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なぜ人は朝・昼・晩に食べるのか〜「1日3食」の意外と新しい歴史

「お腹が空いたから食べる」——動物たちはみんなそうしています。ライオンもリスも、決まった時間に食卓につくことはありません。でも人間は、朝・昼・晩と、時計を見ながらご飯を食べます。これって、当たり前のようでいて、実はかなり不思議なことだと思いませんか。
実は私自身、こうした疑問を持ちはじめてから、食事のリズムがずいぶん変わりました。仕事に行く前に1食、お昼は食べる代わりに昼寝やジョギングにあて、仕事から帰ってきて1食。だいたい1日2回に落ち着いていますが、時には3回食べる日もあり、あえて「何時に食べる」と決めないようにしています。空腹に耳を澄ませて食べるようになってから、体の感覚が少し変わってきた気がしています。
今日はこの「なぜ人は1日3食なのか」というシンプルな問いを入り口に、世界の食文化、日本の歴史、脳科学、時間栄養学、社会学、スピリチュアルまで、いろんな角度からのぞいてみようと思います。

⚫︎まず知っておきたいこと:「1日3食」は世界共通ではない
1日3食は、世界中どこでも当てはまる共通のスタイルというわけではありません。スペインでは、朝の軽食、午前の間食、しっかりめの昼食、午後の間食、遅めの夕食と、1日5回に分けて食べる文化が根付いています。特に昼食(コミーダ)が1日のメインで、2〜3時間かけてコース仕立てで楽しみ、その後にシエスタ(お昼寝)をとる地域もあります。一方、中世ヨーロッパの多くの地域ではむしろ1日2食が一般的で、1日3食が定着したのは近代、産業革命以降だとする研究が多くあります。つまり「1日3食」は人類にとって生まれつき備わった生理的な仕組みではなく、それぞれの土地の労働形態や気候に合わせて育ってきた、文化的な発明品なのです。

⚫︎日本ではどう変わってきたのか——2食から3食への大転換
日本も最初から3食だったわけではありません。奈良時代から平安時代にかけては、朝夕の2食が基本で、農作業や労働をする人たちだけが、その合間に「間食」と呼ばれる補食をとっていました。これは今の「おやつ」とは違い、体力維持のための正式な食事に近いものだったようです。
大きな転換点になったのが江戸時代です。有力な説の一つは、1657年の「明暦の大火」。江戸の街が焼け野原になり、復興のために全国から大工や左官職人が集まりました。朝から晩まで働き詰めの彼らにとって、朝夕の2食だけでは体力が持たず、街角に「飯屋」や屋台が次々に登場して、職人たちが昼に手早く食事を済ませるようになった——これが日本における「ランチタイム」の始まりだと言われています。
もう一つの説は照明の普及です。江戸中期にろうそくや行灯が庶民の間に広まったことで、日が落ちても灯りの下で働いたり過ごしたりできるようになりました。すると夕食の時間がどんどん遅くなり、「さすがに夕方まで何も食べないのはきつい」ということで、昼にもう1食はさむようになったというわけです。労働と照明、この2つの社会的な変化が重なって、日本の「1日3食」は生まれました。
ちなみに、この移行はアメリカでも似たような時期に起きていて、発明家エジソンが「頭を良くする方法」を聞かれて「1日3食食べることだ」と答えた、というちょっと出来すぎたエピソードも残っています。実はエジソンは電気トースターを発明したばかりで、朝食の習慣が広まればトースターが売れる、という思惑があったとも言われています。健康の話に商売っ気が混ざっているのは、いつの時代も同じなのかもしれません。

⚫︎では、奈良時代より前の日本人はどう食べていたのか
スピリチュアルに関心のある方には、縄文時代のことも気になるところだと思います。縄文人の食生活は、実は決まった「1日◯食」というスタイルとはかなり違うものでした。彼らの主食は、クリやドングリ、トチの実といった木の実で、秋にまとめて採集し、貯蔵穴に蓄えて冬に備えるという、季節に合わせた食料計画を立てて暮らしていました。冬は木の実が採れなくなるため、猪や鹿を狩る肉食が中心になり、夏は川や海の魚、春は山菜と、1年を通じて食べるものと食べ方が大きく変化していたのです。
つまり縄文人にとって食事とは、決まった時間に決まった回数とるものというより、自然のリズムそのものに沿って営まれるものでした。青森の三内丸山遺跡ではすでにクリの栽培も始まっていたことが分かっており、狩猟採集だけでなく、自然と共生しながら少しずつ手を加えていく暮らし方をしていたことも見えてきます。「食べる時間を自分で決めない」というのは、ある意味で縄文人の暮らし方に近いのかもしれません。

⚫︎社会学の視点——食事は「時計」であり「儀式」である
社会学的に見ると、食事の時間が朝・昼・晩と固定されていったのは、労働時間が固定されていったことと、ほぼ表裏一体の現象です。工場や会社が「9時から17時まで働く」という枠組みを作ると、その枠組みに合わせて「食べる時間」も社会の中で決められていきます。つまり1日3食とは、栄養学的な必然というより、社会が人々の時間をまとめて管理するために生み出した、いわば「共同の儀式」だという見方ができます。
だからこそ、家族や仲間と同じ時間に食卓を囲む「共食」には、栄養摂取以上の意味があります。同じ時間に同じ行為をすることで、集団としての一体感やリズムが生まれる——これは、時間栄養学が扱う体の中のリズムとはまた別の、社会という大きな単位のリズムづくりだと言えるでしょう。

⚫︎脳科学・時間栄養学が明かす「時間」の重み
近年の「時間栄養学」という分野の研究では、「何を食べるか」だけでなく「いつ食べるか」が、体にとって非常に大きな意味を持つことが分かってきました。私たちの体には、脳の視床下部にある「中枢時計」と、肝臓や腸などそれぞれの臓器が持つ「末梢時計」という、2種類の体内時計があります。中枢時計は主に光によってリセットされますが、末梢時計は食事のタイミングによってリセットされることが、研究で示されています。
つまり毎日同じような時間に食事をとることは、体のあちこちにある時計をきちんと同期させ、消化や代謝のリズムを整えるという、れっきとした生理学的な意味を持っているのです。同じ量の糖質でも、朝に摂るか夜に摂るかで血糖値の上がり方が変わることや、朝食を抜く習慣が代謝機能の乱れにつながることも報告されています。「1日3食」という文化的な習慣が、結果として体内時計を整えるのに都合よく機能してきた、という側面は見逃せません。2017年のノーベル生理学・医学賞が「体内時計の仕組み」の研究に贈られたことも、この分野の重要性を物語っています。

⚫︎では、動物たちはどうしているのか
冒頭で触れたように、野生動物の多くは「お腹が空いたら食べる」というシンプルな暮らし方をしています。これは動物が意志薄弱だからではなく、狩りや採餌そのものに大きなコストと不確実性が伴うため、「取れるときに取れるだけ食べる」ことが最も効率的な生存戦略だからです。人間の祖先も、狩猟採集の時代には同じように、食べ物が手に入ったときに食べるという、柔軟な食生活を送っていたと考えられています。
面白いのは、動物にも体内時計はきちんと備わっているということです。むしろ体内時計という仕組み自体は、光や気温といった環境の周期に自分の生理機能を合わせるために、進化の過程で動物や植物に共通して備わってきたものです。「決まった時間に食べる」という行動は人間特有の文化ですが、「体の中にリズムを持つ」という土台そのものは、人間も動物も共有しているのです。私たちが感じる「規則正しく食べたほうが調子がいい」という感覚は、文化的な刷り込みだけでなく、生き物としての体内時計の仕組みにも支えられている、と言えそうです。

⚫︎スピリチュアル・エネルギー的な視点——「いただきます」に込められたもの
日本の食事文化には「いただきます」「ごちそうさま」という、他の言語にはあまり見られない独特の言葉があります。この言葉のルーツをたどると、神道の「神人共食(しんじんきょうしょく)」という考え方に行き着きます。古くから日本では、農作物や自然の現象には神の力が宿っていると考えられ、収穫できたことへの感謝を込めて神様に食物を供え、それを人がおさがりとして「いただく」という風習がありました。「いただく」という言葉自体も、もともとは神仏や目上の人から物を頭上に掲げて授かる、という所作から生まれたと言われています。ここに、江戸期以降広まった仏教的な「命をいただく」という感覚も重なり、いまの「いただきます」ができあがっていきました。つまりこの一言には、神様への感謝と、命そのものへの感謝という、二重の意味が込められているのです。
いまは、手を伸ばせばいつでも何でも食べられる、飽食の時代です。だからこそ、あえて「食べない時間」を意識的につくることには意味があると思います。時間栄養学が示すように、空腹の時間は体のリズムを整える働きも持っています。そして「食べない時間」は、次の食事への感謝を取り戻す時間にもなります。目の前の一皿の向こうに、動物の命、植物の命、それを育てた水や土、運んでくれた人の手間がある——「いただきます」「ごちそうさま」という言葉は、その全部を一瞬で思い出させてくれる、とても効率のいい合言葉なのかもしれません。
そしてもう一つ大切なのが、「何を口に入れるか、何を口に入れないか」に責任を持つという視点です。添加物の多い食品や、質の粗悪なものを無自覚に取り込み続けることは、体だけでなく、食べ物への意識そのものを鈍らせてしまいます。何をいただくかを自分で選び、選んだものにきちんと感謝する——この一つひとつの積み重ねが、飽食の時代における「食べる」という行為の質を、静かに底上げしてくれるのだと思います。

⚫︎まとめ——「3食」は文化、「リズム」は本能
「1日3食」は、世界共通の生理的な仕組みではなく、労働の形や照明の普及、社会のあり方に合わせて、それぞれの土地で育まれてきた文化的な発明です。日本では江戸時代の職人の暮らしと、ろうそくの灯りが、その大きなきっかけになりました。さらに時代をさかのぼれば、縄文人は「1日◯食」ではなく、季節や自然のリズムに合わせて食べていたことも見えてきます。一方で、決まった時間に食べることが体内時計を整えるという事実は、時間栄養学という現代の科学によって、しっかりと裏付けられています。
動物のように「お腹が空いたら食べる」のも、人間のように「時間で区切って食べる」のも、それぞれに理由があります。大切なのは、どちらが正しいかを決めることではなく、1日3食という文化の型に、自分の体のリズムと、食べ物への感謝をどう重ねていくか、ということなのかもしれません。次に「いただきます」を口にするとき、その一言に込められた、意外と長い歴史と、いくつもの命に、ちょっとだけ思いを馳せてみてください。

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