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18.意気投合――あるいは、ジョーは冗談のジョ

(マズったか……?)

 フロントウィンドウ越しに、これから立ち向かうだろうソイツが目に飛び込んできたとき、柏木恵心は、目測を誤ったかもと、咄嗟に距離計に目をやった。距離は十分ある。空間的に余裕をもってアプローチできる。

 ホッと溜め息をついてから、じんわりと自分では認めたくない畏怖心いふしんのようなものが臓腑ぞうふから染み出すのを感じてしまった。

(めちゃ……デカいな……)

 いつも住んでいる街なんだから、デカくて当たり前だ。シャトルごとつっこめる大きさだ。どこか微妙にズレているというか、力がどこもかしこも素通りしているような高柳が、ぶつけようってしらっと言うのに騙されて、甘く見ていた自分に腹が立つ。高柳の脱力しきった見てくれと、敬愛する先輩ライダーの霧島飛竜が一目置くだけの器量とが、まだ柏木の中で噛み合ってない。うっかりしていると、類をみない男だということを失念してしまうほどに、長閑のどかな雰囲気の男。

 相対速度のせいで、ほとんど止まって見えるが、自分がミスって目標じゃなくて居住区にカスッたら大惨事だと思うと、ぞくぞくと震えが足裏から昇ってきた。

 ついさっきも、ザキさんに、凄い男だと受けあってしまってから、後悔していたのに。幼児の十歳違いは決定的だけど、大人になっちまえば、十歳くらい年が離れているカップルなんて、腐るほどいる。恋敵の株を吊り上げて、何やってんだろ、俺。

 柏木は力なく思った。ここ数年越しで、密かに想っている、あのザキさんを、なれなれしく抱き寄せて、キス……してた、厭なオヤジ。なのに、ザキさんときたら、いつもの痛快なストレートを打ち込むどころか、微笑わらってた。

 しかし、それにしても、凄いおっさんだなぁ。

 柏木は思う。今、地上で打ち上げ待機しているはずの、柏木の後に続いてプールに突っ込むって先陣争いをしているだろう仲間ライダーたちが思い切りやれるよう、中間倉庫に取り残された子どもたちを迎えに行っているという高柳のことだ。

 柏木だって航空宇宙大の出なのだから、もちろん、無重力空間での作業訓練はしたことがある。どうにも洗練された動きにならずに、実のところ散々だった。宇宙空間作業士の検定試験はとりあえず在学中には数回挑戦したが、結局取れないままで終わってしまった。

 たしかに、俺だけでなく、飛竜さんだって、他に突っ込むことを了承するだろうヤツらだって、曲がりなりにも小学生の子どもたちが「生きているかもしれない」ところにシャトルで突っ込むのは嫌だと言うだろう。死んでる確率がいくら高いと説明されたところでだ。数千の命と、たった3つの命。ザキさんにはああいったものの、冷静に秤にかけられないからこそ、人間なんだと柏木は思う。

 俺たちがやったところで、なにせデカい質量を持つ建造物が相手だ。無駄に終わるかもしれない。だけど、それでも可能性があるならやってみたいと思うのも、また人間なのだ。大好きな人。見慣れた街並み。誰かにとって大切なたくさんの誰か。数千という数字のうち、柏木自身が直接知っている人間は、ほんの一握りに過ぎない。それでも、自分ができるならば、誰かのために、一人でも多く助けたい……。

 いや、違うな。

 たくさんの人が「ついでに」助かるならラッキーなだけで、自分が助けたいのは、好きな人。それから仲間たち。やっぱり顔を知ってる誰かだ。

 たしかに、子供という存在は、普通の人間ならば助けたいかもしれない。でもこの局面で、自分は見たことも話したこともない、他人のために、自分の命を秤に乗せることができるだろうか。千切れて悲惨な状況になっている子供の残骸をかき集めて持って帰っても、多分遺族に責められる。余りに辛い。

 万が一、彼らが生きていたとしたら、もっと事態は深酷だ。恐怖に駆られてパニックを起こしている子供を、ゼロG環境で、どうやって引率して居住区に連れて来られるか。

 大体、その子たちが簡易宇宙服を持っているのかどうかってことすら、分からないのだ。ふつうの服で、宇宙空間に連れ出したら、間違いなく死ぬ。

 しかも小学校高学年なら、そこそこでかい。それを三人も、連れ帰ってくる。一体、あの人は何をどうやって、そうするつもりなのだろう。

 柏木は、余りにも一人で、物思いに深く沈み込んでいて、フロント・ウィンドウに張りついて、ノックの真似をしている、どこかヘンでボテボテした宇宙船外作業服を着ている存在に気づいていなかった。

――若鷹二号、柏木機長〜っ。

 スピーカーから、いきなり聞きなれない声がした。管制でもない。会社のオペレーターでもない。自分の携帯端末ならまだしも、愛機のスピーカーから聞こえるには、若干カジュアルすぎる軽い声。

――若鷹二号。柏木機長。応答願います。

「……誰だ?」

――ここです。そのフロントのところなんですけど……。さっきっから呼んでるのですが、気づいてくださらなくて。えっと、ボスから若鷹二号のヘルプに当たるよう、指示されています。それで、一応、飛んできましたので、仕事をやるときの、よろしくのご挨拶ということで……。

「ボスって……誰だ? ここってどこだ? ウィンドウの外ってのは、何の冗談だ」

 自然と言葉が剣呑になる。一瞬、高柳の関係者かとも思ったのだが、軍に棲息している人種の言葉遣いとしてあり得ない。それはまぁ、最近知り合った約一名の軍人さんも、全然、それ臭くないけど。

――どこって。冗談じゃなくて、あ、私、ジョーといいます。そう呼んでくださると、慣れてますので、私の方も反応しやすいと思います。あ、そうだ。冗談のジョーって……、いいですね。ダジャレになります?

 普通は、フルネームで名乗るだろうと呆れつつ、一応目線を計器端末から上にむけて、柏木は腰をぬかすかと思うほど、驚いた。窓越しには、見たこともない不細工な外観の船外作業服をまとった人間がいる。

 最近では、空調ユニットも、生命維持ユニットも、全て小型化されて、宇宙船外作業服だって、スペジャケよりはゴツイものの、少しは動きやすいようにスリム化されているものだ。

 それが、昔々の記録映像でみるようなダブダブのものだ。そうでなくても目立つのに、胸の辺りには何かがキラキラと輝いている。まさか、スパンコールではないだろうけれど。普通なら空気ボンベを背負っている場所に、なにやら筒状の怪しげな機械がついているのが目を引く。そしてどう見てもボンベに相当する何かをつけていない。

 あやしすぎる。それと何よりも異彩を放つのが、そいつの身長よりもあるだろうロボットアームを、頭から生やしていることだ。あれは多分、柏木には見慣れている、ポートの桟橋ピアによくある、コンテナ荷役用のロボットアームだ。

(……人間? ロボット?)

――で、も一つの質問のマイ・ボスとは、高柳三等宙曹のことです。

(高柳って……)

 柏木は思わず確認の言葉を口にした。

「タカさんが言ってた、サポートしてくれる、相棒って……?」

――相棒って。やだな。気さくなのは彼の性質だけど、仕事の時はしっかり関係者には説明しないと。私は、道具です。もちろん、柏木さんも、高柳三等宙曹の指示により、このミッションに関して、私への命令権があります。

 ただし、同時に実行不可能な命令が重複した場合は、高柳三等宙曹からの命令を優先します。よろしくお願いします。

 あ、そうそう。一応顔だけ見せときます。その、知らないよりは、親近感もってもらえるでしょ。

 自分で自分を道具などと、奇妙な自己紹介をしてから、そいつは、目の前で……あろうことか、金魚鉢に手をかけて、スポンッと……。

「なっ、何をするんだ。バッ、馬鹿っ!」

 奇妙なほど綺麗に整った青年の顔が、そこにあった。それも、目の前でみるみる歪んで、目玉が飛び出て、なんてことは全くなく、にっこりと微笑みを湛えて平然としていた。まるで、地上で海辺の風に吹かれているみたいな穏やかさ。そしてVサイン。

 どう見ても船外作業用手袋(グローブ)じゃなくて、ただの普通の手袋だ。空気があるところでメカニックたちが作業に使うような、器用に動かしやすそうな五本指が、綺麗にクッキリ見える。

 こいつ、何者だろう。このどこまでも能天気な……こんな種類の笑顔は、どっかで見たことがある。彼はもう一度金魚鉢を頭に戻す。戻しただけで、つなぎ目を封印シールしようとする気配もない。

――すみません。鬱陶しいんですけど、自前の無線出力は弱くて、しかもシングル双方向回線なので、宇宙フィールドでは、これかぶってないと、複数通話できないんですよ。えっと、まだガイドまで時間があるんで、ここで待機してていいですか? 目障りでしたら、翼の上辺りに移動しますけど。

 もしかして、こいつは噂に聞く……。

新人ニューマン……?」

――あ、ええ。そうです。というか、私の場合は、中身だけですけど。ボディは宇宙船外作業しやすい仕様になってますので、どうも機能重視というか、人間仕様マンライク性では落ちるんですけど、AIのほうは、ちゃんと、新人ニューマン権利条約対象レベルをクリアしてます。

「極東アジア国軍は、新人は……全廃した……はずじゃ」

――『戦闘及び治安維持活動局面では』です。後方支援では、一応、新規配属は予算の都合上、凍結されてますけど、配備済みの我々まで、積極的に排除していません。

「ってことは、軍備品の新人さんで、タカさんがボスってことは、スカダー?」

――そういうことになります。ただ、私は個人的な趣味で、キャッチャーボートを普段使いませんので、こういう局面では、おそらく、他の人間マンよりは、フットワークよく動けますので、かなりお役に立てると思います。

 もう少し距離が近付いたら、えっと、幅寄せしてもらいたいんですけど、無人桟橋に無線誘導なしで寄せたことあります? 私とこのアームの出力だけでは、そちらの軌道は変えられませんから、このアームでひっかけられる距離までは詰めてもらわないと。

「そいつは……、もちろん、学校の実技でやってきてるけど……」

(あんまり得意じゃぁ、なかったんだよなぁ。)

 いささか弱気な『けど』をしっかり聞き落として、明るくジョーが言った。

――それなら良かったです。安心してますね。えっと、かなり角度が大事になりますけど、角度はタワーからのパッチを待つか、数値を確認して合わせてくださいね。シャトル比で相手は大きいですから、素通りすることはないと思いますけれども、指定ターゲットは狭いですからね。無人桟橋のアームに寄せるイメージでやられたら間違いないと思います。私のアームも、普段はロスコン相手なんで、普通にバージを捕まえるくらいには伸ばせますから、多少のブレは修正します。

 そう言って、ジョーは頭の上にあるアームをちょっとだけ動かしてしてみせた。

――行き先には桟橋のアームはないんで、若鷹二号フックと向こうのネットをまずつなごうと思います。間違いなく、プールと若鷹二号の間に隙間ができますので、そのままだと接触大破の危険性がありますから、ゆっくりネットを引っ張って、プールにくっつけたいと思います。若鷹二号が本体に接触してしまうと、ちょっと大きな問題になるかと予測します。ですから、私は、ネットをフックにかけましたら、反対に回ってネットを引っ張って、若鷹二号の遊びを減らしてみます。ぶつかったり擦れたりするかもですが、船体に穴が開かない程度の衝撃で済むよう、引っ張り続けますので、距離をつめて着桟をとりあえず試みてください。

「やってみます……って、飛べるわけじゃあるまいし。訳わかんないことを……」

 柏木は頭が痛くなりそうだった。この冗談のジョーは、高柳の冗談だったのかもしれない。ギリギリの緊張感を、しょっちゅう強いられる宇宙飛行士連中というのは、普通の人間が笑っていられないタイミングで、強烈なボケを噛ましてくる人間の含有率が異常に高い。だけど、今回かかっているのは、おのれ一人の命じゃなくて、一つの街が抱えてる全ての命だ。こんなところで受けをとってどうする? 柏木は強烈に毒づいた。

 でも、今ジョーは若鷹二号の慣性に乗っている。彼の体が機体から離れれば、一瞬で闇に投げ出され……る……はずだ。

 待てよ。……えっと。でも、ここまで、こいつ来てるし。どうやってだ?

 最初の疑問に立ち返った。柏木の前にあるスピーカーから、ジョーの声が聞こえた。

――ですから、スーツだけで飛べますから。

(それって、冗談じゃなく……?)

「おい。まさか、そのヘンテコな船外作業服スーツに、推進装置を搭載してるとでも言うつもりじゃないよね」

――そのとおりですけど。この肩のところからですね……。こうやって。

 そう言った瞬間に、シャトルの狭い窓からジョーが消える。それから、少しの間をおいて、ジョーが視界に帰って来た。なぜか足の裏から視界に湧いて出たジョーは、そのままもう一度Vサインをして微笑んで見せた。

「推進装置は、何? 船外作業服に装着できるサイズまで小型化されたってのは、聞いたことないぞ。それに、温度とか大丈夫なのか?」

「えっと、光学式じゃなくて、炭酸ガスレーザーを使ってます。このシステムですと推進剤は水ですから、EPS(電力システム)で液体水素と液体酸素使っている限り、ランニングコストもかかりませんし……」

(誰も維持費のことなんか聞いてないよ……)

 柏木は疲れた。

「でも、タカさんってば、タンクの中には再生水しか詰めちゃダメって……」

(長期滞在型宇宙ステーションの再生水って言うと、要員クルーの廃棄物の水分まで全て回収したものが混ざっているはずだ。つまり、タカさんの……有機廃棄物で、飛んでることになるのかな)

 柏木は深く考えないことにした。

 軽快飛行機(ライトフライヤー)すらなしで、自由に宇宙空間を飛べる夢のような船外作業服。いくら飛んでるのが頑丈な新人(ニューマン)だとはいえ、小さい頃に宇宙船もののテレビシリーズを見てワクワクした、あの感覚が蘇ってくる。推進剤の構成物なんかに幻滅しているのはもったいない。

「いいなぁ……それ。気持ちいい?」

 あれは、ジョーの専用スーツなのだろうか。スペジャケでも着込んでから装着したら、ちょっとだけでも使えないのだろうか。やってみたいという誘惑に抗しきれず、柏木は聞いてみた。

――いや、それが……。ちょっと基本的な問題点がクリアされてないので……気持ちがいいというほどではないんですよねぇ。

「危険なの?」

――いや。そういう問題じゃなくて……『見てくれ』に関することで。

 たしかに、不格好なことは認める。だけど、飛行機フライヤーに乗らないで、宇宙を飛ぶなんて夢そのものだ。柏木は、シャトルの窓が狭いと思ったことは今まで無かった。でも、もっともっとしっかり、人間の形をしたものが、ただそれだけで宇宙を飛んでいる姿が見たかった。

 柏木は時間を計るために距離計を睨んだ。日頃見慣れた形のもので大きさが違うと、遠近感がもろに混乱する。目視でどれだけ離れてるのかまるで見当がつかない。タカさんがもう一点、安請け合いしてくれたビーコン誘導もまだ入ってこない。ビーコンの誘導があるのとないのとでは、全く難易度が違うのだ。早くしてくれ。

 手動で無人桟橋に横付けする訓練も、まぁ、学生時代に何回かしたことがあるが、難しかった覚えがある。とにかく大気圏外は広すぎて感覚が鈍る。相当なスピードで移動しているものが止まっているようにさえ見えるのだ。

 見掛けの穏やかさと、接触した瞬間に、速度と質量に勝る側の慣性にからめ捕られる瞬間の衝撃に近い違和感。そして、無音。

 これだけの質量のものがぶつかり合ったら、地上ならおそろしい音を立てるだろう。それが、静かに、どこまでも静かに破壊されていく現実。爆発や激突ですら、沈黙だけが支配する世界。バージシャトルで突っ込む時、地面に近付くにつれだんだんと音が存在する世界に帰る。それは、いつでも劇的な体験だ。

 計器が反応したのが、目の端に入った。来た。

 Vビーコン特有の、送信局の方位を表す輝線がくっきりとレーダー画面上に浮きでている。間違いなく、目標のライダー・プールから発信されている。すごい。高柳はどうやって、こいつを起こしたのだろう。マジシャンとの異名は伊達でないということか。まさに魔法。桟橋にあるもんを、本当にどうやって有機廃棄物倉庫人がいない場所に移動させたのだ。

     * * *

「斉藤一尉、ビーコン出ました。発信局は間違いなく目標ポイントです。信じられない……。一体、どうやったら、そんなことができるんだ?」

 心底驚いたといったような言葉は、斉藤の部署の若手である堂本一馬一尉だ。

「何があっても驚くなって、ちゃんと言っただろう。あいつはマジシャンで、ホラ吹きじゃない。できるできないは別として、やってみることもできない場合は言わない。ヤツができると言ったことは、やってくれると信じていい」

「でも、奇跡だ」

 斉藤歩は画面を覗きこんだ。綺麗なVビーコンの輝線が見える。斉藤自身も、この状況でシャトルが狙っていくターゲットポイントからビーコン誘導を出せるという高柳の断言を信じていいのか不安もあった。やってくれる。さすがだ。タカ。

「拡大できるか? 子どもの安否確認に行ってる間、ヤツがテストのシャトルをどこに突っ込ませるつもりか知りたい」

(お前まさか、中間倉庫にするつもりと違うだろうな)

 斉藤は胃がキリキリ絞られるような思いで、画面が切り替わるのを待った。

(死ぬつもりでいやがってみろ、お前の指示には従わないからな……)

 歩の目の前で、モニターが切り替わった。ライダープールを透過視点にしたものだ。

「外のドーナツの、内側ですね。居住区は隔壁で分断されてるから、ひとつくらい構造部分をぶっこわしても構わないって事でしょうか? けっこう乱暴だな……」

「あいつはバカでも、引き算と足し算だけは間違わない。人が居るところ一区画と子供三人なら、あいつは子供を見殺しにするさ。無人ないし、何か特別な用途の区画で人が居ないと確信があるんだろう。でもまぁ念のため、該当区画に人がいないか調べてくれ」

「了解」

 しばらく堂本が何やら端末に向かって操作していたが、突然、頓狂とんきょうな笑い声を上げた。

「区画用途確認できました。間違いなく無人です」

「何の場所だ?」

「有機廃棄物保管倉庫です。完全脱気されてますから、人だけでなく微生物濃度までかなり低めでしょうね」

 タカ、お前、本当によくまぁ、こんなところを短時間で見つけるよ。斉藤は微笑みたいのを我慢して話を進めた。

「ビーコン情報をシャトル誘導プログラムに乗せ込んでくれ。できたら、若鷹二号のマザーに転送。とりあえず一発目、ぶつけてみるぞ」

「了解しました」

 背が高い堂本が、ブースでキーボードをカチャカチャやっていると、どうも熊が蜂蜜を舐めているような、なんとも表現しがたいちぐはぐな可愛さがある。能力のほうは、天下の中央学府を出ているだけにお墨付きだ。この程度の作業なら、斉藤がわざわざ確認するまでもない。

「誘導プログラムに数値投入完了しました」

 それほど待たずに、堂本がそう答える。

「よし。若鷹の柏木機長を呼んで、こちらからのプログラムを受け取ったら、手動で若鷹のメイン・コンピュータの航行プログラムを切り換えてもらえ。確認でき次第、突っ込ませるぞ。時間が惜しい……」

 斉藤はそういいつつ、臓腑が掴まれるような厭な気分を味わっていた。成功するのか。はたまた、徒労に終わるのか。たくさんの命に関わる指令を出すなんてのは、自分のガラではつくづくない。飛竜か、タカか。あいつらくらい図太くないと、無理だ。

     * * *

――若鷹二号。柏木機長。応答願います。

 ビーコンのモニタ画面と、船体外に取り付けられたウィンドウ・カメラが拾ってくる映像を、窓から直接見ているように扱えるメイン・モニターを睨んでいた柏木は、体に緊張がじわじわと浸食してくるのを感じていた。認めたくはないが、多分、本能が感知している危険への純粋な恐怖だ。

「若鷹二号。柏木です。どうぞ」

――今回の飛行指揮(FD)を担当する、国軍所属の斉藤です。貴殿の勇気に対し尊敬するとともに、心より感謝します。プールからのビーコンを、貴機でも確認できていますか? どうぞ。

「はい。綺麗に映っています」

――それは良かった。こちらでフライト・プログラムに、その信号を乗せ込みました。転送します。確認後、手動での切り替えを頼みます。そちらでメッセージを開封すれば、プログラムそのものは自動的に立ち上がります。

「お願いします」

 わずかな待ち時間だけで、操船盤についている小さい画面に、プログラム受信を知らせるサインが出た。

「今回のフライト・プランに対して、矛盾する2つのプログラムが検出されました。有効とする方を選択してください……か。はいはい」

 柏木は、送られてきた方を指で押さえるというだけの、どうということがない動きが、自分の人生を大きく変えることの不思議を、どこか他人事のように見ていた。

 元からあったプログラムは、いつもの大気圏突入(プランジ)を経て地上の宙港に至るもの。今来たもう一つは、下手をしたら激突の衝撃で、またはその時点では無事だったとしても、まったくプールの落下に歯止めがかけられなければ、大気圏に至る前に破壊されるという、あり得ないほど死がとても身近にいるもの。

 生と死と。明らかに標識を掲げている道を選ぶのに、自ら望んで後者を選ぶ日が、自分のような人間にくるとは思ってもいなかった。柏木は思う。上手くいかなかったとしても、多分残念なだけで後悔はないだろう。

 ここで逃げたら、その後の人生を、多分ずっと後悔と共に背中を丸めて生きていくことになるだろう。誰が知らなくても、自分が知っているから。好きだと思っていた人も、大切だと思っていた人も、全て見捨てた卑怯な男だと。そんな生き方はしたくなかった。

「ジョー。聞こえてる?」

――もちろん。

「君から、プールの尾崎さん、分かるかな。タカさんと一緒に居た人なんだけど。彼女と通信できる? 君の声が直接聞こえる感覚で……」

 突入プランジ体勢に入ったら(行き先はまったく違うけれど)自分のオフィシャルな通信は全部記録される。でも、この新人ニューマンが仲介してくれるなら、我が儘な願いを言ってみたっていいじゃいか。最後になるかもしれないのだから。

――できます。少々お待ちくださいね……と。

 柏木にとっては永遠に思える時間が通りすぎた。

――柏木さん? あの……お話って……。

 心臓が躍る。どんなときでも、この声を聞くのは嬉しい。

「ザキさん。あの……ヘンなお願いしていいですか?」

――ヘンなって、どんな?

「あれ……聞きたいんです」

――あれって?

「いつものザキさんの、『ファイティング・スピリット』の時間の、あれ。その、あれ聞くと元気が出るから……。

 物凄く長い沈黙に感じられた。柏木がやはり失言だったかもしれないと、その言葉を打ち消そうとしたとき、激しくビートを刻むいつものリズムと、聞き慣れた音楽がスピーカーから零れてきた。

――こんにちはっ。今日も気合入ってる? 覚悟はいい?

 ああ。これだ。この声が俺を熱くする。柏木は条件反射でアドレナリン値が一気に急上昇するのを感じた。

「……ザキさん」

 そのかすかな呼びかけは、見事に無視された。

――みんな、元気ーっ?!

「みんなって掛け声は……ザキさん、サービス足りないよ」

 柏木が文句を言う。

――ごめんなさいっ。でも、『みんな』じゃないと言いにくくて……。今度、柏木さん専用モードの練習しておくね。もう一回いくよ、ヘィへィヘィ。やる気がないなら、さっさとおうちに帰りなさいよっ。全然、元気が足りないよっ。もう一度行くよっ。みんな、元気ーっ?!

 もう、『みんな』でいいや。この声は今は俺が独占している、って、ジョーもいるか。

「おーっ」
 柏木がえた。

――聞こえないよ、そんなんじゃ、まだまだっ。元気ーーーっ?

「うおーーーーっ」

 もうヤケだ。柏木は絶叫した。なんだか、理由不明の爽快感が身内を駆け抜けていく。

――いいねぇ。ナイスファイト。じゃぁ、今日も元気よく行ってみよーかぁっっ!

「ありがと……ザキさん。ジョー、そろそろ始めようぜ」

 フロント・ウィンドゥに張りついていたジョーが、もう一度Vサインを決めてから、飛んだ。あれ?……なんで、足の方に、なんだ? 

「ジョー。こんなときに何だけど、質問。進む方向、おかしくない?」

 スピーカーから、ジョーの声が聞こえた。

――これが、先ほどご説明した、『見てくれ』に関する基本的な問題ですよ。肩に装着した炭酸ガスレーザーを足に装着した推進装置で受けると、レーザー噴射の反対方向にしか進めないんですよ。足にタンクつけるのは、さすがに肩に焦点を当てられないので動けなくて。

 今どきの主流に真っ向から反対するデザインの作業服スーツ。頭から生えている巨大なロボットアーム。華麗に足方向に飛んで行くジョー。申し訳ないと思いつつ、柏木は思いっきり吹きだした。

――笑わないでくださいよぉ。こっちも我慢してるんですから。

「悪い、悪い。ねぇ、俺もスペジャケでも着込んでからだったら、それ、試せる?」

――ええ。多分。温度もそれほど上昇しないですし。でも、きっとリアル・マンの方には気持ち悪いですよ。足に進むのって……。慣れないと。

「構わないさ。生身で宇宙(ソラ)を飛べるなんて……、最高じゃないか」

――ええ。最高ですよ。それだけは、保証します。じゃ、落ち着いていきましょうか。

「あぁ。落ち着いてる。後で、会えるのを楽しみにしてるよ」

 ちょっとだけ、柏木にとっては思いがけない間が空いた。

――ありがとうございます。私も楽しみにしています。

 ああ。そうか。人が彼らを要らないと宣言して久しい。多分、差別されないことに慣れていないのだろう。でも、話した感触が人間と変わらないのだ。柏木としては、直接顔を見せ合う前から拒否する必要はまるで感じない。

「サポートよろしくな。相棒」

――頑張ります。

 ただの直感にすぎないけれど、何となくジョーとは気が合いそうな気がする柏木だった。

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