長槍隊の使い方
戦国時代の足軽の武器である長槍は、集団戦術の発展とともに語られることが多い武器です。
長さは一般的に三間から三間半(約5.4~6.3m)。
信長は、さらに長い三間半から四間(約6.3~7.2m)の長槍を採用したともいわれています。
人間の心理として、相手とは少しでも距離を取りたいと思うものです。
それは今も昔も変わりません。
怖いですからね😱
また、長槍は比較的訓練が容易だったとも考えられます。
隊列を組み、号令に合わせて穂先を揃え、突き出したり打ち下ろしたりする訓練が中心だったでしょう。
何人かの熟練した基幹要員がいれば、残りは動員された農民や臨時雇いの兵でも十分に編成できたのではないでしょうか。
戦国時代の解説書では、長槍隊は隊列を組み、鉄砲隊や弓隊の援護を受けながら敵の長槍隊と戦ったとされています。
ここから先は、私の推論であることをお断りしておきます。
平場での会戦であれば、そのような戦い方だったのでしょう。
では、城攻めではどうだったのでしょうか。
城攻めでは長槍は邪魔になります。
狭い曲輪や、まして室内では使えません。
隊列も組めませんし、個々の戦闘力が高くない農兵では十分に力を発揮できません。
彼らは長槍を置き、小荷駄の補助や土塁・陣城の構築、さらには敵の堀や堀切を埋めるための木材や土の運搬などに従事していたのではないかと考えています。
一方、防御ではどうでしょうか。
城壁を乗り越えてくる敵兵を下から突くには、長槍は非常に有効だったと思われます。
木柵だけの城や陣地でも、柵や土塁の内側から槍を突き出せば、かなりの防御力を発揮したのではないでしょうか。
長篠の戦いで考えれば、武田兵は鉄砲や弓の攻撃をかいくぐり、逆茂木を越えた先で槍襖に直面します。
まさに死地だったでしょう。
私は、長槍隊は状況に応じて槍を鍬や鋤に持ち替え、土木作業にも従事していたと考えています。
人間は、状況に応じて最も柔軟に使える兵器だったのかもしれません。
戦国時代の「常識」を探る一つの仮説として、皆様のご意見をお聞かせいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします🙇
