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ジークアクスを振り返る②三話までの感想:勧悪懲善:のりかな突発250703

2025年7月2日、21時50分。
さてさて。
昨日に引き続き、ジークアクスを振り返って
いきましょう♪

ジークアクスを振り返る①第一話感想:のりかな突発250701|のりかな

↑詳しい経緯は昨日の記事を見てください!

ジクワ映画版から最終話までの約半年、平均5千字×31記事=約15万5千字
(新書1.5冊分!)の感想記事の山を、表紙の解説に絞って要約した振り返り
記事を何度かに分けて投稿していきます!

ガンダムのテレビ版43話を、映画3つに要約するようなものですね(笑)
…といいつつ、昨日は1記事分しか進まなかったので、ブーストかけて
いきます!
今日は3話目くらいまでは終わらせたい…!

↑まずは約2か月前の、この記事から。

いきなり「追記」です(笑)。1話分の感想が1記事で収まらない…。
前回はジクワとガンダム00の1話を比べるという、アクロバティックな
(たぶん日本で僕一人?)記事を書いたのですが、この記事では初代
ガンダム
1話と比べるという、オーソドックスなことをやってますね。
というわけで表紙には、マチュとアムロという、新旧主人公の画像を
載せました。普通…。

https://yamanon.seesaa.net/article/200806article_4.html 
「さよなら絶望先生」より、人並み少女、日塔奈美。

とはいえ、初代、ガンダム00、ジクワという3点で、「ガンダム」を
立体視する試みは、ヨソではやってないかも⁉(自慢)

前回、1話のマチュとソレスタルビーイング、「坊っちゃん」を例に
出して、「主人公」の類型を以下のように定義しました。

「スルースキルが低く、不正や他人の不幸を放置できず、他人と衝突
したり試練に直面するが、乗り越える。」

https://gundam.fandom.com/ja/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4 
 アムロ少年もこれに含まれるでしょう。

これに対して「普通の人」というのは、主人公が試練に直面して堕ちていく
様を見て、自業自得と嗤ったり、
「それみたことか(笑)だから見て見ぬふりすればよかったんだよ!
ヒーローぶらずに何事も身の程をわきまえて、スルーするのが大事♪」
…と自分を慰める人たちです。みっともないですね(笑)。
もちろん、他人や他国と衝突すれば血が流れます。
なのでスルーするのも大事です。

アムロ君もガンダムで立ち上がり、敵である新兵ジーンのザクと衝突、
ジーン青年を殺害します。

https://ameblo.jp/exia-jam/entry-12130903000.html  
ジーン新兵。シャアと同い年くらいでしょうか?

人殺しは悪なのか?
それとも、人を殺さないこと(=スルーすること)が悪なのか?


このジレンマはひとまず置いておいて、初代ガンダムの1話において、
アムロ君のジーン殺害は「悪」として描かれているとは思えません。
むしろ「成敗」でしょう。

https://www.instagram.com/p/DHuBFD8zPyU/ 
ジーンのザクが斬られるシーンで、
悲壮なBGMが流れたりしないですし。

ここで「悪(ヴィラン)」の定義を、「主人公(善)」と反転させて、
以下のように仮定しましょう。

不正に怒りを覚え、他人の不幸を放置できず泥沼にハマる人(善)

他人の不幸や不正を「参考」にして、「上手くやる」人(悪)

つまり悪を反面教師とするどころか、憧れたりお手本にしようとする人。

ズルやチートを避けるどころか模倣、活用して利己的な目的を追求する
人は、誰からも嫌われるので、物語の悪役に選ばれがち、だと言えます。
そしてそんな奴が破滅する結末は、不正だらけの世の中で、観客を
勇気づけるでしょう。
従って「悪(ヴィラン)」の定義は、
「スルースキルが低く、他人の不幸や不正を助長・利用し、他人と衝突
したり試練に直面するが乗り越えていく。しかし最終的には破滅する。」
になると、僕は考えます。

(なお、デスノートのように、悪が主人公になる物語もあるため、「主人公」
は「善」と言い直した方がいいでしょう。)

この意味で、第1話のアムロ君は「善」、ジーンやその親玉であるシャアは
「悪」役だと言えると思います。
悪が序盤でチート級に活躍するのは、観客のヘイトを集めるためです。
民間人の犠牲に注意を払わず、自らの手柄に向かって邁進するジーンは、
アムロ君に成敗され破滅することで、観客にカタルシスを与えます。
そしてシャアも…。
戦争を私怨の実現と、そのための出世の機会に利用してきたシャアは、
声無き弱者の代表である、アムロ君の反逆を受け、自滅していきます。
(シャアの出世の道は12話で一旦途絶えます。)

さて、「声無き弱者の代表」として立ち上がったはずのアムロ君は、
ガンダムのチート性能のおかげでチート級の活躍を見せ始めます。

https://pocket.shonenmagazine.com/article/entry/isekai_20240319 
俺ツエー系主人公と化したアムロ君。
だんだん倒される魔族(ジオン)たちの方がかわいそうに…。

ガンダムの演出は徐々に、観客のヘイトをチート主人公アムロ君に
向け始めます。
ジオン兵にも事情がある、ジオン兵の方がかわいそう、ガンダムは
白い悪魔…。

「仲間のために戦っている」のは、別にアムロ君だけじゃない。
ジオンの側だって同じです。

https://www.muddy-walkers.com/GDM/11.html 
11話。恋人の仇を撃つために、アムロに銃を向けるイセリナ嬢。

ガンダムの12話「ジオンの脅威」で、ジオンの指導者ギレンは、
「連邦の圧政に耐え兼ね、立ち上がったジオン公国の正義」を全世界に
訴えます。ジオンこそ被害者なのだ、と。
そして、向かうところ敵なしの悪魔ガンダムの前に、ランバ・ラル大尉が
立ちはだかります。

https://minkara.carview.co.jp/userid/136702/blog/14354700/ 
ラルのグフが立ちはだかるシーンで流れるのは、
1話でガンダムが立ち上がるシーンで流れる勇壮なBGM。
「主役用BGM」がグフに使われ、ガンダムは悪役に(笑)。

…キリがないので次の表紙にいきます(笑)。↑
よく、「初代ガンダムはマジンガーとかと違って、勧善懲悪じゃないから
画期的なんだ!」
と言われがちだけど、違うという記事です。

ガンダムの序盤ではジーンやシャアが「悪」となり自滅します。
中盤では調子に乗ったアムロ君がグフに成敗され、観客にカタルシスを
与えます。
それ以降は、敵も味方も、仲間のために戦う様子が描かれます。
…この中盤以降の長い部分が、ガンダムが勧善懲悪でない、と印象付けら
れる原因では?と僕は思います。
しかし物語の終盤、ソロモン攻略戦で、転機が訪れます。

https://ameblo.jp/getter-jakiou/entry-10765458318.html  
↑ドズル・ザビ中将は顔は怖いけど、家族や部下想いのいい人です。

部下や家族のために、陥落寸前の要塞で殿(しんがり)を務めるドズル中将は
悪人とは思えません。にもかかわらず、生身でガンダムを銃撃するドズルの
背後に冨野監督は、悪魔の幻影を描きます。
この演出意図は、ガノタ界隈でもいろんな解釈があるようです。

あくまで僕の解釈ですが、
「スルースキルが低く、不正や他人の不幸を放置できず、他人と衝突
したり試練に直面する」
という善人を、監督はここで「旧人類=オールドタイプ」と再定義します。
仲間の不幸を放置できない善人が、しかし同時に、(それゆえに)敵に対して
は容赦なく銃を撃ちます。
その矛盾と限界。
仲間想いの善人は、敵からすれば悪魔にしか見えません。
愛の範囲が狭いのが、旧人類の限界なのでしょう。
そしてそんな旧人類の悪弊を乗り越える存在として、物語の後半で描かれる
のが、新人類=ニュータイプです。
「仲間は大事にするけど敵は絶対に殺す」という旧人類の限界を超えた、
「戦争なぞせんで済む人類」がぽつぽつと現れ始める、という希望を
示しながら、テレビ版ガンダムは終了します。
従ってテレビ版ガンダムは、勧善懲悪の物語だと、僕は考えます。

ジオンを存続させるために、陥落する宇宙要塞を脱出しようとしたキシリア
は、改心したシャアに討たれ、共倒れになります。
キシリアが悪人だからではなく、「新人類を愛し旧人類を憎む」戦争を
継続しないために、オールドタイプを終わらせるために、
シャアはキシリアを道連れにして退場します。
「ニュータイプ至上主義」というのは、愛の範囲がオールドタイプにまで
及ばない、という意味で、旧人類的な思想だといえます。
本当にニュータイプなら、新人類も旧人類も分け隔てなく、愛せるはず
ですし。
「オールドタイプは排除しよう」と考える奴は、ニュータイプではない
狭い人間なのです。

コモリ少尉「本物のニュータイプなら、そんなことしないよ。」


さて、このようにテレビ版ガンダムのラストは、他者を敵味方に分けない
新人類の自然発生の兆しを見せ、その拡大に希望を見出す、という
やや宗教じみた終わり方をします。
全ての人の目覚め、人類の革新はもうすぐだ。だからそのときを待つ。
(神の再臨は近い…と説くキリスト教や、革命の時は近い…と説く共産主義
に近い気がします。いわゆる終末思想ですね。)
しかし待てど暮らせど、「人類の革新」など一向に起きる気配がない。

そもそも目の前の不幸を、「旧人類には解決不可能だし、諦めて、人の
革新を待とう!」といって放置していていいのでしょうか?

https://animanch.com/archives/20615472.html 
冨野監督原作「クロスボーン・ガンダム」より、シェリンドン・ロナ嬢。
戦争をし続ける旧人類を止めるには、ニュータイプが多数派になる未来を
待つしかない。だから目の前の戦争に関わって死んだりするな。
そう言ってトビア少年を閉じ込めるシェリー。
仲間を助けに行こうとするトビアを、「旧人類など助けても無駄」と
止めるシェリー。彼らはどのみち、殺し合って滅びるのだから。
その冷たさと、同族(ニュータイプ同士)を守ろうとする
愛情とのギャップに戸惑うトビア。
なぜ人は、敵と味方でこんなにも態度が変わるのか⁉


富野監督は劇場版ガンダム以降、「ニュータイプ化を待つ」のとは別の、
今のままの(旧人類である)私たちにできることを、模索していきます。

↑出番のないマチュ。アムロがいないチート設定の中、無双するシャアと、
シャアを模倣するシャリア。という意図で作った表紙です。

さて、ここまで見た、ガンダムの類型をジクワに当てはめると
以下のようになります。

善(主人公):
「スルースキルが低く、不正や他人の不幸を放置できず、他人と衝突
したり試練に直面するが、乗り越える。」
…アムロ→マチュ


悪:
「スルースキルが低く、他人の不幸や不正を助長・利用し、他人と衝突
したり試練に直面するが乗り越えていく。しかし最終的には破滅する。」
…ジーン、シャア→警察ザク、シャリア、シャア

つまり、ニャアンへの不正を放置できないマチュが、アムロのように
戦いに加わり、試練を経て強くなる。
一方、目的のために他人を利用するシャアは、ジクワでも、シャアに感化
されたシャリアと共に、最終的にはしっぺ返しを受ける、はず。
マチュは警察ザクの悪を放置できず、思わず殴りに行きますが、その元凶で
あるシャリア、さらにその元凶であるシャア、も殴って改心させるはず。
…と予想していたのですが、外れてしまいました(笑)。
最終回まで観て、実際には以下の通りでした。
(太字が予想との相違点)

善(主人公):
「スルースキルが低く、不正や他人の不幸を放置できず、他人と衝突
したり試練に直面するが、乗り越えられず、現状を受け入れ復帰する。
…マチュ

悪:
「スルースキルが低く、他人の不幸や不正を助長・利用し、他人と衝突
したり試練に直面するが乗り越えていき、目的を達成する。
…シャリア(シャア、キシリアetcは敗退)


マチュは警察ザクに反抗し、悪の元凶であるシャリア、さらにはジオンの
支配体制にまでリベリオンするのかと思いきや、そんなこともなく。
アルテイシア女王の戴冠を済ませ、彼女を置いたニュータイプ・シャリア・
ブルに支配され、ジオンの独裁体制はいっそう盤石になりました。
そんなジオンにいるママのもとに、結局は帰っていく、マチュ。

シャリアはこれといったしっぺ返しを受けることも無く、エグザベ君や
ソドンのメンバーに最終的には受け入れられ、最終回まで明かされなかった
目的を達成します。
シャアやキシリアでさえ、シャリアに利用された格好になります。
一方マチュやニャアンは現状に反旗を翻しますが、結局シャリアに利用
されたことにも気づかないまま、矛を収め、学校や家庭に戻っていきます。

ガンダムの類型とは逆で、悪が勝利し、善が敗北します。

考えてみればジークアクスは、「ジオンが戦争に勝利する物語」でした。
国力30倍の地球連邦と、正々堂々戦うことは勧められないでしょう(笑)。
むしろ積極的にチートを肯定し、利用しないと勝てない。
チートを勧め、正直者を懲らしめ、ジオンを勝利に導くのがジクワという
物語です。

不正や他人の不幸を放置できない善人のことを、一般的には「カモ」と
言います。
目的のためには、手段は正当化される。
目的のためには悪に徹するべし。
手段を選んでいるような馬鹿は、カモにして構わない。

「ずるい手を使う奴は、最終的には破滅する」というテレビ版ガンダムの
ような、勧善懲悪とは逆の価値観が、ジクワにはあったようです。
「目的を達成するために、一番巧妙に立ち回れた奴が、全てを手にする」
とでもいうか…。

↑3話では、ヴィラン(シュウジ)に赤面するマチュと、ヴィランに徹するゲンスルーを表紙に。
【冨樫義博】HUNTER×HUNTER モノクロ版 15 位置No70より。
ゲンスルーを地で行くシャリア中佐。

HUNTER×HUNTERのゲンスルーは、ゲーム勝利のために手段を選ばない
ヤバい男です。
ゲンスルー自身、ライバルをビビらせるためにイカレた男を演じている。
そんなゲンスルーは、主人公ゴンにボコられ改心します。
しかしジクワ版ゲンスルーであるシャリアは、主人公マチュを利用し
ゲームに勝利します。
少年漫画や、子供も観るアニメに通底している、まっとうな勧善懲悪が、
ジクワでは通底しない。
デスノートでさえ、ヴィランである夜神月が新世界の神になったりは
しなかったのに。

主人公マチュは、目的のために手段を選ばない、人妻を殺したりもする
シュウジを叱るどころか、「私もそこまでしないとシュウジに近づけない
んだ…」と自分もヴィランになろうと決意しますが、結局「利用する側」
にはなれませんでした。
でもこの表紙を作っている時の(2か月前の)僕は、いずれシャリア中佐が、
ゲンスルーのようにマチュにボコられると予想していたのです。
初代ガンダムや00との類推でそう考えたのですが、ジクワは実際は、
「ジオンが戦争に勝利する=善悪が逆さになる世界」でした。
「善いは悪い、悪いは善い。」
策を練って相手をハメた奴が勝ち。
そして先読み合戦では、木星での事故で未来の未来まで認知したシャリアが
シャアを上回った。
うーん。
まずガンダムシリーズというか、物語の基本は勧善懲悪だと前提した上で、
従ってジクワもこうなるだろう、と予想したのですが、
ジクワはいわば、勧悪懲善アニメだったようですね(笑)
(シュウジやシャリアのようになってはいけない、ではなく、シュウジや
シャリアのようにならなきゃ勝てないよ?と観客に勧めるアニメ)

手段を選ばないチート主人公(ヴィラン)がそのまま勝ち切る、というのが、
最近はむしろトレンドなのかもしれません。

「目的のために手段を選ばないシャリアの行動が、巡り巡って警察ザクに、
ニャアンら不法移民の住居を破壊させた」のであれば、
若気の至りで今は、目の前の悪しか見えないマチュもいずれ、
本当の元凶に気づいて殴りにいくはず…と思っていた。
しかし最終回を迎えた今、マチュが「ヒドい…」と感じた元凶である
シャリアの行動こそ、この物語では正解だったことになる。
マチュも警察ザクの人も、仲間想いで視野の狭い馬鹿、として
シャリアと対比させるのが、1話の演出意図だったということか?

さて、七千字と少し長くなってしまいましたが、3話分まで終わったので、
第2回はここで締めましょう!

まとめると、振り返り第一回では「主人公」と「普通の人」を定義し、
2回目の今回は、「主人公=善」と「悪」を定義した上で、ガンダムが
勧善懲悪アニメである理由を、ニュータイプの物語的役割を踏まえつつ、
説明しました。
翻ってジクワは「ジオンが戦争に勝つ話」であり、勧悪懲善アニメで
あった、という結論が得られましたね。

ここまで構造のお話ばかりで、キャラやモビルスーツといった萌え要素に
一切言及してないところが僕らしいというか…(笑)。
でも骨組みをきちんと押さえないと、デッサンが狂ったような考察記事に
なってしまうので…。
というわけで、また次回♪
Thank you for reading!

元記事リンク↓
ジークアクス1話感想追記:悪の不在:ジーンはどこ行った?初代ガンダム1話との比較:のりかな毎日エッセイ250415|のりかな

ガンダムは勧善懲悪アニメなのか?&先週の記事紹介4回目:のりかな毎日エッセイ250416|のりかな

ジークアクス2話感想:シャリアおじさんの身勝手な回想:のりかな毎日エッセイ250421|のりかな

ジークアクス3話感想:誰かと心がつながる歓び、キラキラは非合法?:のりかな毎日エッセイ250428|のりかな

あと、ジークアクス本編はアベマで!
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興味のある方はこの機会にぜひ!

ではまた♪

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