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【241】 支那人の妥協性と猜疑心

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(写真は兵馬俑)

五 支那人の猜疑心(一)

支那人は一般に猜疑心が深い。支那に「一人不入廟。二人不看井」といふことわざがある。

一人で物淋しき寺廟に入らば、何時僧侶 ――支那で僧侶は多く惡徒と見做されて居る―― の爲に人知れず殺害されるかも知れぬ。二人で井戸を俯瞰する際に、何時相手の爲に井底に突き落されて命を失ふかも知れぬ。かかる場合を警戒する諺で、之に由つても、支那人の猜疑心の強い一端を察知することが出來ると思ふ。

又支那に『示我周行』といふ題目の旅行案内書がある。その開卷に旅客心得として、江湖十二則を掲げてあるが、概して盜賊・おひはぎ欺騙かたり掏摸すり拐騙もちにげ偸換すりかへ等に對する注意に過ぎぬ。こは警察不行屆勝の支那に於ては、當然の注意であるが、同時に他人を泥棒視する、支那人根性の發露とも見受けられる。

兔に角支那では、男女の間柄にも、同僚の交際にも、將た君臣父子の關係にも、常に猜疑といふ隱翳が附き纏うて居る。

申す迄もなく支那は古來革命の國で、君臣の分定つて居らぬ。『左傳』に「君臣無常位。社稷無常奉」とある通り、今日の臣下も明日の君上となり得る國である。從つて支那の君主は、赤心を臣下の腹中に置くことが難い。絶えず臣下に對して猜疑警戒の眼を見張らねばならぬ。

無力なる君主は、或は願後身世世、勿復生天王家といひ(劉宋の順帝)、或は願自今以往、不復生帝王家といひ(隋の恭帝)、極端なる恐迫觀念にをののきつつ、危惧憂鬱なる一生を送る。

有爲の君は、機會ある毎に宿將や權臣を殺戮して、身後の計を立てる。狡兔死、走狗烹。飛鳥盡、良弓藏。敵國破、謀臣亡と諺にある通り、支那の君臣は患難を共にすることが出來ても、富貴を共にすることが出來ぬ。漢の高祖は寛仁大度の君として世に聞えて居るが、その人すら韓信や彭越らの功臣は大抵殺害して仕舞つた。

清人黄莘田の詩に、漢家多少韓彭將、不得銘旌字看といふ句がある。高祖が功臣に對する恩情の薄きを惜んだものである。温和なる宋の太祖の如きは、巧言を以て宿將を説服して、權要の地を退隱せしめ、刻薄なる明の太祖の如きは、露骨に功臣を誅戮した。手段に寛嚴の相違はあつても、臣下を猜疑するといふ心理は、同一と認めねばならぬ。

『支那人の妥協性と猜疑心』(桑原隲蔵)

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