あいの記憶
ふと浮かべる。
ベランダにはためく、洗濯物を。
結婚していた時の記憶だ。
いま、人生での岐路…というか、そろそろとごまかしていたことを、向き合うことを決めて。
それで勇気をもらいたくて、凪良ゆうさんの汝、星のごとくを再読していた。
以前、こちらのnoteにもこの本について書いたことがあるのだけど。
今回、ぱたと止まったセリフがあった。
「いえ、わたし、本当に北原先生と結婚するんだなあと思って」
主人公の暁海が高校時代の恩師である北原先生に「互助会」感覚での結婚を提案され、それを受け入れ、日常を過ごしていたときのセリフだ。
私も結婚するまえ、そんな感覚だった。
当時二十代後半に差し掛かるとき、友人同士でそんな話をするときもあったけど、あまり自分の中で結婚願望がなく
というかその前に自分の人生もあいまいなのにこんな自分が結婚なんてできるのだろうかとそう考えていた。
そこに突発的に持ち上がった結婚という出来事。
「本当にわたし、結婚するのか」と結婚式の前日まで不思議な気持ちだったことをいまでも覚えている。
結婚生活をまだ迎えたばかりの頃、夫の友人夫婦が遊びにきて、旦那さんに
「どうよ、結婚生活」
明確ではないけれど、そんな旨のことを聞かれた。
結婚と同時に母にもなった新生活は戸惑うことももちろんあった。だけど。
晴れた日に、私と、夫とまだ小さい子供の肌着と。はたはたとベランダで揺れる洗濯物を見ると幸せだなあ、と思う、と答えた。
…それから約十年の結婚生活を過ごした。
そして私から切り出した離婚。
あのとき、確かにあった愛は、長い時間のなかでどんどんしぼんでいくのが哀しかった。
あたたかいスープがどんどんと冷めていくような…小さな不満を募らせ、空しさに心が乾いていくのを感じることが多くなってきて。
なんとか続けていく方向に…と思ったけれどそれは愛の再生とか、そういうところからきている考えではないと気付き、離婚を考えた。
そして十年の結婚生活にピリオドを打ってから四年の時間が流れた。
どんどんと気持ちが離婚に傾いてどうしようもなかったとき、いざ離婚を迎えた日。
そのなかであの結婚生活ってなんだったのかな。なんのための結婚生活だったのかな。
結婚前のあの不思議な気持ちみたいにあれはなんだったのかな。
夫と出会わなければ、結婚しなければ、どうなっていたのかな。
正直、そう考えることもあった。
そんなとき、あの青空の下、ひらひらと揺れる洗濯物が頭のなかに浮かぶ。
それを眺めて幸せだな、とあのとき感じた、気持ちさえも鮮明に。
もちろん辛い気持ちのときばかり、よみがえることもあった。
それくらい愛と哀、その二つが濃厚に詰まった結婚生活で、そのかけらは取り出すたび、違う記憶を呼び起こす。
その「あい」の記憶は心を削るばかりのときもあったけどいまはただ柔らかく、私の中にある。ほんのりとした苦味も添えて。
けどひとつ確かなのは、離婚を後悔していないけど結婚しなければよかった、とも思っていない。
忘れたくない、大事な人生の一部だ。
なんてちょっと綺麗に言い過ぎか。
だけどほかにどう言えばいいか、わからない。
…思いもよらない形で手繰り寄せられた、私のなかの、「あい」の記憶。
また数年後には、どんなかけらが取り出されるだろうか。
