【234】 迷信解
(写真は伏見稲荷大社 眼力社 手水舎)
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第一段 緒論
『国定小学修身書』を案ずるに、尋常小学第四年級用第十五課に「迷信を避けよ」との一課あり、また、高等小学第二年級用第六課に「迷信」の一課ありて、その課の目的は迷信の避くべきことを知らしむるにありと書いてある。
されば、学校における児童はいうに及ばず、家庭においてもよくこの心得を守りて、児童に迷信の信ずるに足らぬことをよく教え込んでおかねばならぬ。よって、余は多年このことを研究したりし廉をもって、『修身書』に示されたる迷信の箇条を詳細に解釈し、多くの人に分かりやすきように説き明かしておきたいと思う。
尋常の『修身書』に出ておる、武士が瓢箪を切りたる話は、『珍奇物語』と題する書中に出ておる。また、祈祷者が神酒徳利に鰍をいれたる話は、『閑際筆記』に見えておる。
多分その当時、民間にて評判されし出来事であろう。また、高等の『修身書』に出でたる徳川家康が西方に向かって出陣せし話は、『草茅危言』に書いてある。藤井懶斎が凶宅に住せし話は『先哲叢談』にあるも、その源は『閑際筆記』より引用したるものである。いずれも迷信を人に諭すに、最も分かりやすく、かつ興味ある話である。
尋常の『修身書』の注意のもとに、「迷信は地方によりて種々雑多にて、四国地方の犬神のごとき、出雲地方の人狐のごとき、信濃地方のオサキのごときは、特にその著しきものなり」とあるが、実にそのとおり、地方の異なるに従い、おのおの特殊の妖怪を持っておる。しかして、その弊害は最もはなはだしい。
まず、四国の名物ともいうべきは犬神にして、出雲の名物は人狐であるが、その名は異なれども、その実は同じようなものじゃ。この人狐のことを、あるいは狐持とも申す。また、芸州辺りにてトウビョウというものがある。あるいはこれは蛇持ちともいう。
石見にては土瓶とも申すということじゃ。備前、備後にては、猫神、猿神と名づくるものがあるそうだ。これらはみな類似のものに違いない。
民間に伝われる書物に『人狐弁惑談』と申すものがある。その中には、「雲州にて人狐のことを、あるいは山ミサキ、藪イタチまたは小イタチと呼ぶものあり。九州には河太郎というものあり。四国には猿神というものあり。
備前には犬神というものあり。また備前、備中には日御崎というものあり。備中、備後にトウビョウというものあり。いずれも人について人を悩ますことをいえり。その人をなやますというところを考うるに、その名異なりといえども、その実は一なり。
人を悩ますといえども、いずれもその形見えざれば、人狐といえば人狐なり、河太郎といえば河太郎なり、猿神といえば猿神なり。犬神、日御崎、トウビョウもみなしかり」と説いてあるが、これみな、ある一種の精神病に与えたる名称に相違ない。
信州、上州辺りの管狐、オサキもこれと同じことじゃ。『夜譚随録』と申す書物には、「管狐は駿州、遠州、三州の北部に多く、関東にては上野、下野に最も多し。
上野の尾崎村のごときは、一村中この狐をかわざる家なし。ゆえに尾崎狐ともいう。また武州にては大崎という」と記してある。そのくわしきことは後に述べようと思う。
また、尋常の『修身書』の注意のもとに、左の八項を掲げてこれを諭すべしと書いてある。
(一)狐狸などの人をたぶらかし、または人につくということのなきこと。
(二)天狗というもののなきこと。
(三)祟ということのなきこと。
(四)怪しげなる加持祈祷をなすものを信ぜぬこと。
(五)まじない、神水等の効の信頼すべからざること。
(六)卜筮、御鬮、人相、家相、鬼門、方位、九星、墨色等を信ぜぬこと。
(七)縁起、日がら等にかかわることのあしきこと。
(八)その他、すべてこれらに類するものを信ぜぬこと。
つぎに高等の方には、本文中に、
世には種々の迷信あり、幽霊ありといい、天狗ありといい、狐狸の人をたぶらかし、または人につくことありというがごとき、いずれも信ずるに足らず。また、怪しげなる加持祈祷をなし、卜筮、御鬮の判断をなすものあれども、たのむに足らず。およそ人は知識をみがき、道理を究め、これによりて事をなすべく、決して迷信に陥るべからず。
疾病にかかりしとき、医薬によらずして加持祈祷、神水等に依頼するがごとき、難儀の起こりしとき、道理をわきまえずしてみだりに卜筮、御鬮等によるがごときは、いずれも極めて愚かなることというべし。
と説いてある。この道理を諭すにつきては、これらの迷信の由来、およびその原因、事情を説明することが必要であろうと思う。よって余は左の項目を設けて、学校および家庭における児童に、分かりやすく知れやすいように説明するつもりである。
『迷信解』(井上圓了)
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