長篠の戦いの常識を疑う② 弓三千張でも良く無い?
アジャンクールの戦いでは、イングランド軍は長弓隊を用いてフランス軍騎兵を撃破しました。
アジャンクールの戦いと長篠の戦いは、火縄銃と弓という違いはあるものの、
「防御陣地を攻めた側が敗北した」
という共通点を持っています。
もしイングランドの長弓と戦国時代の肥後弓に大きな性能差がないとするならば、
「弓兵を三千人集中運用すれば、同じような結果になったのではないか?」
という疑問が浮かびます。
私は、もし弓兵三千人を集中運用できたならば、火縄銃ではなく弓でも同様の結果が得られた可能性があると考えています。
以下は、その仮説に基づく私見であることをお断りしておきます
弓は火縄銃と遜色のない有効射程を持ち、速射性ではむしろ大きく勝ります。
また、甲冑を着た兵士に対しても十分な殺傷能力があり、雨天への耐性も火縄銃より優れていました。
戦国時代の弓兵比率については、後北条氏の軍役帳から、
● 槍:約30〜45%
● 弓:約4〜12%
● 鉄砲:約5〜12%
と推定する研究もあります。
長篠の戦いにおける織田・徳川連合軍の兵力には諸説ありますが、
● 織田軍:約30,000人
● 徳川軍:約8,000人
合計約38,000人とすると、後北条氏とは事情が異なる可能性はあるものの、
火縄銃三千挺が集められたのであれば、弓三千張も不可能ではなかったかもしれません。
では、何故信長は弓ではなく火縄銃を集中運用したのでしょうか。
私は、弓には火縄銃では代替できない様々な任務があったからだと考えています。
例えば、
● 鉄砲隊の援護
● 槍隊の援護
● 騎馬隊の援護
● 小荷駄隊の護衛
などです。
これらの任務には機動性と速射性が求められ、火縄銃にはあまり向いていません。
その結果、弓兵は各部隊に必要とされ、分散配置されることになり、大規模な集中運用が難しかったのではないでしょうか。
一方、火縄銃は任務が比較的限定されていました。
信長は各部隊から火縄銃隊を抽出し、集中運用する事が可能だったのだったのでは無いでしょうか。
弓は戦国時代末期まで有力な兵器でした。
しかし各大名が火縄銃隊の増強に力を入れたのは、弓兵の養成には幼少期からの長期間の訓練が必要であり、さらに適性がなければ上達も難しかったからだと思います。
一方、火縄銃は訓練期間が比較的短く、大量配備もしやすい兵器でした。
実は長篠の戦いの本質は、火縄銃の性能そのものではなく、
「集中運用しやすい兵器を大量に集めた組織力」
にあったのかもしれません。
ヨーロッパでも、長弓から火器へと主力兵器が移り変わっていきます。
その理由もまた、兵器の性能だけではなく、組織と運用の問題だったように思います。
少し常識を疑ってみました😆
