マチュ=ハマーン説、或いは地下室人について:自己紹介:のりかな突発251029
2025年10月28日、3時44分。
さて皆さん、こんにちは!
のりかなです♪
というわけで、まずは地下室人について。
:
地下室の手記 (新潮文庫) | ドストエフスキー, 卓, 江川 |本 | 通販 | Amazon

僕とドストエフスキーとの出会いは、大学時代にまで遡ります。
確か、大学の生協で、「カラマーゾフの兄弟」を買って大ハマりしたのが
最初だったか…。
もっと遡ると、中学の読書感想文で、父の書棚にあった「罪と罰」を
選んだものの、夏休みが終わってそれきりになった記憶があります(笑)
(読書感想文も出さなかったような…)
:
その後、大学時代に再び書棚の罪と罰をコッソリ持ち出して、読み直したら
デスノートより数段面白くないかこれ⁉と驚愕。
Amazon.co.jp: DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス) : 小畑 健, 大場 つぐみ: 本

しかしそれらを越え、読み返すたびに発見がある名作…。
父の書棚には戻さず、今も手元にあります(笑))
デスノートの元ネタというか、いろんな作品の元ネタになっている。
それは当然なんだけど、「最新のものこそ面白い、優れている」という
先入観が崩れた、きっかけの一つになったと思います。
(なんで面白いのだろう…?)
:
その後、大学の卒業研究そっちのけで、昼間は学食でドストエフスキー
作品を大体読破し、岩波文庫や日本の古典、漱石や太宰、三島、賢治
等々も勿論耽溺したわけですが…。
それ以来、本を読みながら(今ではkindleを読みながら)食事する習慣が
身に付きました。
(代わりにテレビを見なくなりました。この話はのりかなエッセイでも
触れましたね♪)
:
ガノタだった僕はアニメや漫画にもハマったわけですが、
「必ずしも最新の絵柄やCGを使った作品の方が面白いわけではない」
と、少なくとも「僕みたいなタイプ」には感じられると分かりました。
さて、
:
「僕みたいなタイプ」とは?
僕みたいなタイプ、というのは、いわゆるオタクのことだと思って
いました。
読書オタク、漫画オタク、アニメオタク、ガンダムオタク(ガノタ)…。
或いは鉄オタや登山家、街宣右翼や左翼も求道的で、籠っている
感じがする。
こういう世間から隔絶した独自の世界を持つ人のことを、オタクと
言うのだろう。
その価値観を守るために、独自の理論武装をしている人々。
「僕みたいなタイプ」も、この領域のことを言うのではないか?
:
だから履歴書の趣味の欄に、読書とかガノタとか書けばそれは、
オタクの代名詞になり、僕という人間を一言で理解してもらえるだろう。
なので僕は、noteやXのプロフィール欄にも、ガノタとか読書好き
などとこまごま書いてきましたが、どうもしっくりこない。
その原因はなんでしょうか?
:
登山を例に出すと、最近ではゆるキャンとか言って、普通の人が
比較的難易度の低い山とかキャンプ場に大挙して押し寄せ、全然孤独でも、
求道的でもないし、グランピングとか言ってテントすら立てない。

いや、ゆるキャンは、いいぞ。
しかし個人的には、ヤマノススメのほうが鬼畜な山に挑戦していてスキかも(笑)

まあ言うてもニワカなんですが。
因みに登山漫画で一番スキなのはこれです!↓
Amazon.co.jp: 神々の山嶺 1 (集英社文庫(コミック版)) : 谷口 ジロー, 夢枕 獏: 本

しかしやはり、一番のお気に入りは谷口ジローにまで
遡らないといけないわけで…。
ゆるキャン△とかは脳みそが疲れているときに、緩く読むのに最適だけど、
でも最近、そういう漫画ばかりでは?
:
登山だけでなく、漫画もアニメも「緩く」なってしまった。
ゲームも緩くなった結果、みんなゲームをせず、「ゲーム実況を見る」
ようになり、読書も読書紹介とか、3分で分かる名著、みたいな動画を
ネットで見て代用している人々…。
ガンダムを観ずに、ガンダムの記事やショート動画を見る自称ガノタ、
或いは最新ジークアクスも、作品自体より、「マチュ=ハマーン説?」
みたいなyoutube動画の方が観られている…かどうかは不明ですが。

「作品観てないけど、マチュって子がハマーンなんでしょ?」
みたいなXのコメントの方が本編の視聴者数より多いのではないか?
と疑っています(^^;)。
夏目漱石の小説の読者より、「3分で分かる名著」のyoutube動画の
漱石回の視聴者数の方が多く、そして、Xで「漱石」と呟いた
コメの方がその何十倍も多いとしたら…。
みんな「漱石」は知ってるけど、「漱石」を実際読んだ人は少数派で、
多数派の「読んでない人」の間で共有された「漱石イメージ」の方が、
例えフェイクであっても、正解になってしまう。
Xの有力インフルエンサーの漱石コメの方が、漱石を読んだ読者の
感想より圧倒的に影響力が強く、たとえそのコメが、
「マチュってハマーンじゃね?」的なデマでも、皆信じてしまう。
:
この問題は、これまでの僕の文章で度々言及してきたことですね!
僕は最近、自分を人に説明するときに、ガノタだとか、読書好きだと言って
伝わるのだろうか、疑問に思うようになりました。
最近流入してきたいわゆる「ガンダム好き」の人々との乖離を、特に
強く感じています。
普通の人々が、マイナーホビーにも進出してくるようになり、手軽に
「本好き」とか「ガンダム好き」を名乗ってキャラを獲得しようとする。
地元の鉄道に乗り、動画を撮って「私も鉄道オタデビューしました♪」
みたいな軽さ。古参の鉄道オタとのギャップ。
鉄道好きを人生にしている人々とのギャップ…。
(そしてそういう重い人たちこそ、敬遠されます。)
僕は鉄オタ知識ゼロのガノタですが、「ガンダム好き」な人々よりむしろ、
全然無知なはずの古参鉄道オタの方々にこそ、シンパシーを感じてしまう。
だとすれば、僕たちとは?
「僕みたいなタイプ」と何なのでしょうか??
今や、「僕みたいなタイプ」でない人も、本を読み、ガンダム好きを公言
し、鉄道好きを名乗り、彼らの方が多数派になっている以上、
単に「本好き」と名乗るだけでは説明が不十分です。
「僕みたいなタイプ」でない普通の本好きと、混同されてしまうから。
:
そもそも、マイナーホビーだった読書とか、ガノタとか、鉄オタの世界に普通の人が流入するようになったのは何故なのか?
経済的には、マイナー変わり者は少数だし、普通の人の方が多数だから、
より多くの人を相手にした方が、売上を何倍にもできます。
よって「普通の人向け」に作品内容をシフトした方が正解になる。
結果、普通の人々に愉しみやすい作品が増えた。つまり、
「容易で、安全で、分かりやすい」ものです。
作品だけでなく、レジャーの楽しみ方もそうなった。
その結果、普通の人が取っ付きにくいイメージが払拭され、入ってくる
ようになった。
「難解で取っ付きにくく、危険で、分かりにくい」作品や趣味は、
むしろ「消費者に優しくない」と非難される傾向にあります。
:
(岡田斗司夫氏の言う「社会のホワイト化」や、東浩紀氏の言う
「動物化するポストモダン」を僕はこのように理解しています。)
:
「ホワイト化」や「動物化」というのは、難解で危ういものを避ける
普通の人々の言説が、XなどのSNSの普及により拡大した結果だと
考えます。
:
さて、「普通の人々」がマイナーホビーや言論の世界に大挙流入すると、
これまでそこにいた人々の声は少数派としてミュートされていき、
ますます「大きな声」が作り手側や、政策決定者にも影響を与える
ようになるでしょう。
作家は大勢の読者の、政治家は大勢の世論の声を無視できなくなり、
彼らにいっそう「媚びる」ようになる。
作品も政治もポピュリズム化していきます。
これが例えば、ガンダムの最新作ジークアクスに対する、一部のガノタの
ヘイトにもつながってくるのでしょう(主に古参ガノタ)。
ちなみに、記事の埋め込み↑については、しもまゆ氏の記事↓を参考に
しました(前回フィギュアスケート_ITさん(Fさん)にコメで教わりました)。
たぶんこれで、引用記事の書き手にも通知が行くはず。
さて、宇野氏のジークアクス最終回直後の「雑感」を僕なりに要約すると、
「設定いじりに耽溺し、抜け出せなくなったオタクおじさんたちが、
その現状を破壊し救済してくれる純粋な少女マチュに期待する物語」
を志向しながら、結局それすらも実現できなかった失敗作。
ということになる。
オタクが自分たちの問題に向き合わず、都合の良い「純粋な少女」が救済
してくれると期待するのはゴマカシだ、思考停止だ、という批判自体は
90年代から盛んに行われてきたし、宇野氏自身もそういう物語を
非難している。しかし、そういう物語に「すら」ならなかった。
↓
いや、そう機能するはずだったのかもしれないし、詳細に見れば確かにそう描かれてもいるのだけれど、それ以前におじさんたちの物語(設定いじり)が前面化しすぎていて、物量的(尺的)に前面化しなかったのだ。
実際に、ほとんどのこの作品の視聴者は、僕が今書いているような物語の解釈には相対的に興味は薄く、古谷徹や池田秀一が出演したこと、つまり「物語外」のことなどに興味があったはずで、明らかに制作陣もそちら(物語外の快楽)にウエイトを置いていたことも間違いないだろう。
(以上、宇野氏の記事より引用。)
僕は「ジークアクスを振り返る」の記事の中で、「シャリア中佐はマチュ
との一か月の間に改心したのだ」と書いたけど、確かにその物語は
「前面化」してないどころか、描かれてすらいなかった。
そんな物語の解釈には相対的に興味が薄い、ほとんどのこの作品の視聴者が
SNS上で騒いでいたのは、例えば「古谷徹や池田秀一が声優出演」したこと
だったりするし、作り手も彼らのウケにエネルギーと尺を割いていたの
だと、僕は振り返っている。
「僕みたいなタイプ」というよりは、「普通の人々」にウケるような
部分を大きくした結果、「シャリアとマチュの(都合の良い)物語」は
前面化しなかった。
だからむしろ、この作品は(普通の人々によって)バズったのだろう。
:
ところでここで一応、「普通の人々」のマチュ解釈に釘を刺しておきます。
(文体もですます調に戻します(笑))
ジークアクスの最終回のラストシーンで、マチュは心配する母親に
メールを送りますが、母親のスマホの待ち受け画面が母娘の写真に
変わっています。

青髪ということになりますね!
つまり、マチュのピンク髪は染めた色、ということになります。

だったからなんですね!納得♪
高校生になったマチュが髪を染め、ピアスも開け始めたのであれば、
母親が心配するのも当然ですね(笑)
さて、「マチュ=ハマーン説」の根拠はといえば、
・どっちもピンク髪!
・ハマーン様といえば純白のキュベレイだけど、
マチュのパイロットスーツも白!(意味不明…)
・年齢が近い!(同じではない)
・どっちも性格がキツイ!ジト目!(??)
といった印象論ばかり。
なぜこれを、当時のネット民は信じられたのでしょう?
:
最も印象の強い「ピンク髪」を、鶴巻監督は最終回の最後の最後で
潰してきた格好になります。

ロリハマーン様カワイイ♪
じゃなくて(笑)、ハマーン様の地毛はピンク色なんですね!
ということは、青髪のマチュと違うじゃん!
当時デマを拡散したnoteやyoutubeのインフルエンサーには訂正記事を
10億個くらい書いた後でアカウントを閉鎖してもらいたいものですが(笑)、
彼らは無視を決め込んでいます。
今は別の流行りに乗っかって、スキやいいねを集めているのでしょう。
マスゴミとか文春以下の倫理観だと僕は思うのですが…。
しかし作り手である鶴巻監督や、上記の画像に気づいた僕ら少数派の
影響力よりも、普通の人々に支持されるインフルエンサー様の声の
方が圧倒的に大きいので、今後も「マチュ=ハマーン説」は
生き残り続けるでしょう…。
(というか普通の人々は、ジークアクスなんてすっかり忘れているの
でしょうが…。)
:
「普通の人々」は、こういう自己批判の足りない浅はかな主張を、
数の力で「定説」にしてしまうから、危険なのです。
(僕の危機感とイライラが、これで納得頂けるかと思います。)
:
では、「僕みたいなタイプ」と彼ら、「普通の人々」との違いは何なのか?
:
自分の主張の正しさを、「皆もそうしてるから」と他者に依存するため、
責任感が希薄になるのでしょうか、普通の人々はスキ不正、
セルフスキやスキ賄賂も、「あの人たちもやってるから」と躊躇なく
始めてしまう気がします。
(とはいえ「僕みたいなタイプ」も、謎理論を展開した上で自分ルールで
セルフスキを自分に許したりはするでしょう…。
少なくとも彼らはそのルールを文章化できるので、批判できます。)
:
僕は長らく、「僕みたいなタイプ」を説明する言葉が思いつきません
でしたが、「地下室人」という言葉がピッタリだと、最近気づきました。
「地下室の手記」の主人公を、読書好きの間ではそう呼ぶようです。
はるか以前から、この言葉自体は知っていたはずですが…。
:
では、地下室人とは…?
(以下、下原康子さんの紹介文を引用します。)
shimohara.net/nitona/kiseki/chikashitsu.html
全編、この男の独白で、もっぱら自分のことばかりしゃべりまくっているのですが、この男がいかなる人物かとなると簡単ではありません。皮肉屋、逆説家、自意識過剰、御託屋、うぬぼれ屋、小心者。人好きがしない男のくせに友だちにあこがれる空想家。一言でいえば、おつきあいは遠慮したい、そういう人物です。しかしながら、私は似た人物に思い当りました。それが誰かといえば、「自分自身」なのでした。当時、二十歳のうら若き乙女が、この40才の引きこもり男を「私」と感じたのです。66才になった今読んでもやっぱり「私」と感じます。
:
皮肉屋、逆説家、自意識過剰、御託屋、うぬぼれ屋、小心者。
そして、「自分もそうだ」と共感してしまう人が、地下室人だと
言えますね。
:
僕は地下室人の批判的な視点を大切にしたいと思います。
:
さもなければ、世の中はそうだそうだのポピュリズムに覆われてしまう
でしょう。
ポピュリズムの熱狂に水を差す人は必要です。
:
彼らが(僕らが)ホワイト化や動物化によって、22世紀までに絶滅
しないよう、生き残れる場所を残したい。
というのが、今のところ僕が考えている目標です。
Fさんに前回指摘されたとおり、僕に少しでも関心を持ってくれた人々、
つまりスキやフォローをくれた人たちの記事を読んだり交流することを、
noteでは始めていきたい。
そして交流というのは、褒め合ったりする「社交」とは違います。
言うべきことを言わなければ、そんな関係は交流ではない。
:
(なので僕の記事への批判や意見は大歓迎です!)
:
というわけで僕は先日、アカウント名を「のりかな」から、
「のりかな@地下室人」に変えたと、そういうわけなのです♪
(この長い自分語りも地下室人的ですね(笑))
:
ちなみに「名前@属性」という形式は、
「もっぐ@ジークアクスの人」さんとか、
「toropogy@ガンダム好き」さんとか、
「フィギュアスケート_IT」さん等々の付け方から学びました♪
属性を名前に付ければ、同じ属性の方へのアピールになるし、
その属性の人種に関心がある人にも、興味を持って貰える。
:
そう、そして、この文章の最後に、僕は
とろぽじ氏に言わなければならないことがあります。
僕がこれまでの記事で、「A氏」としてきた方は、
このとろぽじ氏なのです。
僕の記事を「有料記事以外読んでいる」と仰っていたので、この記事も
読んでいるはずです。
(こうして記事を引用しておけば、通知が行くので確実でしょう。)
これまでの記事も読んだ上で、氏は未だに、スキ返しもセルフスキも
やめていない様子です。
ただ昨日、僕の記事にコメントしてくる直前でしょうか、全ての記事の
セルフスキを(念のため?)外した様子です。
僕も画像は取ってますし、noteの記録上も恐らく残っているでしょうが…。
スキ返しについては最悪、「見返りを求めたわけではない」と故意を否定
すれば立証は難しい、と踏んだのでしょうか、そのままになってました。
:
僕はあなたがガンダムについてどんな記事を書いても否定はしませんが、
これまでチートによって得た人気をいったんすべて捨てて、やり直した
方がいいと思います。
もちろん「不正」というわけでもありませんが…。
(でも不正でないから、悪くないと今もお考えなのであれば、
チートなしでもう一度ゼロからやり直すしかないでしょう?
そうすれば、チートをされる側の気持ちもきっと分かるでしょう。
というか、そうでもしないと分からないのでしょう?)

とぽろじさんの記事だけスキ数二桁になるのはやはり、変ですよ。
とぽろじさんの良心に期待します。
これまで(100%伝わっていたとは思いますが、)遠回しな書き方をしてたのが
良くなかったのかもしれません。
僕には命令する権利も、権力も影響力もないので無視するのも自由です。
理由についてはこれまでさんざん書いてきたので、くり返しません。
いちnoteユーザーの意見として、ご一考下さい。
:
できればジクワのラストのシャアのように、考え直して頂きたいです。
今日はKataさんからのコメントについて意見を書くつもりでしたが、
こちらを優先しましたので、次回に回します。
(kataさんすいませんがお待ちください!)
:
地下室人は「社交」や馴れ合いが嫌いです。
ではまた♪
