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スキ返しをハックする:noteスキを本物にするための提案:のりかな突発251020

2025年10月19日、14時49分。
さて、前回の記事の続きです!

https://note.com/jolly_laelia296/n/n22085c543105 
前回、フィギュアスケート_ITさん(以下、Fさん)の反論記事に答える形で、
noteスキ賄賂問題についての考察を更に深めました!

まずはその結論部から、再開します♪

~前回記事のラストから再開~

…この問題は究極的には、スキボタンの用途の曖昧さに原因が
あるように思えますね。
ある人々は、スキをアカウント育成のためのエサと割り切っている。
スキをあくまで、良い記事に付けるもの、と考えている別の人々は、
負け続ける戦いを強いられ、消えていく。
両者の間にあって、自分たちは「適度に」スキボタンを押し合っている、
と考えている人たちもいます。

只今の時刻、2025年10月16日、午前6時4分。
そろそろ結論に行きたいところです。

この原因の対策案として、2つ考えました。
対策①:スキと挨拶を切り分ける。
対策②:スキを与えるハードルを高くする。


スキは挨拶でも、もちろん宣伝でもなく、評価です。

スキを付けるのは、次の読み手が良い記事を見つけやすくするためです。
スキを付けるのはだから、その誰か、「次の読み手」のために
してあげるのであって、それをあなた自身の利益のために、
お歳暮代わりに使ってはいけないと思うのです。
スキを返してあげると相手に喜ばれるから、というのは善意のようでいて、あなたとその相手の間の私的な利益交換ですよね?
次の読み手」が良い記事を見つけられなくなりますし、
良い記事が埋もれることになり、その書き手も不幸になります。
あなたとその相手の幸福だけを考えるのは、チッソ社員の幸福だけを
考えるのと変わらないでしょう?
だからスキは、ちゃんと善い記事につけるべきだと思うのですが…
いかがですか、Fさん?

https://www.mistore.jp/shopping/feature/shops_f2/season004_02_sp.html 
(てゆうか、スキ返しが文化だ、お歳暮だ、という主張は変ですよやっぱり。
ならnoteは、良い記事ではなくお歳暮をたくさん贈った人の記事が
ランキングのトップになるSNSってことになりませんか?)



Fさんがここまで読んでくれているかも不明なのですが…。
納得して頂けたら、スキを付けてください。
もしくは再反論もお待ちしています。
あなたがこの記事より、あなたにスキをくれた方にスキを返す方が
正しいと考えるなら、この記事を広めなくてもよいです。

あなたのスキは、本物ですか?

(とはいえ、僕の記事の影響力を高めなければ、
この考えも誰にも届かないまま枯れてしまいますし、
読者の時間を奪う空虚なスキ水増し記事がランキング上位を占め、
彼らのデマの方が浸透してしまうわけです…。
まっとうな方法で彼らに勝つ方法、スキ水増しよりスキを増やす
手段をなんとか考え出さないと…。禅問答ですね…!)

対策①は「挨拶ボタンをスキボタンの横につけて、挨拶したいなら
そっちを押せばいい」案です。
挨拶ボタンをいくら押しても人気が上がったりしないので安心ですね♪
いくらでも交流してください!(笑)
対策②は、挨拶感覚でスキを押さないよう障害を設ける案で、
例えば1000字程度、感想noteを書かないとスキを押せない仕様に
実装し直すとかですね♪
現に僕はここまで一万字程度書いていますし、スキボタンを押すくらい
好きなら、せめて1000字くらいは書けますよね(笑)。
僕はこれから、Fさんの勧めにも従って、スキやフォローをくれた方々の
記事をちまちま読んで感想を1000字程度ずつ、投稿していこうと考えて
います。良い記事にはスキも付けるでしょう。
ただスキ不正が見られる場合には、その記事の中で理由を示したうえで、
選外と書きます。
ダメなものはダメだ、とハッキリさせる。
noteでは人気がハッキングされてしまっているため、「人気記事=良い」
とは限らず、(僕も含め)読者が良い記事を探せなくて困っています。
良い悪いを批評する記事は皆無なので、やる価値はあると思っています。
(ただその記事がスキ不正を抑制する効果があるか、影響力を持てるか
という問題はあります!)
note編集部にも、改善案を送れるフォーマットを見つけたので、
対策①②を、これまでの経緯説明も含め(このシリーズのリンクを貼れば
よいでしょう)、提案してみようと思います!

フィードバックする」でリクエストすればいいはず!
メンドクサイけど…。

少なくとも、スキ不正の実態を知ってもらうことにはなるはず…。
とはいえ編集部は放任主義のようなので、実際に改善されるかは
微妙ですね!
自分たちで自治していかないと。

スキ返しが文化なら、悪習をやめさせないといけませんね!
スキ挨拶の代わりにコメントで挨拶したりすればいいのでは?
FさんやAさんも追随してくれると良いのですが、「人は易きに流れるもの」
なので期待はしていません。
でも、「本当にちゃんと読んだ上でスキを付けている」アリバイとして、
その感想を投稿するのはアリだと思いますよ!
読まずにスキを付けている上位の方々には真似できないだろうし。
FさんやAさんも、読者の皆さんもなんか考えて下さい!

~ここから現在に戻る~

…というわけで、現在に戻ってきました♪
この結論部を書いていて、なんかダメだ、という気がして、一旦
前回のラストのような形で締めたわけです。
何というか、結論の後の、「ではどうするか」の対策部分が、
取ってつけた感がありますね!
(この文章書いたの誰⁉…オレか…!)

この問題はそもそも、僕がA氏からスキ賄賂を受け取ったことで、
スキ賄賂やセルフスキのに気づき、調査を開始したのでした。
この問題の解決とは、スキ賄賂やセルフスキを肯定するような
ロジックを正論で論破すること、…ではないですよね。
解決とは、それらが不正なのであれば、noteから不正を無くすことです。

なのに僕は、前回のラストで自分でもかなり見事に、スキ返しを肯定する
ロジックを潰せたので、それで満足して、これで皆、心を入れ替えて
解決に向かってくれるだろうと、かなり甘い性善説的な適当な、「対策案」
を書いてしまっている…。そう気づいて、「保留」にしたのです。
何が正しいかを明らかにできれば、もう僕の仕事はおしまいで、
人々は自然と正しい行動をとるようになるだろう、従ってスキ不正は自然と
無くなるはずだ。
…そんなわけないですよね?
(学者タイプにありがちな勘違いだといえます。
もしくは、「社会のあるべき姿」を突き止めて、現実の社会がその理想と
食い違っているのを憂いて見せたり…。憂いても世の中は変わりません。)

「スキを付けるのは、次の読み手が良い記事を見つけやすくするため」
と前回、僕は書いています。
「スキを付けるのはだから、その誰か、「次の読み手」のために
してあげるのであって、それをあなた自身の利益のために、
お歳暮代わりに使ってはいけないと思うのです。」
この文は「スキ」を、選挙の投票権に例えていますね♪
どの政治家に一票を投じても構わない。
でもそれは「誰か次の読み手」のためであって、「」の意識が必要
だと言っています。私心だけで投票してはいけない。
自分の町に橋や道路や公民館を作ってくれる政治家や、自分たち
「子育て世代」にバラまいてくれる政治家とか、もっとぶっちゃけて
言うと、投票すると自分に見返りをくれる政治家。
そういう政治家への投票と、お歳暮のようなスキの贈り合いは似ていると
僕は思います。
「私たち」は幸せになるけど、その外部である「みんな」が、
」が不幸になる。

これはかなり正論だと思いますが、正論でしかない。
正論を言われると、人は改心したりしません。
顔を真っ赤にして怒ります。もしくは無視します。
これが僕みたいな学者タイプが陥りがちなですね!
(正論を言って満足してしまう…。)

「なるほど私は間違っていたようだ、これからはスキ返しをやめよう!」
と改心するでしょうか?
そんなわけありませんね!(笑)
正論はむしろ、相手を逆ギレさせます。
FさんAさんもこれで改心して、スキ返しという悪習を無くす妙案を
一緒に考えてくれるだろう?
少年漫画のライバルですか!
そんなわけないでしょう!(笑)
彼らは単に、プライドを傷つけられて怒っているか、
嵐が過ぎ去るのを待っているのでしょう。
僕が勝手に消耗して、note界から去ることを期待している。

スキ返しやセルフスキ(自分で自分の記事にスキをつけること)を自ら
封じている僕が文章や表紙の工夫だけで、スキ数はせいぜい二桁が限界
なのに対し、彼らはチートで楽して同じくらいのスキを稼げるのですから。
ただ無視していれば勝手に消えると思っているのでしょう。
根本的に間違っているのは、強いのは彼らの方なのです!
チートを使える分、向こうの方が圧倒的に有利なのです。
正論を言う側は常に、弱者なのです。
弱者に言い負かされたと思ったら、強者は単に無視すればいい。
自ら決めた正論が足枷となり、勝手に消耗していくのだから…。

それに、スキ返しやセルフスキを今さらやめるなんて、
彼らにはできないでしょう。
0スキを15スキに水増ししているのだから、水増しが無くなったら0スキに
戻ることがうすうす、彼らにも分かっているのです。
note界の未来のためなんかのために、自分の記事の(見せかけの)人気を、
承認欲求を犠牲にはしないでしょう。

人は易きに流れるもの、我が身大事です。

「万引きは良くないよ」と諭しても、「じゃあウチの子に何食わせれば
いいんですか⁉飢えて死ねと⁉」と逆ギレされるのが落ちです。
「スキ水増しは良くないよ」と言っても、「それじゃアンタが代わりに
スキをくれるのかよ⁉」と逆ギレされてしまう。
「だからね、文章を工夫して…努力して…」と正論を言っても、
「そんな才能ねえよ!努力の才能もねえんだよ!悪かったな!」
と怒らせてしまう。

確かにその通りなのです。
noteは今、ためらいなくスキハックをやる人間が不当に人気を得て、
まっとうに頑張る書き手のやる気を削ぐ環境になっている。
だから、読み手より書き手が多くなっているのです。
正直に「つまらない」という読み手なんて消えた方がいい。
書き手が互いに褒め合っている環境のほうが、楽して承認欲求を
満たしたい書き手たちにとっては楽園なのでしょう。

では、逆はどうか。

チートが許されず、良い記事がちゃんと、評価される環境に正常化する
ことが、多くの書き手にとって幸せなのか??
考えたり文章を書くのが好きで、努力するのが楽しいという才能
持っている、一部の書き手にだけ、幸せなのではないか?
noteユーザーがほぼ書き手で占められているとすれば、互いに
良い記事を目指して切磋琢磨する環境は、ユーザーの多数にとって
辛いだけです。
そして辛ければ、すぐに書くのをやめてしまうでしょう。
noteの記事は基本、無料なので、なんでタダでこんな辛いこと
(=文章を書くこと)を続けているんだ?と、大多数の才能の無い
普通の書き手は、辞めてしまうでしょう。
するとnote編集部が困ることになる。
書き手どうしが読んだフリし、嘘スキを送り合っている方が書き手が
残り続けてくれて、新規参入も期待できるのです!
だから僕の改善案は甘いというか、先生に言いつけるように改善案をnote
編集部に送ったところで、何か動きがある、とも期待できないでしょう。
(それでも一応送りますが…。)
noteでは、スキ返しが文化というか、公然の秘密になっているらしい。
note編集部も、書き手が激減したりすると困るので、見て見ぬふり
しているのではないか?
切磋琢磨できる人は、noteになど長居せず、さっさとプロを目指せばいい。
noteはプロを目指さない、アマチュアがお互い作家気分に浸るための
空間です。
それはそれで、価値があるのでしょう!
「作家になりたかった人」が夢を見られる空間として。
今のnoteのお客さんは、読み手でなく書き手です。

(サービスされる側は書き手で、サービスする側は、(書き手でもある)
読み手です。逆転してるのです!)

読み手でなく書き手の自尊心を満たすためのサービス、という意味では、
自費出版に近いとも言えるでしょう。
(自分の文章が「本の形」になる喜びを満たしてくれるサービス。)

さて僕も、エッセイ修行を始めてちょうど一年経つし、潮時ですかね?

それはともかく、(前回も言及しましたが、)読み手にとって幸せな環境と、
書き手にとって幸せな環境はトレードオフの関係にありますね♪
セルフスキやスキ賄賂を認めないという僕らの立場は、読み手の幸せの
ために書き手が切磋琢磨する、読み手原理主義の空間です。
今、noteユーザーの多数、コモンセンスはどちらかというと書き手
原理主義
に偏っている。
といっても、純粋な書き手原理主義は、セルフスキや、複数アカウント
とか、AIで記事を量産するとか、記事を読まずにスキボタン連打みたいな
振り切った連中のことです。
純粋な書き手原理主義者は、記事を書く喜びなど無く、ただ、自分の
アカウントが育っていく自己満足の喜びしかないのでしょう…。
彼らは、アカウントが成長するための最前手、最も効率的な手段
ためらいなく講じます。
Fさんも記事の中で、「自分は相手の記事をちゃんと読んでいる
ことを強調していますね!
記事を読みすらせず、スキを貪る連中へのヘイトが、(Fさんのような)
noteの多数派にはあるとみて良いでしょう。

noteの平均的なユーザーは、読み手原理主義者ほど純粋ではないですが、
書き手原理主義者ほど穢れてもいない。
さて、前回の僕の記事の結論と、そこから考えていた「対策」では、
僕は純粋な読み手原理主義者の立場に立っていました。そして、
「純粋な読み手原理主義者vsそれ以外」
という対立構図に立ち、「それ以外」がやっている、スキ不正全般
論破し、note先生に言いつける、みたいな解決案になっていましたね!
今振り返ると、これは悪手です。

【推しの子】kindle第十三巻 第百二十三話 No55より。
ツクヨミはアイの転生した姿。赤坂先生が
そこを掘り下げなかったのは、この「悪手」が原因…⁉
…詳しくはのりかなエッセイを読もう!(唐突な宣伝)
(今なら月500円で124エッセイが読み放題!(笑))

のりかな毎日エッセイ250114:推しの子最終回考察①:なぜ炎上したのかな?|のりかな

本題に戻します!
少数派vs多数派」という対立では、少数派である自分たちは、
「負け続ける戦い」になり、消耗してすり減ってしまいます。
そもそもズルい手を使える側の方がそれによって、力も強いのです。
数も少なく、力も弱い。
エンデのモモは、時間泥棒に勝てない。
「負け続ける戦い」にはロマンがありますが、ロマンに酔っていても
どうしようもないでしょう。
そのまま敗北の美学に酔いしれたまま、消えていくだけです。

「戦っちゃいけないんだ、僕たちは!」


https://renote.net/articles/11771/page/10  

というわけで、前回の記事の冒頭、カトル君の台詞に戻りましたね!
正論に立っている側は、正論というハンデを課せられている分、
チートを悪びれずにできる連中より「弱く」なります。
だから戦えば当然、負けます。
だから戦ってはいけないのです!
セルフスキやスキ賄賂を使えば、20スキも得られるのは当然です。

(20スキもあれば「人気=良い」と勘違いして更に倍々で読者が集まる…)

それらなしで、実力だけで彼らに敵う、と考えるのは過信です。
では、「戦っても無駄」と諦めるのでしょうか?


まず、
「純粋な読み手原理主義者(自分たち)vsそれ以外」
という不利な対立構図を、
「それ以外(自分たち)vs純粋な書き手原理主義者」
という構図に、ずらしてやる。
すると自分たちの側にnoteのコモン=多数派が含まれるので、
「多数派vs少数派」
という構図に変わり、数の力でボコれるようになるわけです!
セルフスキや、読まずにスキボタンといった原理主義者を、
数の力で糾弾し、叩いていける。
(だから今のうちにセルフスキはやめた方がいいですよ~(笑))
これはつまり、noteの普通の人がやっている程度のスキ不正、
つまり「読んだ上でのスキ返し」を大目に見る、ということです。
「それだって不正だからアカン!」という立場に固執すると
少数派になってしまう。
自分自身についても、「読んだ上でのスキ返し」をしない、という
ハンデを少し、緩めてやる。
すると、重いマントを脱いだピッコロみたいに身軽になります!

https://ameblo.jp/h0713a0909/entry-12161175602.html 
あえてスキ返しをしない、という枷は文章修行には最適です♪
しかしそろそろ本気を出しましょうか…。

僕のこのシリーズでは、noteスキ不正に対する妥協点を探る
という目的がありました。
①僕らのような読み手原理主義者と、Fさん方のようなやや書き手主義
寄りの人々(=多数派)との妥協点を探る。
そして、
②両派とも、書き手原理主義者を憎む、という点では合意を得られている。

かなり終盤に差し掛かってきました。
そろそろ詰み筋を考える局面ですね!

https://www.youtube.com/watch?v=Kc9aNA8VT5A 
詰みと言えば、最近ハマっているのがこの将棋実況シリーズ♪
高性能将棋AIと人間の対局なんだけど、勝つために毎回
ズルというか、有利に立つための初期局面設定が独創的?(↑)でウケる(笑)

noteでは記事の認知を得るのが難しいです。

新着記事は、付けたタグの「新着記事ランキング」の上位にいる
わずかな間しか、読み手に認知される機会が無い。
あるいは「急上昇ランキング」の上位に載れば認知の機会は増えますが、
スキ数が0の段階では表示もされない、というジレンマがあります。
だからこそ、セルフスキで「1スキ」にするチートが流行るのです。
スキやフォローを記事の良し悪しに関わらず積極的に掛けていく
人が出てくるのも、認知を増やす合理的な策です。
そして、スキに「スキ返し」するのは、「私たち、スキ返し
し合いませんか?」という無言の合図になる。合理的ですね!
ただ、「認知を増やすのに都合のいいボタン」に、「スキ機能」
も付いていて、押すと相手の記事の人気も上げてしまうのが
問題なのです。
では、上記のように「挨拶ボタン」があれば解決するでしょうか?
確かに挨拶ボタンでも認知は増やせます。
しかし自分の記事に自信が無い、大多数の書き手はそれを
使わないのではないか?
自分の「面白い記事」を認知させ、その対価としてスキをもらう、
のであれば挨拶ボタンでよいでしょう。
面白い記事を書けない人が、記事自体ではなく、相手の記事への
褒めコメントやスキで以て、スキをもらおうとするのが、
スキ賄賂の構造です。
従って挨拶ボタンが出来ても、賄賂性のあるスキボタンの方を
人々は、使い続けるでしょう。
「もっと認知されれば、読まれさえすればスキが付くのに…」
という自信家は少数でしょう。
「たとえ認知されたとしても、読まれたとしてもこの記事じゃスキは
付かない…。」という自信の無い記事を投稿する人が、スキを得るために
相手に先んじてスキをあげたり、見え透いた褒めコメントを打つ。
「ほっとくとスキが付かないような記事でも、スキが付かないと書き手が
大量脱落してしまう」問題があるため、スキ返しは編集部に見逃されて
いると、僕は推測します。
スキ返しはボタン一つで出来る手軽さがあり、相手が返してくれる率も
高いので、(しかも編集部も見逃がすのであれば)やらない手は無いのです。


スキ返しの代わりに、人々のコメント欄に自分の記事のリンクを貼って
いって認知を増やすのはどうか?とも考えましたが、
コメントは1時間10件しか打てないそうです。
スキ返しより返ってくる率も低く、手間もはるかにかかる。
(コメントならスキという賄賂がなく、認知を増やすだけなのでクリーン
ですが、クリーンなので返してくれる確率もさらに小さくなる…。)
というわけで詰みです。
人々が、便利なスキ返しの代替案を選ぶとは思えない。
効率も変換率もはるかに低く、手間と時間がかかる代替案を、
人々は「正しさ」だけで選んだりはしない。

というわけで、スキ返しをやるのが勝ち筋なのです!


前回の記事は、スキ返しを正当化するロジックを完全に潰す正論として、
かなり強力なものになったと自負しています。
でもその声は誰にも届かず、相手は粛々と、正しくないスキ返しを
続けるだけで、こちらは正論に縛られ、一方的に消耗していく。
これではスキ返しは単に、続いていく。
スキ返しはいっぺんには無くならない。
「確かに良くないかも」と皆を説得できれば誰もやらなくなる、なんて
ことは無いのです。
良くなくても人は、それが必要なら続ける。
むしろ「北風と太陽」のように、正論を言うほど相手は頑固になる。
対立構図になれば、断絶が広まるだけです。
だから、戦ってはいけない。
正論を言っても、「で?」となるだけです。
これだけ言っても人々がスキ返しを続けるなら、(前回の記事でも
書きましたが)半裸のファッションにこちらが合わせるしかないのです。
そうすれば、半裸の人々を味方に付け、全裸の人々(書き手原理主義者)
を少数派に追い込める。
自分も半裸で、身軽になります。
でも半裸というか、スキ返しという文化には抵抗がある。
だから、「スキ返しという文化」を少しずらす

僕がこれからやろうと思っているのは、スキを返すのと同時に、
「感想記事」も返す。

「スキ返しという文化」を、徐々に「スキ&感想記事返しという文化
に変えていく。
読んでないと感想は書けないので、読まずにスキを送る
書き手原理主義者を抑制できます。
スキが増えるほど、感想記事を書くのも大変になり、スキ返しの
数は自然と制限されていく。
(読まずにスキを付ける原理主義者は、感想記事もAIに量産させるかも
しれませんが、プロンプトを打つ手間や、電気代という制約もある。)
感想記事返す文化が広まれば、感想記事を書ける程度にスキ返しが
自然と抑えられるし、「感想記事を書かない人は、ということは
読まずにスキ付けている奴?」と疑われることになりヘイト
集めるでしょう。
単にスキを返すだけでなく、週一か月一で、スキ返しした記事の
感想を投稿する。

昨日見つけたのですが、2018年にnote感想文というイベントがあったようです。
今でも「 #note感想文 」というタグで感想をupしている人々がいる様子…。
スキ返しをしたら、僕はこれからこのタグで感想をupしていこうと考えています!
どうせ人の記事を読んだら何か書きたくなるに決まってるので…(笑)
(※相手のコメ欄にその旨とリンクも通知する。)
読者の方、FさんやAさんも参加しませんか?

良かった点や悪かった点や質問を感想記事に書くことで、スキ返しが
惰性でなくなる。文章練習にもなるし、人とのつながりも増えるし、
コメ欄と違い500字という制限もない。
コメ欄は密室的で、書き手同士の馴れ合いや談合の温床になると思えます。
感想投稿の方が、多くの観客に観られるので公共的で開かれています。
なので自分の感想に、スキに公共的な意識が生まれる。
(他人から見て、自分がこの記事にスキを付けた理由は納得的だろうか?
という反省が生まれます♪)
僕はスキ返しの基準をかなり緩める積りですが、それでも「ガラス張り
にすることで、「さすがにこの記事にスキ返ししたら読者が、支持して
くれているファンがどう思うか…?」という意識が働き、ブレーキになる
でしょう。
だからFさんやAさんにも、コメ欄でなく感想記事で返すことをお勧めする
のです☆

https://www.jiji.com/jc/d4?p=ysy602-jpp000816598&d=d4_pol2 
ガラス張りの知事室」と言えば、田中康夫元長野県知事ですね♪
ちなみにガラス張り知事室は、2000年に完成し、6年後に廃止されたそうです(笑)

「ちゃんと読んで、感想を得たうえでスキを付けている」ことの
アリバイにもなるし。
もちろん、ただスキボタンを押すより、記事を書く分、手間は増えます。
スキを与えるハードルを高くする」ことに若干、なっているわけです。
感想投稿を通じて、スキ返しした記事が「ガラス張り」になるため、
見返り目当てでむやみやたらにスキを返す態度の反省にも、なる。
スキ返しに時間的、倫理的な制限がかかるのです!
いかがでしょうか、Fさん、Aさん?
善い提案だと思いませんか?

①僕らのような読み手原理主義者と、Fさん方のようなやや書き手主義寄りの人々(=多数派)との妥協点を探る。

…これがこの記事の趣旨でしたね♪
僕は読み手原理主義者でしたが、妥協して「記事を読んだ上でのスキ返し」
を認めようと思います!
僕以外の読み手原理主義の方々にも、「負け続ける戦い」に拘らず、
妥協することをお勧めします!
(修行としてあえてやるのはおススメですよ♪)
その代わり、FさんやAさん方にも若干、妥協することを期待します。
「読まずにスキ返し」は認められません!(そこはFさんも同意でしょう。)
しかし、「ちゃんと読んでいる」と口先だけでは信用されないでしょう。
人はすぐ、心の中の悪魔と取引してしまうものです…。
「今日は忙しいから仕方ないよね、読んだことにしてスキ返ししちゃえ!」

読んだのなら、定期的にその感想をアウトプットする、つまりスキ返し記事
情報公開することで、note界のよどんだ空気を少しずつ、クリーンに
近づけていきましょう♪
まあ誰もやらないとしても、僕はやるのですが…。

「スキ返しというnote文化」を、「スキ&感想記事返しというnote文化」に
ほんの少し、ずらすだけで、スキ不正はかなり制限されると思うのです。


僕の実践として、僕はここまでの1年間、のりかなエッセイで自分自身の
考えを掘り下げてきましたが、これからの1年間は、スキを返していこう
思います。
これまでスキやフォローをくれた方の、また直近でスキをくれた方の
記事を読んでいき、スキ返しをしてその感想を定期的に投稿していく。
それがどんな形式になるかはやってみないと分からないのですが、
#note感想文 」というタグは付けると思うので、読者の方々が
様子を伺って、マネしてくれると良いな、と思います♪
読んだ記事の感想を黙ったままスキだけ返すのより、noteは
「書くのが好きな人のためのSNS」なのだから、書いた方が
noteの文化として、らしいと思うのですよね♪
(書くのは苦痛だけどスキは欲しい、という人のためのSNS、
じゃないですよね(笑))

以上です。
この妥協点に、noteの書き手の多くが参加してくれれば、
noteは良い場所に変わるでしょう♪
ご精読ありがとうございました。



ふう。
前回の原理主義的な結論よりマシになりましたね♪
これで五飛でなく、「戦っちゃいけないんだ!」というカトル君
近づけたのではないでしょうか?(笑)

少しお休みして、次はジークアクスの振り返りの続きをやるのか、
テスト的にスキ返しとその感想記事をupしてみる積りです♪
修辞、じゃなくてシュウジの話、その前にマチュ=ハマーン説とは
何だったか論をやるかも…。
この「スキ不正を考える」シリーズは、ジクワの本質を理解するうえでも
有益だと思うので、その外伝という位置づけにします♪

アムロやまっとうな人々が生き残れない、チートが横行する
世界というのは、今のnoteやSNSの似姿でもあります…。

この文章が、読者の方々の意識と行動を少しでも変えるきっかけになれば
嬉しいですね♪
ではまた次回!
Thank you for reading!

(蛇足になりますが、
最後に改めて、僕に気づきや苛立ちや苦悩や考察の機会を与えてくれた、
AさんやFさんに感謝します。
ありがとうございました。)

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