目的と手段の狭間で、英語を見失っていた。
試験が終わったあと、点数よりも先に残ったものがあった。
読める英文は増えた。
聞き取れる音も、前よりは増えた。
それなのに、自分の口から出せる英文は、思ったほど増えていなかった。
問題集の中では、英語が前に進んでいる気がしていた。
朝の電車で単語アプリを開く。昨日間違えた単語を確認する。昼休みにリスニング音声を少し聞く。夜、机に向かってPart5を解く。眠くなりながらPart7の長文を読む。正解数を見て、前より少し取れていると安心する。
ちゃんと勉強している感覚はあった。
実際、やっていないわけではない。
単語も覚えた。
文法も見直した。
音にも慣れてきた。
長文への抵抗も少し減った。
試験対策としては、必要な時間だったと思う。
ただ、その日一日を振り返った時、私は自分のことを英語で一文も言っていなかった。
今日は疲れた。
明日は早く起きたい。
この仕事を変えたい。
でも少し不安もある。
最近、集中力が続かない。
そういう自分の生活にある言葉を、英語にしていなかった。
問題集の英文は読んでいる。
リスニングの会話も聞いている。
でも、自分の中にある言葉は英語になっていない。
そこに、変なズレがあった。
正解を選ぶ練習はしてきた。
でも、自分の言葉で返す練習だけを後回しにしていた。
試験の中の英語は、ある意味では優しい。
選択肢がある。
答えがある。
解説がある。
間違えても、なぜ違うのかを確認できる。
点数も出る。
自分の位置が分かる。
でも、会話には最初から選択肢が並んでいない。
相手が言う。
こちらが返す。
少し詰まる。
言い換える。
聞き返す。
表情を見る。
伝わったかどうかを、その場で感じる。
そこには、きれいな解説がない。
だから怖い。
英語を使いたかったはずなのに、私は英語で評価されることばかり気にしていた。
何点取れるか。
前回より伸びたか。
履歴書に書けるか。
仕事で使えると言えるか。
周りからどう見られるか。
いつの間にか、英語は誰かと何かをやり取りする道具ではなく、自分の能力を証明するためのものになっていた。
これが悪いとは言い切れない。
スコアは便利だ。
転職でも、仕事でも、目標管理でも、数字は分かりやすい。自分の努力も見える。何も測れないまま続けるより、点数がある方が踏ん張れる時もある。
だから、試験対策を否定したいわけではない。
ただ、数字で見える英語に寄りすぎると、数字に出にくい英語が静かに後回しになる。
その代表が、自分から出す英語だった。
単語アプリで正解する。
文法問題で正しい選択肢を選ぶ。
長文を読んで設問に答える。
音声を聞いて内容を取る。
その全部が終わったあとに、「で、自分なら何と言うか」を飛ばしていた。
英語を勉強しているのに、英語で誰かに何かを伝えた記憶が増えていない。
この感覚は、試験が終わったあとにじわっと来る。
点数が悪ければ、まだ分かりやすい。
もっと勉強しようと思える。
でも、少し点数が上がった時の方が、別の違和感が出る。
英語力は上がったはずなのに、英語で自由になった感じがしない。
読める英文は増えたのに、言える英文が増えていない。
この差を見ないまま、私は次の問題集を探そうとしていた。
もっと単語を覚えたら。
もっと文法を固めたら。
もっとリスニングが聞こえるようになったら。
もっと点数が上がったら。
その先で、自然に話せるようになると思っていた。
けれど、たぶんそうではない。
読む力は読む中で育つ。
聞く力は聞く中で育つ。
そして、言う力は言う中でしか育ちにくい。
当たり前のようで、私はそこを避けていた。
なぜ避けたのか。
話すのが怖かったからだと思う。
間違えるのが嫌だった。
簡単な単語しか出ないのが嫌だった。
自分の英語が幼く見えるのが嫌だった。
点数を取っているのに、それだけしか言えないのかと思われるのが嫌だった。
点数は自信になるはずだった。
でも、時には失敗できない看板にもなる。
「TOEIC何点なんでしょ」
「英語できるんですよね」
そう見られるほど、軽く間違えることができなくなる。
初心者なら笑えるミスも、点数があると少し恥ずかしくなる。だから、話す前に頭の中で採点が始まる。
この文法で合っているか。
この単語で自然か。
発音が変ではないか。
もっといい表現があるのではないか。
そう考えているうちに、言葉が出る前に止まる。
相手に伝える前に、自分で自分の英語を落としている。
試験対策は努力だった。
でも同時に、逃げ場でもあった。
問題集に向かっている限り、私は努力している人でいられる。
単語を覚えている限り、前に進んでいる感じがする。
スコアを追っている限り、英語から逃げているようには見えない。
でも、人に向けて英語を出す怖さからは、少し離れられる。
「もっと勉強してから話す」
この言葉は、最初は前向きだった。
準備してから挑む。
基礎を固めてから使う。
それ自体は間違っていない。
ただ、いつの間にかそれは、話さないための準備になっていた。
まだ単語が足りない。
まだ文法が不安。
まだ発音が悪い。
まだスコアが足りない。
そうやって、英語を使う日を先に延ばしていた。
ここに気づくのは、少し痛い。
勉強していた自分を否定したいわけではない。
でも、勉強している自分に隠れて、使う自分を育てていなかったことは認めないといけない。
そこから、やり方を少し変えた。
試験対策をやめるのではない。
問題集も使う。
単語も覚える。
リスニングも聞く。
Part5もPart7も解く。
ただ、そこで終わらせない。
問題集を閉じる前に、一文だけ自分のことを英語で言う。
それだけにした。
Part2の応答を聞いたら、自分ならどう返すかを一文だけ言う。
Part3やPart4を聞いたら、内容を一文だけ英語でまとめる。
Part7を読んだら、その内容を自分の生活に引き寄せて一文作る。
単語を覚えたら、その単語で自分のことを一文だけ言う。
難しい文でなくていい。
I’m tired today.
I need more time.
I don’t want to rush.
I want to change my job.
I studied English, but I didn’t speak English today.
このくらいでいい。
むしろ、このくらいの文がすぐに出ないことを知る方が大きかった。
難しい英文を読む練習はしていた。
でも、自分の状態を短く言う練習はしていなかった。
英語を使うとは、最初から流暢に話すことではないのだと思う。
自分の中にあるものを、短くても外に出すこと。
採点される場所から、人に向ける場所へ少し移すこと。
正解を探す前に、まず言葉として置いてみること。
それだけでも、英語の見え方は変わる。
もちろん、すぐに話せるようにはならない。
今でも詰まる。
簡単な単語しか出ない。
あとから、別の言い方を思いつく。
言った瞬間に、文法のミスに気づくこともある。
でも、黙って正解を探していた頃よりは、次に残る。
出した英語は直せる。
出さなかった英語は、どこで詰まったのかも分からない。
試験が終わったあと、点数だけを見ていると、英語はまた評価の場所に戻ってしまう。
何点だったか。
目標に届いたか。
前より伸びたか。
それも見る。
でも、それだけで終わらせない。
今日、自分の言葉で何か一つ言えたか。
読んだ英文を、自分の生活に戻せたか。
聞いた表現を、一度でも口に出したか。
短くても、人に向ける動きをしたか。
そこを見るようにすると、英語は少しずつ試験の外に出る。
英語をコミュニケーションツールに戻すというのは、試験対策を捨てることではない。
読める英文を、言える英文に少しずつ戻すこと。
聞こえた表現を、自分の一文に変えること。
問題集の中にあった英語を、自分の生活の方へ引き寄せること。
その小さい作業なのだと思う。
正解を選ぶ練習はしてきた。
それは無駄ではなかった。
ただ、これからはその英語を、自分の言葉で返す方にも使いたい。
問題集を閉じたあとに、一文だけ自分のことを言う。
そんな小さな一文が、試験対策だけで固まった英語を、少しずつ人に向ける言葉へ戻してくれる。
