【086】 師子吼と狛犬
(*写真は狛犬)
私は狛犬のルーツを追って早数十年。未だに納得のいく解に辿り着けていないが、現時点での暫定の仮説を発表しようと思う。ざっくり二つのルーツが融合したものが狛犬だ。まずは一つ目から。
まず「狛」という字。これは国字(日本発祥の漢字)だと思われる。旁が「白」なので、便宜上、音読みを「ハク」としているが、チャイナにはこの漢字の用法は、日本の狛犬以外に存在しない。
狛は、紀元前に現代の満州あたりにいた北東の蛮族「東夷」の一つ、「穢貊」の貊の略字ではないかと推察している。この民族が後に南下して興したのが高麗で、日本では「こま」と読ます。ただし狛犬が高麗発祥と考えるのは時期尚早。同音異義語なんてたくさんあるから。
狛は、「【059】 うっせえ! うっせえ! うっせえ! うっせえ!」で説明した、胡、唐と同じく、単に「外国由来」の意味かもしれない。
狛犬の源流は、仏教の六大聖地の一つで、シャカが初めて説法を行った地、現インド北部のサールナートで発見された「アショカの獅子柱頭(Lion Capital of Ashoka)」ではないかと考えている。紀元前3世紀頃、アショカ王の命で作られたと伝わる、四頭のインドライオンが背中合わせに立つ石像だ。世界初の仏教守護像の一つだと考えられ、インドの国章にもなっている。
これは「師子吼」を表しているものと推察する。師子吼とは、シャカの説法がライオンの咆哮のように人々を畏怖させ、結果として仏教に帰依させるという仏教用語だ。
なおインドライオンとは、アフリカライオンより小型で、雄の立て髪が短い実在の動物。かつてはインドからアラブまで広く生息していたが、現代では絶滅危惧種の保護動物で、純粋な野生の個体は存在しない。
仏教はその後、ヒマラヤ山脈を回避しながら西回りに伝播し、ガンダーラの仏教芸術では、仏像の前で二頭のライオンが向かい合って守護する、という形式が生まれた。これが現代のチベット、ウイグルを経由してチャイナに伝わり、「石獅」となった。
最初の「石獅」がどうだったのかは不明だが、チャイナでは必ずしも仏教との結びつけはなく、宮殿や屋敷の門番として設置された。これが日本に伝播して狛犬となった。琉球ではシーサーになったのであろう。
現存する世界最古の狛犬は東大寺南大門にいる。現代、狛犬=神社だが、最初は仏教だったのだ。これがいつの間にか「金剛力士像」にとって代わられ、狛犬は神道へ浸透していく。
狛犬は石工の技の競い合いのテーマとなり、とくに江戸時代には、江戸流れ、江戸尾立ち、獅子山など様々なデザインやジャンルが誕生した。現代の狛犬の主流デザインは、大正時代に愛知県岡崎市の石工、酒井孫兵衛が確立した「岡崎現代型」。特徴は上の写真のような「巻き毛」。
アショカの獅子柱頭や石獅のルーツが、師子吼だと考える理由は、吠えている、すなわち口を開けているから。これが日本の狛犬、シーサーとは異なる点だ。
さて、もう一つのルーツ、なぜ狛犬やシーサーには口を閉じているものがいるのかを探る前に、狛犬の親戚?たる獅子舞を見てみよう。
