【229】 茨海狐小学校
(写真はバラ目バラ科バラ属ハマナス)
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私が茨海の野原に行ったのは、火山弾の手頃な標本を採るためと、それから、あそこに野生の浜茄が生えているという噂を、確めるためとでした。

浜茄はご承知のとおり、海岸に生える植物です。それが、あんな、海から三十里もある山脈を隔てた野原などに生えるのは、おかしいとみんな云うのです。
ある人は、新聞に三つの理由をあげて、あの茨海の野原は、すぐ先頃まで海だったということを論じました。
それは第一に、その茨海という名前、第二に浜茄の生えていること、第三にあすこの土を嘗めてみると、たしかに少し鹹いような気がすること、とこう云うのですけれども、私はそんなことはどれも証拠にならないと思います。
ところが私は、浜茄をとうとう見附ませんでした。尤も私が見附けなかったからと云って、浜茄があすこにないというわけには行きません。
もし反対に一本でも私に見当ったら、それはあるということの証拠にはなりましょう。ですからやっぱりわからないのです。
火山弾の方は、はじが少し潰れてはいましたが、半日かかってとにかく一つ見附けました。見附けたのでしたが、それはつい寄附させられてしまいました。|
誰《たれ》に寄附させられたのかっていうんですか。誰にって校長にですよ。
どこの学校? ええ、どこの学校って正直に云っちまいますとね、茨海狐小学校です。愕いてはいけません。
実は茨海狐小学校をそのひるすぎすっかり参観して来たのです。そんなに変な顔をしなくてもいいのです。
狐にだまされたのとはちがいます。狐にだまされたのなら狐が狐に見えないで女とか坊さんとかに見えるのでしょう。
ところが私のはちゃんと狐を狐に見たのです。狐を狐に見たのが若しだまされたものならば人を人に見るのも人にだまされたという訳です。
ただ少しおかしいことは人なら小学校もいいけれど狐はどうだろうということですがそれだってあんまりさしつかえありません。
まあも少しあとを聞いてごらんなさい。大丈夫、狐小学校があるということがわかりますから。
ただ呉呉も云って置きますが、狐小学校があるといってもそれはみんな私の頭の中にあったと云うので決して偽ではないのです。
偽でない証拠にはちゃんと私がそれを云っているのです。もしみなさんがこれを聞いてその通り考えれば、狐小学校はまたあなたにもあるのです。私は時々斯う云う勝手な野原をひとりで勝手にあるきます。
けれども斯う云う旅行をするとあとで大へんつかれます。殊にも算術などが大へん下手になるのです。
ですから斯う云う旅行のはなしを聞くことはみなさんにも決して差支えありませんが、あんまり度々うっかり出かけることはいけません。
(中略)
先生はすぐ前からの続きを講義しました。
「そこで、澱粉と脂肪と蛋白質と、この成分の大事なことはよくおわかりになったでしょう。
こんどはどんなたべものに、この三つの成分がどんな工合に入っているか、それを云います。
凡そ、食物の中で、滋養に富みそしておいしく、また見掛けも大へん立派なものは鶏です。鶏は実際食物中の王と呼ばれる通りです。
今鶏の肉の成分の分析表をあげましょう。みなさん帳面へ書いて下さい。

蛋白質は十八ポイント五パアセント、脂肪は九ポイント三パーセント、含水炭素は一ポイント二パーセントもあるのです。
鶏の肉はただこのように滋養に富むばかりでなく消化もたいへんいいのです。殊に若い鶏の肉ならば、もうほんとうに軟かでおいしいことと云ったら。」
先生は一寸唾をのみました。
「とてもお話ではわかりません。食べたことのある方はおわかりでしょう。」
生徒はしばらくしんとしました。校長さんもじっと床を見つめて考えています。先生ははんけちを出して奇麗に口のまわりを拭いてから又云いました。
「で一般に、この鶏の肉に限らず、鳥の肉には私たちの脳神経を養うに一番大事な燐がたくさんあるのです。」
こんなことは女学校の家事の本に書いてあることだ、やっぱり仲々程度が高い、ばかにできないと私は思いました。先生は又つづけます。

「その鶏の卵も大へんいいのです。成分は鶏の肉より蛋白質は少し少く、脂肪は少し多いのです。これは病人もよく使います。
それから次は油揚です。油揚は昔は大へん供給が充分だったのですけれども、今はどうもそんなじゃありません。それで、実はこれは廃れた食物であります。
成分は蛋白質が二二パアセント、脂肪が十八ポイント七パアセント、含水炭素が零ゼロポイント九パアセントですが、これは只今ではあんまり重要じゃありません。
油揚の代りに近頃盛んになったのは玉蜀黍です。これはけれども消化はあんまりよくありません。」

「時間がも少しですから、次の教室をご案内いたしましょう。」
校長がそっと私にささやきました。そこで私はうなずき校長は先に立って室へやを出ました。
「第三教室は向うの端になって居ります。」
校長は云いながら廊下をどんどん戻りました。さっきの第一教室の横を通り玄関を越え校長室と教員室の横を通ったそこが第三教室で、「第三学年 担任者武原久助」と書いてありました。
さっきの茶いろの毛のガサガサした先生の教室なのです。狩猟の時間です。
私たちが入って行ったとき、先生も生徒も立って挨拶しました。それから講義が続きました。
「それで狩猟に、前業と本業と後業とあることはよくわかったろう。前業は養鶏を奨励すること、本業はそれを捕ること、後業はそれを喰べることと斯うである。
前業の養鶏奨励の方法は、だんだん詳しく述べるつもりであるが、まあその模範として一例を示そう。先頃私が茨窪の松林を散歩していると、向うから一人の黒い小倉服を着た人間の生徒が、何か大へん考えながらやって来た。
私はすぐにその生徒の考えていることがわかったので、いきなり前に飛び出した。
すると向うでは少しびっくりしたらしかったので、私はまず斯う云った。
「おい、お前は私が何だか知ってるか。」
するとその生徒が云った。
「お前は狐だろう。」
「そうだ。しかしお前は大へん何か考えて困っているだろう。」
「いいや、なんにも考えていない。」
その生徒が云った。その返事が実は大へん私に気に入ったのだ。
「そんなら私はお前の考えていることをあてて見ようか。」
「いいや、いらない。」
その生徒が云った。それが又大へん私の気に入った。
「お前は明後日の学芸会で、何を云ったらいいか考えているだろう。」
「うん、実はそうだ。」
「そうか、そんなら教えてやろう。あさってお前は養鶏の必要を云うがいい。百姓の家には、こぼれて砂の入った麦や粟や、いらない菜っ葉や何か、たくさんあるんだ。
又甘藍や何かには、青むしもたかる。それをみんな鶏に食べさせる。鶏は大悦びでそれをたべる。卵もうむ。大へん得だと斯う云うがいい。」

私が云ったら、その生徒は大へん悦んで、厚く礼を述べて行った。きっとあの生徒は学芸会でそれを云ったんだ。するとみんなは勿論と思って早速養鶏をはじめる。
大きな鶏やひよっこや沢山できる。そこで我々は早速本業にとりかかると斯う云うのだ。」
私は実はこの話を聞いたとき、どうしてもおかしくておかしくてたまりませんでした。その生徒というのは私の学校の二年生なのです。
先頃学芸会があったのでしたが、その時ちゃんと、狐に遭ったことから何から、みんな話していたのです。ただおしまいが少し違って居りました。それはその生徒の話では、
「なんだお前は僕に養鶏をすすめて置いて、自分がそれを捕ろうというのか。」
と云ったら狐は頭をかかえて一目散に遁げたというのでした。けれどもそれを私は口に出しては云いませんでした。この時丁度、向うで終業のベルが鳴りましたので、先生は、
「今日はここまでにして置きます。」
と云って礼をしました。私は校長について校長室に戻りました。校長は又私の茶椀に紅茶をついで云いました。
「ご感想はいかがですか。」
私は答えました。
「正直を云いますと、実は何だか頭がもちゃもちゃしましたのです。」
校長は高く笑いました。
「アッハッハ。それはどなたもそう仰います。時に今日は野原で何かいいものをお見付けですか。」
「ええ、火山弾を見附けました。ごく不完全です。」
「一寸拝見。」

私は仕方なく背嚢からそれを出しました。校長は手にとってしばらく見てから、
「実にいい標本です。いかがです。一つ学校へご寄附を願えませんでしょうか。」
と云うのです。私は仕方なく、
「ええ、よろしゅうございます。」
と答えました。
校長はだまってそれをガラス戸棚にしまいました。
私はもう頭がぐらぐらして居たたまらなくなりました。
すると校長がいきなり、
「ではさよなら。」
というのです。そこで私も、
「これで失礼致します。」
と云いながら急いで玄関を出ました。それから走り出しました。
狐の生徒たちが、わあわあ叫び、先生たちのそれをとめる太い声がはっきり後ろで聞えました。
私は走って走って、茨海の野原のいつも行くあたりまで出ました。それからやっと落ち着いて、ゆっくり歩いてうちへ帰ったのです。

で結局のところ、茨海狐小学校では、一体どういう教育方針だか、一向さっぱりわかりません。
正直のところわからないのです。
『茨海小学校』(宮澤賢治)

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