ジークアクス感想批評③もっぐ氏編最終回!「正しさより共感」という普通:のりかな毎日エッセイ250611
2025年6月11日、21時32分。
この記事は、昨日、ジクワ9話の感想記事を投稿する前に書き上げておいた
ものだけど、今から少し、というか大幅に編集してから投稿しようと思う。
:
ジークアクス9話振り返り&考察:推し活沼偽ララアお姉さまの意地!本物は眠り姫:のりかな毎日エッセイ250610|のりかな

少しもっぐ氏の記事に似てる気がする…。
考察する時間が無かったせいもあるけど…。
僕は普段、週に何回かエッセイを投稿していて、最近はガンダムシリーズの
最新作の感想をおもに、投稿している。
僕以外にも、ジークアクスの感想を毎週、noteやyoutubeといったSNS上に
投稿している人はたくさんいる様子だ。
今期アニメの注目株であり、ガンダムシリーズの最新作でもあるから
だろう。
エヴァのファンも注目しているのかもしれない。
その辺の事情はあまり興味が無い。
とはいえ、視聴する人が多いから、
感想を書きたい人も多くなるのだろう。
中には、ガンダムにも特に興味が無かったのに、注目度を目当てに
一夜漬けでオタ情報を仕込んで、感想記事を書く人もいる。
とはいえ、SNS上に挙げられた感想記事の多くは、殆ど読まれないようだ。
:
一部の作者の記事がランキング表示の上位を独占していて、新着記事の
多くは認知もされないまま、他の新着記事の山に埋もれていく。
人気の記事は、その人気に似合うだけの内容があるのだろうか?
という疑問は、誰もが抱くところだろう。
例えば、アクセスランキングには一般に、以下のような弊害があると
言われている。
↓

スキ数と閲覧数が高い記事が、それによってランキングの見やすい位置に表示される。
さらに、スキ数が高いことで、「みんなが評価している作品ならハズレは無いだろう」
とタイパ的な安心も与えるため、一層、読まれることになる。
ページランキングの弊害の始まりは、ラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン
氏がGoogleの検索システム、その名も「ページランク」を開発した時点に
遡る、と僕は思う。専門でないので分からないけど。

両氏は、googleのページ検索の並び順を決めた。
これを「弊害」ととらえず、「なるほどこうすれば記事の閲覧数を稼げる
のか!」と積極的にライフハックに利用する人も、いるだろう。
それを批判したいのでは無い。
そういう態度は今日、わりと「普通」のことだと思うし。
(普通というのは、正しいという意味ではなく、皆やってる、という意味だ)
:
ちなみに上記の記事では、「ランキングを相対化するリテラシー」と題した
最終章で、以下のような自衛策を提案している。
↓

オルタナティブな検索エンジンなんて誰も知らないし…。
とはいえ現実的な対処方法とは、正直思えない。
情報の正確性を検証するため、ランク下位まで確認したり、別のメディアで
裏取りする時間がどこにあるのか?
そもそも普通の読者は、ジークアクスの感想に「情報の正確性」など
求めているのだろうか?
:
僕は無意識に、人気の記事は新しい発見や考察が含まれている記事で、
作者なりにその根拠づけも為されている記事だと、考えてしまう。
(根拠のない意見とは、私(たち)がそう思ったから正しい、という意見だ)
そうでないと不公平だ、と思ってしまう。
しかし普通の読者は、そんな「正しい記事」に興味があるのだろうか?
例えば人気の記事を、「この記事は不正確だ!」と非難したところで、
普通の読者は、「だから何?」と思うのではないか?
だからそのような批判は、たいして力を持たない。
:
ポピュリストの言説は、私たちと同じだ!という共感で支持されている
のであって、正しさをファクトチェックして論破しても無意味なのだ。
:
ページランキングを上げる小技が、第一のライフハックだとすると、
しかしそれだけでは、記事の表示位置は上がらないことが分かる。
「もともとある程度人気の記事」が、ページランクのハックによって
いっそう、ランキングの上位位置を獲得していくのだから。
「もともとある程度人気」になるところに、第二のハックが潜んでいる
はずだ。
その小技を、人気の記事から盗めれば、僕の記事の閲覧数も増やせる
かもしれない。
それは多分、「正確な記事をつくる」ことではない気がしている。
:
この記事の目的は、スキ数117と人気一位の、もっぐ氏の感想記事を
非難して、人気者に対して皆で石を投げることでは、無い。
そんなことをしても、一時的に気分が良くなるだけで、何も改善しない。
しかし誰のことも批判しないつもりではないので、批判が嫌いな
読者の方はお帰り頂くことをお薦めする。
もし批判することがあるとすれば、批判を悪者にし、誰も批判の重荷を
背負わなくなった風潮を僕は、まず批判するだろう。
:
…なんかやけに堅苦しい文体になってしまった。もとの文章は
もう少しお茶らけてたんだけどな…。

ジークアクス第8話感想・考察『月に墜(堕)ちる』最速レビュー|衝撃のジークアクス〇〇機!?と新たな謎の話|もっぐ@ジークアクスの人
というわけで、もっぐ氏の上の記事↑を読んで、僕の8話感想記事と比較して
みました!
既に前後編合わせて一万字くらい書いたけど、それらを先に読んできてね♪
とお願いするのも鬼畜な気がするので、以下、要約していきます!
↓
【前後編要約】
問い:もっぐ氏の人気記事と僕の記事の大きな差異はどこか?
→「人気」を「noteに来るジクワ視聴者の多数派の支持」と言い換える
と、僕=少数派と、多数派の人々のジクワ視聴の視点の違いも明らかに
なるかもしれない!
:
もっぐ氏の記事の、僕から見た特異性は、記事内の以下の画像に
表れている。
↓

この画像の何が驚きかというと…。
約一万字ある記事の冒頭に目次があり、22項目のどこにでもジャンプ
できるリンクが埋め込まれている。
「どこから読んでも良い」のだ。
しかし、物語であれば「どこから読んでも良い」ことなどありえない。
ジークアクスを1話から読まずに、5話からでも何話からでも読んでいい、
ということなど普通、ありえないはず。
僕が一万字の感想記事を書くとしても、冒頭から読むように指定する。
従って、もっぐ氏の感想記事は「物語」ではないことが分かる。
では何なのか?

「データベース消費」とは、批評家の東浩紀氏が2000年代に
提唱した概念であり、「物語消費」との対概念となっている。
物語とデータベースの違いは、項目ごとを繋ぐ因果関係、接続詞が強いか
弱いか、にある。
接続詞がほとんど意識されず、繋がれている「構成要素」に観客の興味が
集中していくのが、「物語消費」から「データベース消費」への
時代的な推移だ。今日のコンテンツ消費者は、ほぼデータベース消費に
移行している。
とはいえ僕が今回驚いたのは、東氏がかつて、物語消費者の代表例とした
ガノタですら、今やデータベース的に新作ガンダムを消費している!
…というのも、もっぐ氏の記事の人気は、その形式も物語的でなく、
内容も「物語」に殆ど言及していないことによると、考えたためだ。
:
データベース消費とは、「キャラ萌え」とも言い替えられる。

上のような電子辞書のデータベースを例にとると、
「運航」や「運座」という項目どうしは、「う行の単語」
という以外につながりを持たないので、どこから
読み始めても構わない。
これが物語であれば、時系列順に、「繧繝」から
読み始めなければ、ストーリーが分からなくなってしまうだろう。
ストーリー漫画の単行本を、一巻から読み始めないといけないのと同じことだ。
もっぐ氏の記事は、22項目のどこから読んでもいいので物語ではない。
記事の読者は、自分の興味のある要素を選んで、データベース的に消費
していることになる。一万字を頭から全部読んでいるわけではないし、
その必要もない。キャラ萌えの人はキャラの、メカ萌えの人はメカの
感想の項目に、いきなりジャンプできる。
データベース消費に慣れると、物語を読解する能力は低下する恐れがある。
長い物語の因果関係を把握しきれず、今この瞬間、画面に映っているもの
だけでしか、状況やキャラの心情を想像できなくなる。
そのためキャラや状況の読解はいびつになるが、データベース消費者が
多数派を占めてしまうと、少数派からの指摘は「少数派=間違っている」
として、相手にされなくなる。
物語をまだ読解できる人は少数の上、彼らの書く文章も物語形式のため、
物語が読めない人々からは敬遠されるか誤解を受けることになる…。

自分たちの意見が間違っている可能性を、
私は多数派だから安心♪と切り捨ててしまう。
多数派となった「普通の人たち」がその意見を
見直すのは、本当に困難なのだ。
…というわけで超要約終わり。ふう。
これをさらに超超要約しよう。
もっぐ氏と僕はまず、以下の認識を共有していると考えられる。
「記事を物語形式で書いても、読解できず読みづらいと低評価を受ける
ことになる。ガノタとはいえ、その多数派は今や、物語よりキャラやメカに
関心があるのだ。」
だから、
「非物語の形式と、内容に合わせていく」
というのがもっぐ氏のライフハックだと思う。
「いやその風潮に加担したらアカンやろ、キャラ萌えばっかでどんどん
物語が読めない日本人が増えてくで!」
と説教臭いことを言っているのが僕だ。
つまり認識は同じだけど、対応が違う。
そしてこの先どんどん、物語が読めない人が増えて多数派になれば、
むしろ「多数派=正しい、安心♪」になって、
指摘する側が「少数派=間違っている」になる。
すると二重のライフハックが作動して、ランキングの地下深くに…。
そんな反対意見があるとすら認識されなくなる。
なので勝ち目のない戦いなのだ。
ガンダムWで言うところの、負け続ける戦い、ということになる。
それはそれで、ロマンがあっていいけど、
ロマンのために自己満足で続けている、だけになる。
:
というわけで、もっぐ氏の対応が合理的に考えて正しいし、
氏が対応を変えたところで、別の誰か、大守アロイ氏あたりが
人気の一位をかっさらうだけだろう。
というわけで僕の文章は、書き続ける意味がなくなった。
もう辞めるか。
:
氏の読みを批判した文章は大幅カットすることにして、
もう少し続けることにしようか。
そんなことしても、もともと氏の人気に嫉妬してる人が溜飲を下げる
だけだろうし。
三千字くらい削れるはず。
長いと読まれないからね。
:
でも書かずに勿体ぶるのもズルい気がするので、なるべく短く
要約しよう。
氏の記事の22の項目のうち、「マチュの活躍」だけに絞って分析する。

「やってる事」とは、
①主人公なのに一話まるまる登場しない
②主人公なのにソドンから脱出したりする
のどちらか或いは両方、だとすると、もっぐ氏はそれを
「アウトロ-過ぎて怖い」、好感度を下げる行為と考えている。
それは伝わってくる。
でもそれを、「監督はマチュが嫌いなのですかね⁉」と直接
つなげることはできないはずだ。
もっぐ氏はネガティブに捉えていても、監督や他の視聴者は、
①②を「マチュカッコいい!」と思っている可能性だって
あるのだし。
監督や、視聴者みんなが①②に対し、自分と同じ考え方しかしない
はずだ、と考えるところに、僕との違いがある気がした。
少数派の僕のような人はすぐに、「でも多数派はこう考えるかも…」と
卑下して、自分の意見を理屈で弁護しようとする気がする。
普通の人、多数派は逆に、自分以外のいろんな意見がある、と想像
しない傾向があるのではないか?
マイノリティをそもそも意識しないというか…。
もし多数派であるもっぐ氏たちの大きな声が通ったら、マチュがキャラ変
してしまい、それを残念に思う人たちもいるかもしれない。
少なくとも僕は残念に思うし、もっぐ氏たちを恨むだろう。
僕たちが「居る」ということを、まずは知ってもらいたいと思う。
:
氏の記事は以下のように続く。
↓

私たち多数派の意見を無視すると、どんどんサジェスト汚染しちゃうよ?
という監督への圧力を僕は、この文章に感じた。
僕の偏見かもしれないけど、氏と意見の違う少数派にも、今のマチュの演出
が好きな人達へも、圧力になっていると感じる。
少数派にはサジェスト汚染なんてできないし。
「いや私じゃなくて、私の友達がね?あんたのこと殴るかもしれない
から、私たちの言うとおりにしておいた方がいいよ?」
という意味でしょう?
そして実際に、鶴巻監督がネットの大きな声に耐えられず、自分の演出を
貫けなくならないかと、僕は危惧している。
なぜ理由も説明せず、自分たちの感覚を正しいと信じられるのだろう。
ただ数が多いというだけなのに。
自分に理解出来ないものを、あたかもその作り手側に罪があるかのように、
「意味不明」と切り捨てることができるのは、なぜなのか?
マチュは監督に愛されてると、僕は思うけどなあ…。
転落と挫折は、主人公が受ける試練、恩寵だと思うし。
:
「ニャアンとの待遇の対比に悲しみを覚えますね。」
という文章も気になる…。
ニャアンは良い待遇で、マチュは悪い待遇だと、氏は思っているようだ。
一話出なかっただけで悪待遇ということか?
それとも、
「マチュは暗い牢獄に閉じ込められているから悪い待遇」
「ニャアンはスカラーシップだし天井高いし豪華ディナーだから良い待遇」
ということだろうか?
それこそ目の前の「画面」の見た目にとらわれ過ぎてないか?
マチュが暗い表情をしているのは、この牢屋寒くてやだな…とか考えてる
訳ではないと思うけど。
前話で起きたいろんなことを考えているか、吹っ切れて脱出の算段を
考えているのか。牢獄はマチュの暗い心と孤独さの表現だと思う。
このあと地球に行くわけだし、マチュが「悪い待遇」とは思わないけど。
むしろ逆だと思う。
画面だけ観れば、ニャアンの待遇はキラキラしているけど、ニャアンの
表情は終始暗いし、用意された待遇も、いわば月の裏側の研究施設という
かごの中に閉じ込められた小鳥が、餌付けされてるだけだと思う。
ニャアン自身も悲観的な人だから、そのことに気づいているし、
ジフレドのパイロットとして、実験体として、悪魔にされてしまう
この先のニャアンの待遇がどうして、好待遇と思ってしまうのか?
自分が毒殺されるかもしれないと知っても驚かずに、
「私、(やっぱ)殺されちゃいます…?」と淡々と聞く、そんな絶望しきった
ニャアンの気持ちにこそ、悲しみを覚えた方がいいと思う…。
:
とはいえ、「悲しみを覚えた方がいいと思う」と言ったところで、
人の感想はそれぞれだし、もっぐ氏や氏のフォロワーは実際に、
ニャアンは好待遇だと思ったんだから、それは真実なんだろう。
監督の説明不足なんだ!それか全部、「データベース消費」の
悪影響のせいなんだ!
だから皆さんは何も悪くないのです…。
僕の感覚が今や、少数派で異常なんだろう。
:

記事の最後に、SNSでの大きな声を列挙して、
「私と一緒のリアクションで安心しました」と書いているのは、
本当にすごいと思いました…。
「私の意見は多数派です正しいです」と伝える意図か。
AI vs. 教科書が読めない子どもたち | 紀子, 新井 |本 | 通販 | Amazon
↑
この本の中で、例えば以下のような例文が出てくる。
[問2]
次の文を読みなさい。
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
Alexandraの愛称は( )である。
①Alex ②Alexander ③男性 ④女性
(新井 紀子. AI vs. 教科書が読めない子どもたち (p.163). 東洋経済新報社. Kindle 版.)
:
この四択問題の正解は①だ。
皆さんは正解できただろうか。
正解できた人は「間違っている」ことになる。
なぜなら①を選んだ人は少数派だからだ。
多数派である④を選んだ人が、これからの世界では「正しい」ことになる。
「皆さんと一緒のリアクションで安心しました。」

中学生235名のうち、38%が①を、39%が④を選んでいる。
中1で見ると、①を選んだ人は23%と低下し、④が49%にまで上昇する。
この読解力の低下もまた、物語消費からデータベース消費への
関心の移行と関係しているのだろうか?
できれば「安心」しないで欲しいのだけど…。
そしてもし、SNSの多数派と違う意見を思いついてしまったとしても、
忖度してその意見を消去して「安心」せずに、「これちょっと異端かも…」
という意見も自分なりに説得する理屈を考えて押し出して欲しいと、
個人的には思います。
考えるのは時間と労力の無駄だし、その割に異見は多数派の反感を生んで
スキ数を単に下げるだけだけど、僕の評価が少し上がります。
それだけしかメリットはないので、やらなくてもいいです。
やっても何一つ個人的には得しないことだから、やってる人は偉いと
僕は思います。
:
最後に、もっぐ氏の(8話の)記事が多数派の、つまり普通の読者から
共感を得られている、3つの理由を僕なりに推理してまとめたので
整理しておこう。
:
一つ目は、先述のように、記事自体がデータベース的であることだ。
もしこれが一万字の「物語」になっていたら、データベース消費に慣れ、
読解力の低下した普通の読者の多くは、因果関係を途中で読み間違えるか、
わけわからなくなって脱落する。
そして「読みにくい!」とマイナス評価を付けるだろう。
:
二つ目は、記事の内容自体も、キャラやメカといった「要素」への興味で
占められていること。これも先述の通り。
もっぐ氏自身もそのフォロワーも、点と点を結ぶ「線」に対する興味は
薄いし、従ってその興味は「点」に向かう。
僕の感想記事は9割がた、物語つまり線の読み解きに使われている。
従って興味を持たれない。
とはいえ、画面に近づきすぎて「木を見て森を見ず」になっていないか
と、僕は懸念している。
最近は、細かい些事に注目するのがアニメ視聴者のトレンドというか、
風潮になってないだろうか?

両さんもこう言ってるよ!画面から離れて観よう♪
:
さて三つ目は、もっぐ氏の感想記事が、「感想以前」であることだ。
どういうことか。
:
感想とは、過去だと思う。
ジクワを「観た」感想であって、観終わった後に、記憶を振り返って
書いていくものだし、その過程で、因果関係が整理されてバラバラの
記憶が、その人なりの物語になっていく。
だから人によって感想には、差異が生じる。
考察や批評になるとますます、個人の経験が加わるから、差異が
広がってしまう。つまり共感できる人が限定される。
例えば上の画面は、こち亀を知らない人には共感を得にくいだろう。
僕の記事は感想より批評側なので、共感を得られにくく、スキが付きにくいのかもしれない。
対してもっぐ氏の感想記事は、ジクワを「観た」ではなく、「観ている」
最中の感想のように思える。
だから感想「以前」と書いた。
リアルタイムで画面を観ながら思わず出たつぶやきを、観終わってから
整理した文章だと、僕には感じられた。
つまりツイートだ。
ツイッターの語源は鳥のさえずりとか、つぶやきという意味の
「tweet」らしい。

或いはアニメ実況板への書き込みに近い印象だ。
どちらも「観てから」でなく、「観ながら」発するものだ。
ジクワのテレビ画面を観ながら、思わず、「おおー…」とか、
「あ、死んだ⁉」とか、「新機体出た!」とか口に出ちゃう感じ。
「これって鍵穴?エヴァのネブカドネザルの鍵?みたいな?まさかね?」
とか、「これジフレドの正式名ってジオングなんじゃね?」みたいなのも、
まじめな主張というよりは、観ながら頭に浮かんだ連想をつぶやいた
ものなのでは、と思う。
だからまじめに批判してもしょうがない。
その場のノリでワイワイ盛り上がっているような一体感を、読者に
与えることの方が、ファクトチェックした正解を書くより正しいのだから。
批評よりも感想、感想よりもつぶやきの方が個人間の差異が少なく、
共感を得られやすいのではないか?
:
とはいえそれが簡単かというと、そんなことは無いと思う。
同じようにリアクションをそのまま書き込んでも、それが平均人の、
多数派の生理的な感覚に合っていないと反感を呼んでしまうから、
たぶん僕にはまねできない。
多数派の中の多数派、つまり「普通オブ普通」だから、
スキを得られているのだと思う。

「さよなら絶望先生」より日塔奈美。
今の時代、「人並み」は最強の資質かも知れない。
多数派の中の多数派は、ごく少数に限られる。
意味不明かもしれないが、以下のようなロングテールのグラフを
イメージすれば理解いただけるのではないか。

上級国民云々は引用記事に元から書いてあったものなので無視し、
X軸を富でなく普通度に置き換えてみよう。
X軸を左に行くほど普通度は高くなり、人気を得られる。
もっぐ氏は今、X軸の左端にいるけど、右に一個ずれただけで、
人気は半分になってしまうことが、イメージできると思う。
針の上に立ってるようなものだ。
人気上位を9話分、9回も続けているもっぐ氏の才能と、
感じているプレッシャーが伝わってこないだろうか。
何が普通かなんてわからないのに、少しでも異端なことを書くと
途端に、閲覧数とスキ数が下がってしまうのだ。
(ロバスト性があるからそこまで急激に変化しないだろうけど。)
普通のはずなのに、多数派のはずなのに、人気のはずなのに、
なんて孤独なのか…。
ぜひ12回目まで、成功させ続けて欲しい。
…セカンドシーズンもあるかもだけど。
そろそろ締めよう。
僕ともっぐ氏の記事の違いがいろいろと明確になったけど、
とてもじゃないけど真似できそうにないね!
やっぱ僕は普通じゃないし。ロングテールの右端を目指そう!
(それじゃ共感者0か…)
:
ロングテールの左端を目指そうという果敢な読者のためにまとめておくと、
普通の、データベース消費に慣れた多数派の読者にウケる感想記事を書く
ためのポイントは3つ!
①記事に因果関係を持ち込まず、データベース的に羅列的につくること。
②物語には言及せず、キャラやメカといった「萌え要素」に着目すること。
③画面を観ながら、なるべく思いついたままのつぶやきをメモすること。
つぶやきは自己批判とかせず、全肯定した上で、画面を隅々まで探して
その「証拠」を集めるとなお良い。ただしつぶやきの感性が普通とずれて
いると大ゴケするので、天性の才能を要する。
:
うーん、結局③の才能が全てな気がする。
僕は8話以前の記事を見れてないけど、リンク付きグラフとかは最初から
やってたとは思えないし、①②は副次的なものかも。
僕はさっき、もっぐ氏なりの独自な意見を、多数派に忖度せずに書いて
欲しいと言ったけど、もっぐ氏の才能は、普通じゃないことを言ったつもり
でもそれも、SNS上のよくある「とっぴな意見」になってしまうのかも…。
「マチュの正体はハマーン⁉」みたいな、バズってる突飛な意見。
変なこと書いたつもりでも、それが「みんな」にウケてしまう。
なら、今のままでいいのかも…。
そして、生半可な「普通度」の人が、ロングテールの左端のレッド
オーシャンに挑んでも、もっぐ氏のような人には勝てないと思うので、
無理して「普通のこと」を書こうとしない方がいいと思います!
オンリーワンを目指そう!
:
僕の意見が共感されないのは、あれこれ考えているうちに
もっぐ氏や読者への意見が二転三転するせいかも。
「結局お前はどっちの味方だ!」っていうね。
「答えが出る」ということは、思考停止することだと思う。
「もうこれでいい」と諦めないことを、求めていきたい。
でももう一万字だから、とりあえず締めよう。
諦めるんじゃなくて、締めるよ!
ではまた来週♪
:
Thank you for reading!
(あと考える機会をくれた、もっぐ氏に感謝!)
