[映画]『PERFECT DAYS (ヴィム・ヴェンダース監督/2023)』

データ
原題: Perfect Days
監督: Wim Wenders
製作年度: 2023
製作国: 日本=ドイツ
アスペクト比: 1:1.37f
時間: 2h04
公開日: 2023/12/22
鑑賞日: 2023/12/29
配給: ビターズ・エンド
はじめに
2024年01月06日のmixiから転載・加筆・修正しています。
鑑賞当日は映画館収めということで、この作品と『サンクスギビング (Thanksgiving/2021)』のハシゴを予定していたが、時間を見誤り『NOCEBO/ノセボ (Nocebo/2022)』とのハシゴとなった。
前評判が高かっただけあって『PERFECT DAYS』はものすごい混み方だった。
感想
期待度が高すぎたと思った。
映画の骨格は、平山のミニマムな日々を繰り返し描きつつ、時々起こるハプニングにさざ波を起こされつつ、それでも変わることのない日常を享受していく…ということだろう。
小津の世界観をヴェンダースが自分なりに解釈したのだろうが、その一方でヴェンダースのハイテクに対するお上りさん感覚が抜けておらず、物語の核となるハイテクトイレ(とスカイツリーとか)を舐めるように撮っているのがなんともバランス悪く感じてしまった。
そもそもは「The Tokyo Toilet」計画きっかけでPR映画が企画されたらしいが、平山の生業として公衆トイレの清掃員を設定しているならば、「TTT」ではなく、本来の一般的な公衆トイレ(落書きだらけでゴミだらけのトイレ)であるべきだったと思う。
もしトイレ掃除が平山にとっての何かしらの贖罪(もしくは劇中チラッとバックボーンが語られるが裕福だった家庭環境に対する反発?)だとしたら、こんなピカピカのトイレであるべきではなかった。日常はもっと汚い描写であるべきだし、だからこそ休憩を含むプライベートの時間のシンプルな描写の繰り返しが際立ったはず。
要はどうしても「TTT」のプロモーション色が抜けきれなかったのだ(もともとのヴェンダースへのオーダーがソレだったので仕方がないけれど)。
そしてヴェンダースがハイテクトイレに目を奪われ、そのハイテクさに嬉々としてカメラを廻しているのが目に浮かんで仕方が無かった。『夢の涯てまでも (Bis ans Ende der Welt/1991)』のときのお上りさん感覚が蘇ってきてしまった。
平山の生活を含む東京の描写はやはり外国人から見た、外国人が見たい日本の風景でしかないし、田中泯のホームレスや「朝日のあたる家(日本語)」を歌う石川さゆりのスナックのママの描写など、私はかなりきつかった(相当恥ずかしかった)。
もっともっとそぎ落としてシンプルに、ミニマムにしてほしかった。平山の平穏な日常にさざ波を与える要素は姪の話ぐらいで十分だったと思う。
エンドクレジットのあとに出てくる"木漏れ日"についての解釈が映画のキモなのだろうから、映像の豊穣さ(饒舌さ)は却ってブレーキとなった。
そもそもハイテクトイレのプロモーションと日本人の(それも外国人から見た)原風景を両立させること自体に無茶があったのだ。
また、音楽(選曲)は相変わらずベタでアニマルズやキンクスの使い方などちょっと恥ずかしかった。ただエンディングに使用されたニーナ・シモンの「Feeling Good」は別格。これでなんとなくチャラになった笑
追記
ヴィム・ヴェンダース
かなりのディスり具合だが、"ヴェンダース監督の新作"ということに拘り過ぎたのかも知れない。
長年ヴェンダース作品を観続けてきた者にとっては、相当に期待していた結果の肩透かしとなり、そのモヤモヤ感を一生懸命に言語化しようとしていたのだと思う。ただ2年前の感想は今もあまり変わっていない。
まずは私の好きなヴェンダースの作品。
都会のアリス (Alice in den Städten/1974)
さすらい (Im Lauf der Zeit/1976)
アメリカの友人 (Der Amerikanische Freund/1977)
ことの次第 (Der Stand der Dinge/1981)
パリ、テキサス (Paris, Texas/1984)
ベルリン・天使の詩 (Der Himmel über Berlin/1987)
リスボン物語 (Lisbon Story/1994)
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ (Buena Vista Social Club/1999)
Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち (Pina/2011)
『パレルモ・シューティング (Palermo Shooting/2008)』以降の劇映画は見落しているが、それまでの作品はドキュメンタリーや短編を含めほぼ観ている。そのうえで言えることはヴェンダースはドラマ造りが下手だということだ。起承転結よりも、あってもなくても良いようなストーリーの中で主人公(たち)が漂流する、それがヴェンダースの魅力であり、そして本質であると思っている。隙間の魅力、とでも言うべきか。
そしてドラマ(劇映画)に関しては多くの作品で失望させられた。21世紀の作品では『ランド・オブ・プレンティ (Land of Plenty/2004)』や『アメリカ、家族のいる風景 (Don't Come Knocking/2007)』あたりはドラマと主人公の漂流をうまく活かせるような内容だったが、ストーリー運びがぎこちなく、観ていて歯がゆく感じた。ドキュメンタリーの『Pina』のほうがよほどドラマティックだった。
一方で『PERFECT DAYS』は嘘のように滑らかな語り口だった。それこそ、本当にヴェンダースの映画か?と思わせるくらいだった。これはなんだったのか…と思ったが、たぶん、共同脚本を担当した高崎卓馬(電通のクリエイティブ・ディレクター)によるところが大きいのだろう。
高崎卓馬のインタビューを改めて読んだが、もともとはTTT向けのプロモーションとして様々な独立したエピソードによるオムニバス的なものを検討していて、ヴェンダースがそれらエピソードをひとりの主人公の二週間の生活で描く、というかたちにしたことで一本の長編映画となったらしい。
ヴェンダースは(案の定)ストーリーというものを嫌っていたらしいが、高崎卓馬がヴェンダースの意見を脚本に取り込み、それをヴェンダースに読ませるというやり方で完成形に持っていったらしい。滑らかな語り口となったのはヴェンダースがシナリオ通りに撮影したからだろう。そして洋画にありがちな"ヘンテコなニッポン"にならなかったのも高崎の功績だろう。
そしてすんなりと観れた分、出てきた不満が最初に書いた内容となる。
日本でも大ヒットした『ベルリン 天使の詩』の話をすると、この作品はペーター・ハントケの詩の朗読とともに展開される荒れた画質のモノクロ部分が圧倒的に素晴らしく、天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)がサーカスのマリオン(ソルヴェーグ・ドマルタン)に恋するあたり(ストーリーが動き出す)から失速していく。ドラマとしての完成度はブラッド・シルバーリング監督のリメイクのほうが高く感じられた。
『パリ、テキサス』はサム・シェパードのエッセイ「モーテル・クロニクル」とヴェンダースの感性が奇跡的に一体化した傑作だった。エピソードとエピソードの隙間にヴェンダースの感性が爆発し、そこにライ・クーダーのスライドギターが加わり、最高の化学反応を起こした。父親が息子を連れて別れた妻に会いに行く、というその単純なプロットに芳醇な"隙間"が覆っている、そんな作品だった。
そして私が一番好きで、私が思うヴェンダースらしい作品は『さすらい』である。
好き嫌いがはっきり分かれる作品だが、この作品こそヴェンダースの本質であり、ベストの作品だと信じてやまない作品だ。偶然出会った二人の男が道行となり、西ドイツ辺境を彷徨う映画だが、その描写に私はそこはかとなく心地良さを感じた。
ハイテク
"おのぼりさん"感覚と書いたが、例えば『東京画 (Tokyo-Ga/1985)』を観ると小津映画の中の古き良き日本への憧憬と同じ熱量でパチンコ屋や食品サンプルをじっくりと描き出している。その視点はやはり奇異なものを嬉々として描いているような印象を受けた。東京タワーも描かれ、そこにはヘルツォーク御大も姿を見せるが展望台で眼下の風景を見つめながら"もはや映すべきものは残っていない"とぼやき、ヴェンダースとは対照的にかなり醒めた視点だった。
『夢の涯てまでも』は世界中でロケをした"究極のロードムービー"とヴェンダースは自負していたが、主人公のトレバー(ウィリアム・ハート)とクレア(ソルヴェーグ・ドマルタン)がそれこそ、A地点からB地点に移動する、それを繰り返すだけで、ロードムービーとしての詩情は感じられなかった。
近未来という設定だが、冒頭のヴェネツィアのシーンからしてセンスのないガジェットを舐めるように映し出しているし、舞台が東京に移ると特に捻りもなく、『東京画』の視点でカプセルホテルを映していた。このシーンでは竹中直人が"外人の女がいるぞー!"と叫び、神戸浩が"ここは女の人は入っちゃいけないんだよ~"と続く、悪夢のような展開があり、公開当時、ガラガラの映画館でひっくり返った。
NHK協力のもとハイビジョン技術を駆使したことが当時売り文句にしていたが、映像に斬新さは感じられなかった。同様にNHKからハイビジョン技術を連携されたピーター・グリーナウェイ(と、ジョン・ギールグッド卿)は『プロスペローの本 (Prospero's Books/1991)』で遊びまくり、とてつもない作品を作り上げた。
『パリ、テキサス』のアメリカの光景は映画が紡ぎ出すドラマを構成するうえで不可欠なものであり、そこに外国人の色眼鏡は無かった。
ルー・リードの曲「Perfect day」
映画のタイトルにも引用されている「Perfect Day」は理解に困る曲だ。
以下の一節を例にとると、映画のテーマにも通じる"平凡な日常"を感じさせる。
Just a perfect day
Drink Sangria in the park
And then later, when it gets dark we go home
Just a perfect day
Feed animals in the zoo
Then later, a movie too and then home
完璧な一日
公園でサングリアを飲み、暗くなったら家に帰る
まさに完璧な一日
動物園で動物たちに餌をやり
その後は映画を観て家に帰る
ただ巷で噂されているように、サングリアどころではないイケナイものを摂取してるんだろう、という話があり、実際に『トレインスポッティング (Trainspotting/1996)』では主人公マーク(ユアン・マクレガー)がクスリで吹っ飛び病院に担ぎ込まれるシーンでこの曲が流れる。
曲に対する良からぬ解釈に対してルー・リード本人はあくまで公園でサングリアを飲んで家に帰る歌だ、と言い張っているようだが、そもそもこの曲を収録したアルバム「トランスフォーマー(1972)」のレコーディング当時はドラッグとアルコールに溺れていた時期で本人もわかってないのでは…という気も笑
曲の最後には以下の一節が4回繰り返される。
You're going to reap just what you sow
自分で蒔いた種はいずれ刈り取ることになる、というこの一節は因果応報を意味し、なので"こんな生活を送っていると後でイタい目に遭う"という風にいままで解釈してきたが、旧約聖書からの引用とのことで、改めて確認してみたら、悪行への戒めという意味合いもあるが、善行を積めばいずれ収穫の時を迎える、という前向きな意味もあった。
一方で途中歌われる以下の一節。
You Just Keep Me Hangin' On
上記は"恋人の束縛"と捉えるにしろ"薬物の依存"と捉えるにしろ、決して良い意味合いではないように感じる。聖書は多分善悪両面で説いているのだろうが、曲に関しては戒めのように感じられた。
ヴェルヴェットのファンであるヴェンダースはこの曲名を冠した映画を撮っただけでなく、『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』にルー・リードをカメオ出演(1曲演奏)させているくらいなので、この曲名の引用、曲の使用にはそれなりに意図があったのだろうが、映画を観るにつけ、その意図があまり理解できなかった。歌詞の表面上の切り抜きだったのか。
さいごに
映画の感想よりもヴェンダースの振り返りとなってしまった。『ことの次第』や『都会のアリス』など語りたい作品は多々あるし、ヘルツォークの映画も振り返りたい。そのうち…。
