【225】 幸田露伴と吒祇尼の法
(写真は食肉目イヌ科キツネ属フェネック)
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我国で魔法の類の称を挙げて見よう。先ず魔法、それから妖術、幻術、げほう、狐つかい、飯綱の法、荼吉尼の法、忍術、合気の術、キリシタンバテレンの法、口寄せ、識神をつかう。大概はこれらである。
これらの中、キリシタンの法は、少しは奇異を見せたものかも知らぬが、今からいえば理解の及ばぬことに対する怖畏よりの誇張であったろう。識神を使ったというのは阿倍晴明きりの談になっている。口寄せ、梓神子は古い我邦の神おろしの術が仏教の輪廻説と混じて変形したものらしい。
これは明治まで存し、今でも辺鄙には密に存するかも知れぬが、営業的なものである。但しこれには「げほう」が連絡している。忍術というのは明治になっては魔法妖術という意味に用いられたが、これは戦乱の世に敵状を知るべく潜入密偵するの術で、少しは印を結び咒を持する真言宗様の事をも用いたにもせよ、兵家の事であるのがその本来である。
合気の術は剣客武芸者等の我が神威を以て敵の意気を摧くので、鍛錬した我が気の冴を微妙の機によって敵に徹するのである。正木の気合の談を考えて、それが如何なるものかを猜することが出来る。魔法の類ではない。妖術幻術というはただ字面の通りである。
(中略)
狐つかいは同じく吒祇尼法であるか知れぬ。しかし狐を霊物とするのは支那にもあったことで、禹が九尾の狐を娶ったなどという馬鹿気たことも随分古くから語られたことであろうし、周易にも狐はまんざら凡獣でもないように扱われており、後には狐王廟なども所どころにあり、狐媚狐惑の談は雑書小説に煩らわしいほど見える。
印度でも狐は仏典に多く見え、野干(狐とは少し異おう)は何時狡智あるものとなっている。吒祇尼天も狐に乗っているので、孔雀明王が孔雀の明王化、金翅鳥明王が金翅鳥の明王化である如く、吒祇尼天も狐の天化であろう。
我邦では狐は何でもなかったが、それでも景戒の霊異記などには、もはや霊異のものとされていたことが跡づけられる。
狐は稲荷の使わしめとなっているが、「使わしめ」というものはすべて初は「聯想」から生じた優美な感情の寓奇であって、鳩は八幡の「はた」から、鹿は春日の第一殿鹿島の神の神幸の時乗り玉いし「鹿」から、烏は熊野に八咫烏の縁で、猿は日吉山王の月行事の社猿田彦大神の「猿」の縁であるが如しと前人も説いているが、稲荷に狐は何の縁もない。
ただ稲荷は保食神の腹中に稲生しよりの「いなり」で、御饌津神であるその御饌津より「けつね」即ち狐が持出されたまでで、大黒様(太名牟遅神)に鼠よりも縁は遠い話である。
けれども早くから稲荷に狐は神使となっている。といってお稲荷様が狐つかいに関係のあろうようはないから、やはりこれは狐に乗っている吒祇尼天の方から出たことで、吒祇尼の法をつかう者即ち狐つかいである。
吒祇尼は保食神どころではない、本来餓鬼のようなもので、死人の心を噉食したがっている者なのであるが、他の大鬼神に敵わないので、六ヶ月前に人の死を知り、先取権を確立するものであり、なかなか御稲荷様のような福ふくしいものではないのである。
吒祇尼はまた阿修羅波子とも呼ばれて、その義は「飲血者」である。狐つかいの狐は人に禍や死を与える者とされている。して見れば吒祇尼の狐で、お稲荷様の狐ではないはずである。
大江匡房が記している狐の大饗の事は堀河天皇の康和三年である。牛骨などを饗するのであったから、その頃から吒祇尼の狐ということが人の思想にあったのではないかと思われるが、これは真の想像である。
明らかに狐を使った者は、応永二十七年九月足利将軍義持の医師の高天という者父子三人、将軍に狐を付けたこと露顕して、同十月讃岐国に流されたのが、年代記にまで出ている。
やはり吒祇尼法であったろうことは思遣れるが、他の者に祈られて狐が二匹室町御所から飛出したなどというところを見ると、将軍長病で治らなかった余りに、人に狐を憑けるなどという事が一般に信ぜられていたに乗じて、他の者から仕組まれて被せられた冤罪だったかも知れない。
が、何にしろ足利時代には一般にそういう魔法外法邪道の存することが認められていたに疑ない。世が余りに狐を大したものに思うところから、釣狐のような面白い狂言が出るに至った、とこういうように観察すると、釣狐も甚だ面白い。
飯綱の法というといよいよ魔法の本統大系のように人に思われている。飯綱は元来山の名で、信州の北部、長野の北方、戸隠山につづいている相当の高山である。この山には古代の微生物の残骸が土のようになって、戸隠山へ寄った方に存する処がある。天狗の麦飯だの、餓鬼の麦飯だのといって、この山のみではない諸処にある。
浅間山観測所附近にもある。北海道にもある、支那にもあるから太平広記に出ている。これは元来が動物質だから食えるものである。で、飯綱は仮名ちがいの擬字で、これがあるからの飯沙山である。
そういうちょっと異なものがあったから、古く保食神即ち稲荷なども勧請してあったかも知れぬ。ところが荼吉尼法は著聞集に、知定院殿が大権坊という奇験の僧によりて修したところ、夢中に狐の生尾を得たり、なんどとある通り、古くから行われていたし、稲荷と荼吉尼は狐によって混雑してしまっていた。
『魔法修行者』(幸田露伴)
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