。
以下、同記事からの引用は《》で示す。
まず、同記事にあった3つのコメントから。
①《小泉進次郎防衛相は14日の記者会見で、(中略)「国歌を歌唱することが政治的行為にあたるものでもなく、自衛隊法違反にあたらない」と述べた》。
②《高市早苗首相も、(中略)「特定の政党への支援を呼びかけたわけではなく、国歌を歌唱したということなので法律的にも問題ない」と説明》
③《萩生田光一幹事長代行は会見で、鶫氏の起用は党側の要請ではなく、党大会の演出を担当した企画業者の推薦だったと説明。党側は事前に業者を通じて、現役自衛官が特定政党の集会で歌唱することに問題ないか防衛省に確認し、「問題ない」との回答を得て、党大会運営委員会で決定したとした。》
どうでもいいけど、「歌唱する」って、気持ち悪い日本語だね。初めて聞いたと思う。
まず、このお三方のコメントにコメントする。①②に関しては、「また『法的に問題ない』かよ」であり、③に関しては「また人のせいかよ」である。ついでに、どうでもいいが、世良公則が、『燃えろいい女』の替え歌で、「燃えろサナエ」って「歌唱した」と聞いた。愚劣。今度は自民党公認で出るんだろうな。
上記では情報が少し足らない。その不足分を、玉木雄一郎の会見を利用させていただき埋めると、《厳しい政治的中立が求められる実力組織の自衛隊が、一つの政党の最高意思決定機関である党大会に、制服を着て、官職を明らかにして出ていくことは、当該政党の党勢拡大に協力するとみなされておかしくない」と指摘した。》
さて、抵触する可能性がある法律とは、自衛隊法第61条であり、以下だ。
第六十一条 隊員は、政党又は政令で定める政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法をもつてするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除くほか、政令で定める政治的行為をしてはならない。
一行目は、「政党のために」と「政令で定める政治的目的のために」を「又は」で強引に並列したものだろう。悪文だな。ここに限らず、全体が悪文。
ここからが私が申しあげたいことになる。まず③。
企画業者の責任だと言いたいんだろうが、これは自由民主党の責任である。また、自衛隊員が歌唱したのは、自由民主党の要請による。企画会社がスポンサーの意向を無視して企画を進めるはずがないから、これは言い訳にもなっていない。そもそも、一企画業者の要請に、防衛庁が自衛官を貸すのだろうか。それに、《問題ない》かどうかを決めるのは防衛省ではなく、最終的には裁判所(司法)である。そんなこともわからないのか。
①②は、「国歌を歌唱しただけでしょ」と言いたいのだろうが、問題はそこではない。現役の自衛隊員が、まず《一つの政党の最高意思決定機関である党大会に、制服を着て、官職を明らかにして出》て、国歌を歌ったのである。これは、自衛隊法61条の、「選挙権の行使を除くほか」の「政治的行為」に該当する。
言わずもがなの解説をすると、61条は「政治的行為を禁止すると言っても、選挙権までは奪いませんけどね」と言っているのである。
また、後半には、「何らの方法をもつてするを問わず」とわざわざ言っている。だから、歌唱もアウトであると考えるのが妥当だ。。
つまり、自由民主党は自衛隊員を使嗾し、自衛隊法に違反させたことになる。
ネットでは、「鶫真衣さんは私人として参加した」という論調が多いが、それは疑わしい。まともな自衛官であれば、たとえ私人として参加するにしても、上司に相談しないはずがない。その上司がまともな人であれば、さらにその上の上司に相談しないはずがない。組織というのはそういうものだし、ましてや、組織中の組織である自衛隊である。かなり上のほうまでが承認していたに違いないと考える方が自然だ。あるいは、「要請を断れなかった」とする方が自然だ。。
このあたりがはっきりすれば、スッキリするんだけどね。
もうひとつの「気になる引用」(0418)
「気になる引用2題(0414)」で紹介したもうひとつが、本日お話ししたいことである。
追憶されるものはかつてあったものであり、それが後方に向って反復されるのだが、それとは反対に、ほんとうの追憶は前方に向って反復されるのである。(p.8)『反復』(キルケゴール、枡田啓三郎訳、岩波文庫)
これは、10代で読んで以来、おおげさな言い方をすれば、一瞬たりとも私の頭を離れなかったフレーズである。この「謎」に魅入られたと言ってもいい。
つい最近、毎日のことながら、朝コーヒーを飲みながらバッハを聴いていて、比較的なじみのないバッハだったため、一瞬、ほんの一瞬だが、次のメロディを「予測」したことがあった。なじみのあるバッハなら、「予測」などしない。流れに身をまかせるだけである。
そのとき、これは「予測」ではなく、「想起」なのではないかと私は考えたのだ。
ギリシア哲学の「想起(アナムネーシス)」は過去へ向かうのだが、この「想起」は、「今」にあって、未来(前方)を「予測」する「想起」である。日本語で「想起」と思ったからそう感じたのだろう。
キルケゴールは、全著作をデンマーク語で書いた。私たちが日本語で読むのは、おそらくドイツ語、英語に訳されたものからの重訳だろう。だから、二重に翻訳バイアスがかかっていることになる。
デンマーク語で反復は、gjentagelsen だそうで、これは gentage(再び取る・繰り返す)に由来し、英語では repetition に相当するという。repetition を辞書で引くと、音楽用語の「復唱、復奏」がある。これは、あるモチーフが、そのまま、あるいは若干変形されて繰り返されることを指す。
キルケゴールは、音楽が好きだったことは間違いなく、『あれか、これか』の第1部はモーツァルト論にあてられている。
だから、私は、バッハを聴きながら、長年の「謎」のフレーズの解明が、一歩進んだのではと思った。当たっているかどうかはわからない。
こんなことを考えたのは、『私の岩波物語』(山本夏彦)を数日読んでいた影響かもしれない。
同書p.36に、次のようにある。
西田(幾多郎)哲学のキーワードは名高い「絶対矛盾の自己同一」である。いくら考えてもわからないが、自己同一は英語のアイデンティティのことだと知れば、「なあんだ」である。((幾多郎)は千都の追加)
要するに、山本夏彦先生は、岩波文庫を代表とする悪訳が、哲学をわかりにくいものにしている元凶だとおっしゃりたいのだろう。私も同意する。
高市早苗が自民党大会で改憲に触れた(0419)
高市早苗は、4月12日の自民党大会で改憲について触れ、次のように述べたという。
憲法はどのような国を創りあげたいのか、その理想の姿を物語るものです。私たちの物語を、理想の日本国を、文字にして、歴史という書物の新たなページに刻もうではありませんか。そして、その新たなページをめくるべきかどうか、国民の皆様に堂々と問おうではありませんか。
まっぴらごめんである。「問われる皆様」のひとりとして言っておく。それ以前に、この憲法観は間違いだ。近代法下の憲法観は、「憲法は、国が国民に対してした約束」というものだ。これが常識である。だから、先進諸国は皆この考えを取っている。
卑しくも一国の総理大臣が上記のように言うことは、憲法を改正して条文化した後、「全面委任せよ」と言うに等しい。やなこったいと言っておく。私ら下級国民は、あなたさま方のような、上級国民のために生きているわけではない。
さらに言う。
あなたさま方、上級国民の皆さまは、私ら下級国民ばらがせっせと納めた税金で生きている。あなたさま方も、税金を納めてはおられるだろうが、その税金の原資すら、私ら低級国民ばらが納めた税金である。その分際をわきまえたほうがよろしい。
前記、4月12日の自民党大会での高市早苗さまのご発言をつぶさに拝見すると、「散文精神に対置するのは韻文精神か(0416)」のなかでお話しした、
実在しない理想の日本を夢見ることにより、現実の日本を否定する情熱を得る
そのものではないか。これを、当該の記事のなかで、私は冗談半分に散文精神に対置して「韻文精神」と呼んだのである。
「散文精神とはなにか?(0415)」「散文精神に対置するのは韻文精神か(0416)」では、話の成り行きから、私はお粗末な戦争論を展開している。それで思い出したのが、毛沢東の戦争論である。
革命戦争は人民を解放する正義の戦争であり、帝国主義と反動派の侵略戦争は人民を圧迫する不義の戦争である。(『毛沢東語録』)
毛沢東は、確かに抗日戦争、対蒋介石戦争を戦い、勝利した。そこまでは認める。だが、国家主席に収まってから、こういうことを言うのは許しがたい。国家主席が、人民を代表した気になっているのには、いい気なもんだと言っておく。
戦争の主体は国家である。だから、正義の戦争だろうが、不義の戦争だろうが、人民を圧迫どころか、圧殺する。人民にできるのは、抵抗することのみだ。だが、この抵抗が重要なのである。というか、人民にとっての唯一の手段だ。アルベール・カミュは、抵抗ではなく反抗と言った。同じことである。ここを、毛沢東は間違えたのである。
こういうわきまえない人間(今度は高市早苗さまのことね)のチルドレンを、「当選後も、ちゃんと仕事しろよな(0302)」でヘンなことやるんじゃないかと心配したが、さっそく門寛子さまという方がやらかしてくださった。
明日はこのお話を。「さま」疲れしたんで、明日は「さま」は付けない。
【追記】
「当選後も、ちゃんと仕事しろよな(0302)」はちょっとまぎらわしかったが、私は、高市チルドレンの先行きを心配したわけではない。この方々は準上級国民だから、なにがあっても、それなりに安泰だろう。私ごときが心配することではない。
心配しているのは、この連中がとんでもないことをやらかすんじゃないか、それによって私ら下級国民がとんでもないことになるのではないかを心配しているのである。
高市チルドレン「やらかし第一号」(0420)
門寛子衆院議員が、ABEMA Prime(アベマプライム)で、国会前で行われた3万人規模(主催者発表)のペンライトデモについて、次のように発言したという。我が親友 copilot くんにまとめてもらったものだ。
①「国会に集まってペンライトを振るって、それで政権変わらないですよね。分かってますよね、皆さん」
②「そういう手段を取って“やった気”になっている。厳しいことを言うようですけど“ごっこ遊び”にしか見えない」
③「本気で政治を変えるなら、政党をつくって支持を集めて政治に打って出ればいい」
①はなにを言っているのだろう。ペンライトを振っている人たちは、「ノー」を言っているのである。ペンライト振ったって、政権が変わらないことなど、参加者は百も承知である。それとも、この人は、参加者がペンライトを振れば政権が変わると思っているバカだと思っているのだろうか。「バカと言ったら自分がバカ」と保育園で習わなかったのか。
この発言で、門の政治観が見えてくるような気がする。私が見たのは、「政権取ったもん勝ち」という下品な思想である。これは思想と呼ぶのすら憚れる単なる生体反応みたいなものだ。意見にすらなっていない。
②。国民の「ノー」に対して、「ごっこ遊び」と言うのか、おまえは。これを読んで、私は、一瞬、身体が熱くなったのを告白する。
この発言に対する、次のコメントをネットで拾った。たぶん出どこは『日刊ゲンダイ』だろう。
「デモなんて意味がないと言わんばかりですが、そんなことはありません。日本で開かれた、イラン攻撃への反対デモに対し、駐日イラン大使館がSNSに『活動に感謝します』と投稿。日本政府が公式に表明できないことを市民社会がフォローしている格好で、大きな外交的利益につながり得ます。『ごっこ遊び』とさげすむなど、不見識もはなはだしい」(高千穂大教授・五野井郁夫氏=国際政治学)
五野井さんは、「不見識もはなはだしい」と言うが、私は、ヤサ調べて、おまえんちにデモかけてやろうかと思う。爺さん、ガラ悪いなあ。
③も、床屋政談のレベルである。床屋政談だったら、この発言は許せる。許せるというか、「まあ、そうだよね」と返すか、「そんなことはない」と返すか、「おまえ、自民党か」と怒るか、こっちの気分によって、反応は異なるだろう。その程度の発言だ。
だが、国会議員がこれを言うなら、話は違う。
国会議員がこれを言うということは、「政治に意見を言うんだったら、まず国会議員になったらどうだ。おまえら有象無象の声など、届かんわ」と言ったに等しい。
高市チルドレン(の少なくもひとり)は、ここまで劣化している。
この人は、事後、発言の真意を説明したというが、『女性自身』に話した「真意」は以下。
④「暴力革命を掲げながら実行しない全学連への疑問」
⑤「選挙という手段を取らないのに政権批判だけするのは矛盾している」
⑥「デモ自体を否定したわけではない」
これもネットで拾ったものだ。
④は、同番組では全学連の幹部らと「デモで社会をどう変えるか」をテーマに議論したということだが、全学連ったって、いまどきは日本共産党だろ。だったら、暴力革命なんか掲げるわけがない。だが、同番組を見てないんで、発言はつつしむ。言っちゃったけど。
⑤は、③と同様だが、矛盾もなにもしていない。選挙という手段もへったくれもないし、常に「ノー」という権利はある。だいいち、自民党に投票しなかった人間のほうが多い。自民の得票率は、せいぜい二十数パーセントのはずだ。
⑥は、あたりまえである。言うまでもない。デモを否定したら、自動的に表現の自由を否定したことになる。
60年安保時、国会を取り巻いたデモは、ほぼ毎日と言ってよく、その最大のものは約13万人とされている。
それでも、当時首相だった岸信介は、そのデモ隊を横目に、後楽園球場には声なき声の群衆がいるとうそぶいた。その膝には、孫の安倍晋三がいたとされる。当時の後楽園球場は満員で約38,000人である。
私は、小学4年生の子どもながら。「なんということを言うんだろう」と、新聞を読みながら思ったものだった。
高市チルドレン、「やらかし第一号」の門寛子発言は、全体として、私に、このことを思い出させた。
岸信介→安倍晋三→高市早苗、安倍チルドレン→高市チルドレンと、ロクでもないところはしっかりと継承している。
